松尾芭蕉の旅 おくのほそ道
俳聖 松尾芭蕉・生涯データベース
_
おくのほそ道 十一
遊行柳の章段










又、清水ながるゝの柳は蘆野の里にありて田の畔に残る。 また、西行が「道のべに清水流るゝ柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ」と詠んだ柳は、芦野の里にあり、田の畔に残っている。
此所の郡守戸部某此柳みせばやなど、折ゝにの給ひ聞え給ふを、いづくのほどにやと思ひしを、今日此柳のかげにこそ立より侍つれ この地の領主の戸部なにがしが「かの柳をお見せしたい」などと、折々におっしゃっていたので、どの辺にあるのかと思っていたが、今日、とうとうこの柳の陰に立ち寄ったのだった。
_田一枚植て立去る柳かな 遥かと思っていた柳が目の前にあり、その木陰でしばらく安らかにしていると、いつのまにか、田植えが一枚分終わって早乙女たちの声が消え、ぽつんととり残されてしまった。それでは、私もここを立ち去って旅を続けるとしよう。
  
[ 旅のあらすじ ]
那須湯本に二泊した芭蕉は、四月二十日(新暦六月七日)、午前八時半ごろ旅宿を立ち、那須岳の裾野を下って行った。その道筋は、小屋村(現在の那須町池田)、漆塚経由の「総テ山道」(「随行日記」)で、その先に、西行の歌で知られる芦野の名所「遊行柳」があった。

廿日 朝霧降ル。辰中尅晴。下尅、湯本ヲ立。ウルシ塚迄三リ余。半途ニ小や村有。ウルシ塚ヨリ芦野ヘ二リ余。湯本ヨリ総テ山道ニテ能不知シテ難通。(「随行日記」)
 
 
 




11
遊行柳

[語 釈]

清水ながるゝの柳は蘆野の里にありて
「蘆野の里」は、那須町芦野。かつて、奥州街道の宿駅。

「清水ながるゝの柳」は、芦野にある柳の木「遊行柳[
資料]」のこと。西行の歌「道のべに清水流るゝ柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ」(「新古今和歌集」)に触れたもの。室町後期、観世信光(1435-1516)は、この歌を主題に謡曲「遊行柳」を創作。これにより広く世に知られ、歌枕の地となった。現在見られる「遊行柳」は昭和三十年代に植えられたものだが、何代目にあたるかは不明。
郡守戸部某
「郡守戸部某」は、元禄五年(1692)五十六歳で没した十九代芦野民部資俊。「民部」を「戸部」としたことについては、対象の人物をぼかすために、民政・財政を司る役所の称「民部」を唐代の呼び名「戸部」に変えたとされる。
此柳みせばや
芦野民部資俊の言で「この柳をお見せしたい」の意。「ばや」は、自己の願望を表す終助詞。
今日此柳のかげにこそ立より侍つれ
「こそ〜つれ」は係り結び。「つれ」は完了の助動詞「つ」の已然形。上の西行の歌に触れ、「今日こそこの柳の陰に立ち寄った次第である」と、ついに望みが叶った喜びを表したもの。

< TOP >



「おくのほそ道」のテキストについて


本テキストは、俳聖 松尾芭蕉・生涯データベース
および、FLASHムービー「 おくのほそ道を行く」の副読本
としてLAP Edc. SOFTが制作したものです。




掲載しているデータとリンクについて

テキストデータや画像データの無断使用・転載を固く禁止します。

  
リンクを張られる場合は、下記アドレスを対象としてください。
  
http://www.bashouan.com


 

  
俳聖 松尾芭蕉・生涯データベース
 
おくのほそ道
 
生涯データベース目次
 

 
おくのほそ道 総合データベース
 
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
 
総合目次
 


Copyright(C) 2004-2006  LAP Edc. SOFT.  All Rights Reserved.

 Maintained online by webmaster@bashouan.com
 
LAP Edc. SOFTのホームページ

 
LAP Edc. SOFTのホームページ