松尾芭蕉の旅 野ざらし紀行
俳聖 松尾芭蕉・生涯データベース
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野ざらし紀行
伊賀上野に帰る




長月の初、故郷に帰りて、北堂の萱草も霜枯果て、今は跡だになし。何事も昔に替りて、同胞の鬢白く、眉皺寄て、只命有て、とのみ云て言葉はなきに、兄の守袋をほどきて、母の白髪拝めよ、浦島の子が玉手箱、汝が眉もやや老たり、としばらく泣きて、 九月の初めに故郷へ帰ると、既に母は亡くなっていて、母の堂に見られた萱草も霜に枯れ果て、今ではその跡すら残っていない。何事も昔と変わってしまってい、身内の者の髪は白くなり、眉に皺が寄り、ただ、「お互いに存命で何より」とのみ言い合って言葉はなく、兄は、母の白髪を納めた守り袋をほどいて「母を拝みなさい。この髪を見ると、浦島太郎が突然白髪になったように思われるだろう。お前の眉毛も大部白くなったなあ」と言い、あとは二人でしばらく泣き、
_手にとらば消ん涙ぞ熱き秋の霜 白髪に変わっていた母の遺髪を手にとると、熱い涙がこぼれ落ち、秋の霜にも似た形見が、消えてしまうように思えるよ。
[語 釈]
長月の初
「長月」は陰暦九月のこと。土芳の「芭蕉翁全伝」に「九月八日の夜尾張の駅より此所に移、四、五日の間」とある。
北堂の萱草も霜枯果て
「北堂」は、中国で、家の北に建つ母親が住まいとした堂。転じて「母」。「萱草(けんそう)」は忘れ草。「詩経」に「焉得
、言樹之背
」(衛風作「伯兮」より。「背北堂也」の註)の一節がある。イズクンゾ草(萱草)ヲ得テ、言(ここ)ニ之ヲ背(北堂)ニ樹(う)エン。
「北堂の萱草も霜枯果て(母の住まいに植えてあった忘れ草が霜枯れ果てた)」は、「母の死」の意を内包する。芭蕉の母は、「野ざらし紀行」の旅の前年(天保三年)、六月二十日に死去。上野農人町の愛染院に葬られている。戒名「梅月妙松信女」。
同胞
同じ民族の意もあるが、ここでは兄弟姉妹の意。
浦島の子
万葉集などに見る浦島太郎のこと。

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