松尾芭蕉の旅 野ざらし紀行
俳聖 松尾芭蕉・生涯データベース
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野ざらし紀行 十二
京都へ、伏見西岸寺





京に上りて、三井秋風が鳴滝の山家を訪ふ。 京に上り、鳴滝にある三井秋風の山荘を訪ねる。
  梅林 梅林
_梅白し昨日ふや鶴を盗れし 白梅が見事に咲いて、宋代の詩人林和靖の庵に居るようであるよ。しかし、それに付き物の鶴は、昨日にでも盗まれてしまったのだろうか。
_樫の木の花にかまはぬ姿かな 樫の木は、美しく咲き誇っている花々をよそに、この家の主に見習って、悠々と聳え立っているよ。
伏見西岸寺任口上人に逢て 伏見西岸寺の任口上人に逢って
_我が衣に伏見の桃の雫せよ 八十歳を迎えられましたが、益々お元気であられて、上人が、桃の花の雫のように垂られる有難い教えの一つ一つを、私の心に沁み込ませてください。 
[語 釈]
三井秋風
1646〜1717。秋風は俳号で、名は六右衛門時次。京都の富豪。編著に「打曇砥」がある。
梅白し昨日ふや鶴を盗れし
「白梅が見事に咲いているが、昨日盗まれたらしく鶴が見当たらない」というのだが、この「鶴」は、中国北宋の詩人林和靖(りんなせい。967〜1028)が愛した「鶴」に因むもの。林和靖は浙江省抗州の人で、西湖の孤山に庵を結んで隠棲した。故事「梅妻鶴子」は林和靖を言ったもので、林和靖は、梅を妻に、鶴をわが子に見立てて慈しみ、一生涯を独身で通したという。

本句は、京都鳴滝の三井秋風の山荘に長期滞在した折の作で、「白梅が見事で、まるで林和靖の庵にいるようです。林和靖といえば鶴ということになりますが、鶴が見当たらないのは、昨日にでも盗まれてしまったのですか」と詠んだ挨拶句。秋風は、これに恐縮し、「そのようなたいそうなものではありません。ただ、スギナに身をこすりつけるばかりの牛が二頭、馬が一頭いるだけの住まいです」という意味の脇を付けている。竹人著「芭蕉翁全傳」(宝暦十二年序)によれば、芭蕉は、当所に約半月間逗留したという。

  鳴滝秋風子之梅林に遊ぶ
 梅白し昨日ふや鶴を盗れし  桃青
  杉菜に身擦る牛二ツ馬一ツ 秋風
(真蹟懐紙)
樫の木の花にかまはぬ姿かな
これも、上の句と同じ秋風への挨拶句で、世事にとらわれず、悠々と過ごしている秋風を称えたもの。「樫の木は、美しく咲き誇る花々をよそにして、ご主人に見習い悠々と聳え立っていますね」の意。秋風は、本句に「家する土を運ぶ燕(つばくら<つばめ、つばくろ>)」の脇を付けて、芭蕉に謝した。

 樫の木の花にかまはぬ姿哉  桃青
  家する土を運ぶ燕     秋風
(真蹟懐紙)
伏見西岸寺任口上人
「伏見西岸寺(さいがんじ)」は、浄土真宗本願寺派の寺で正式には油懸山地蔵院西岸寺という。山号と院号の由来は、石の地蔵菩薩に油をかけてお参りするところにあり、これより「油懸地蔵」とも称する。本堂に、親鸞上人の自作と伝えられる草鞋懸立像を安置する。
「任口(宝誉)上人」は、西岸寺の三世住職で、松江重頼門下の俳人。1606〜1686。芭蕉が伏見に訪ねた翌年に、81歳の生涯を閉じた。若き日の蕪村が、宗鑑、守武、貞徳、貞室、梅翁、芭蕉などの錚々たる十四人の俳士を描いた「俳仙群会図」に、晩年、談林派の長老として慕われ、敬重された任口上人も一座している。
我が衣に伏見の桃の雫せよ
「伏見の桃」は、江戸時代、伏見城の跡地に桃の木が植えられたことから、伏見が、「桃山」と呼ばれるほどの桃の名所となったことに因んでいる。「桃」は、芭蕉が訪ねた時期から言って「花」。「桃の雫」の意は、「上人が、桃の花の雫のように垂られる有難い教えの一つ一つ」。この時、上人、八十歳。本句は、上人への挨拶吟であると同時に励ましの吟。

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