松尾芭蕉の旅 野ざらし紀行
俳聖 松尾芭蕉・生涯データベース
_
野ざらし紀行
千里の故郷を訪ねて






大和の国に行脚して、葛下の郡竹の内と云処は彼千里が旧里なれば、日ごろとどまりて足を休む。[資料] 大和の国に行脚して、葛下の郡の竹の内というところは、かの千里の故郷なので、幾日か滞在して足を休めた。
_綿弓や琵琶に慰む竹の奥 繰綿(くりわた)を打つ弓の音が、竹薮の奥にひっそりと佇むこの家に、琵琶語りのように鳴り響いているよ。
二上山当麻寺に詣でて、庭上の松を見るに、凡千歳も経たるならむ、大いさ牛を隠す共云べけむ。かれ非情といへども、仏縁に引かれて、斧斤の罪を免がれたるぞ、幸にしてたつとし。 二上山の当麻寺に詣でて境内の松を見ると、およそ千年の歳月も経ているように思われる。この大きさは、荘子の「大イサ牛を隠す」ほどと言っていいだろう。木に喜怒哀楽の情が無いといっても、仏の縁に導かれて斧で切り倒されることはなかったのであるから、この木にとっては幸いなことであり、尊いことだ。
_僧朝顔幾死返る法の松 僧は、朝顔が何度も死と生を繰り返すように、代々引き継がれて変わったが、仏法の教えは、千年も生き続ける松のように、いつまでも変わることはない。
[語 釈]
葛下の郡竹の内
「蕉影余韻」所収の「野ざらし紀行」(真蹟)に「葛城の下の郡」とあることから「葛下(かつげ)」はこれの略と見られている。現在の奈良県北葛城郡。「竹の内」は、現在の當麻町の竹内地区。芭蕉は、同行の千里の案内で竹の内を訪ね、千里の実家近くの興善庵に寄居した。
綿弓
わたゆみ。「綿打ち弓」ともいう。種を取り除いただけの繰綿(くりわた)をはじき打って精製するための道具。打つときに琵琶を弾いたような音が出る。
二上山
雄岳(517m)と雌岳(474m)が2こぶの稜線を描く二上山は、大和・河内の境目にあたり、奈良盆地の西を南北に走る金剛連峰の一角をなす。
当麻寺
當麻寺(たいまでら)。芭蕉は、竹の内に滞在中、當麻寺に参詣。當麻寺は、用明天皇の皇子麻呂子王が、兄聖徳太子の教えにより、河内の国に建てた万法蔵院禅林寺にはじまり、その後、麻呂子王の孫當麻国見により現在地に移された。寺歴1300年を越す大和の名刹。
大いさ牛を隠す
「大い」は「大き」のイ穏便で、「大いさ牛を隠す」は、「『大き』さが牛を隠す(ほど)」の意。荘子の「人間世篇」に「見櫟社樹、其大蔽、繋之百囲」がある。櫟社(神木を社としたもの)ノ木ヲ見ル二、其ノ大イサ牛ヲ蔽フ。
斧斤の罪
ふきんのつみ。斧(おの。斤)で切り倒される罪。荘子の逍遥遊篇に「不斤斧、物無害者」がある。斤斧(きんふ)二夭(よう。「早死に」の意)セラレズ、物ノ害スル者無シ。
僧朝顔幾死返る法の松
僧と朝顔、仏法と松を対比させて詠んだもの。「和漢朗詠集」に松と槿花(むくげの花、または朝顔の花)を対比させた「松樹千年終是朽。槿花一日自為栄」がある。松樹千年終(つひ)二是朽(く)ツ、槿花一日自カラ栄(えい)ヲ為セリ。

< TOP >



掲載しているデータとリンクについて

テキストデータや画像データの無断使用・転載を固く禁止します。

  
リンクを張られる場合は、下記アドレスを対象としてください。
  
http://www.bashouan.com
 

 
俳聖 松尾芭蕉・生涯データベース
 
野ざらし紀行
 
生涯データベース目次
 

 
おくのほそ道 総合データベース
 
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
 
総合目次
 


Copyright(C) 2003-2004  LAP Edc. SOFT.  All Rights Reserved.
 Maintained online by webmaster@bashouan.com