松尾芭蕉の旅 おくのほそ道
俳聖 松尾芭蕉・生涯データベース
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おくのほそ道 十二
白河の関の章段










心許なき日かず重るまゝに白川の関にかゝりて、旅心定りぬ 落ち着かない日々を重ねているうちに白河の関にさしかかり、ようやく旅に徹する心構えができてきた。
いかで都へと便求しも断也 平兼盛が、どうかして関越えの感動を都の人に知らせたいと詠んだのももっともである。
中にも此関は三関の一にして、風騒の人、心をとゞむ 数ある中でもこの関は奥州三関の一つに数えられ、風雅を求める人が心を寄せているところだ。
秋風を耳に残し、紅葉を俤にして、青葉の梢猶あはれ也 能因法師が詠んだ歌の「秋風」という言葉の響きや、源頼政の歌の「紅葉」を思い浮かべながら青葉のこずえをながめていると、実に趣き深く感じられるものだ。
卯の花の白妙に、茨の花の咲そひて、雪にもこゆる心地ぞする。 卯の花が真っ白に咲いているところに茨が白く咲き添って、まるで雪の中、関を越えているような心地がする。
古人冠を正し、衣装を改し事など、清輔の筆にもとゞめ置れしとぞ むかし、竹田大夫国行がこの関を越えるとき、能因法師の歌に敬意を表して冠をかぶり直し、衣服をととのえて通ったいうことが藤原清輔の「袋草紙」に書きとめてあるということだ。
_卯の花をかざしに関の晴着かな 曽良 この関を通るとき、古人は冠を正し、衣装を改めたというが、私にはこのような用意もないので、せめて卯の花を髪にかざして関を通ることにしよう。
【参考資料】 白河の関で芭蕉は詠んだか
みちのくの足跡「芭蕉と白河」の「芭蕉について」より
松島の章段と同様、白河の関の章段には曽良の句は記されているが芭蕉の句は見られない。「おくのほそ道」の本文に、白河で口を閉ざした事情を「長途のくるしみ、身心つかれ、且は風景に魂うばゝれ、懐旧に腸を断て、はかばかしう思ひめぐらさず」と書いてあって、これは、服部土芳編「三冊子-わすれみづ」に載る芭蕉の言「絶景にむかふ時は、うばはれて叶はず」と相通じるものがある。

しかし、実際のところ、芭蕉は松島で「島々や千々に砕きて夏の海」の句を詠み、白河でも、俳友・白河藩士何云宛の書簡などに見られる句を詠んでおり、これに関しては、中国の文人的姿勢「景にあうては唖す(絶景の前では黙して語らず)」に感化され、意識的に本文に句を示さなかったとする見方もある。

松島は好風扶桑第一の景とかや。古今の人の風情、この島にのみおもひよせて、心を尽し、たくみをめぐらす。をよそ海のよも三里計にて、さまざまの島々、奇曲天工の妙を刻なせるがごとく、おのおの松生茂りて、うるはしさ花やかさ、いはむかたなし。
島々や千々に砕きて夏の海
(「蕉翁全伝附録」)

みちのくの名所名所こゝろにおもひこめて、先せき屋の跡なつかしきまゝに、ふる道にかゝり、いまの白河もこえぬ。
早苗にも我色黒き日数哉  翁 
(「俳諧書留」)

白河の風雅聞もらしたり。いと残多かりければ、須か川の旅店より申つかはし侍る
関守の宿を水鶏にとはふもの はせを。
又、白河愚句、色黒きといふ句、乍単より申参候よし、かく申直し候
西か東か先早苗にも風の音 
(何云宛書簡)
   
[ 旅のあらすじ ]
四月二十日(新暦六月七日)、みちのく入りの当日、那須湯本から芦野の「遊行柳」を経て更に北へと旅し、国境を目指した。

芦野から一里半ほど行くと寄居村(現那須町寄居)があり、そこの東へ延びた道から旗宿に行くこともできたが、街道としての役割は、既に東の旗宿の道から奥州街道に移っていたことから、芭蕉一行はそのまま奥州街道を北へ歩き境の明神から白河(白川)領に入った。

廿日 (中略)
一 芦野ヨリ一里半余過テヨリ居村有。是ヨリハタ村ヘ行バ、町ハヅレヨリ右ヘ切ル也。
一 関明神、関東ノ方ニ一社、奥州ノ方ニ一社、間廿間計有。両方ノ門前ニ茶屋有。
小坂也。これヨリ白坂ヘ十町程有。古関ヲ尋テ白坂ノ町ノ入口ヨリ右ヘ切レテ籏宿ヘ行。
(「随行日記」)

国境から白坂の宿駅まで十町ばかり。その入り口で右に折れて旗宿に向った[
資料]。それは、超一流の歌枕として鳴らした古代の白河の関跡[資料]を探し求める旅だった。

廃絶から既に四、五百年を経過し、名のみを残すばかりとなっていた白河古関の位置については、この頃まだ特定されておらず、旧東山道の追分明神の地、旗宿、関山など様々に言い伝えられていた。

旗宿で一夜を明かした芭蕉一行は、
四月二十一日(新暦六月八日)、後年松平定信によって古関跡と認証された旗宿の明神の地を訪ねたが関跡の確証は得られず、次には関山に足を伸ばし、古歌人が佇んだ古の関所に思いを馳せる旅を続けた。
国境の碑 境の明神(福島側) 境の明神(栃木側) 白河の関跡 関山
 
 
 




12
白河の関

[語 釈]

心許なき日かず重るまゝに
「心許ない」は、「気持ちばかりが先に行って落ち着かない」の意。「まだ旅に馴染むことができず、気持ちばかりが先に行って落ち着かない日々を重ねているうちに」ほどの意。
白川の関にかゝりて、旅心定りぬ
「白川の関」は「白河の関[
資料]」で歌枕。勿来関(菊田関)、念珠関と併称される古代の奥羽三関の一つ。古代の白河の関が置かれた位置は、古来、多様に言い伝えられるが、寛政十二年(1800)、白河藩主松平定信が地図や歴史書、詠歌、老農の話をもとに旗宿を関跡と定め、現在の白河神社の境内に古関蹟碑を建立した。旗宿の道(東山道)は、六世紀ごろから開かれた官道で、京都から、近江、美濃、信濃、上野、下野の各国府を経て、多賀城に達する律令国家の基幹道だった。

「旅心定りぬ」は、「心許なき」心境から一転し、みちのくの関門・白河の関を経て、ついに長途の旅に本腰を入れるに至った胸中の吐露。
いかで都へと便求しも断也
「いかで都へ」は、平兼盛の次の歌に触れたもの。

たよりあらばいかで都へ告げやらむ
 今日白河の関は越えぬと 平兼盛
(「拾遺集」)

「便(たより)求(もとめ)し」は、「幸便を求めた(何らかのつてにて〜することを望んだ)」の意。

「いかで」以下は、「平兼盛が、何らかのつてにて(ついでに)関越えの感動を都の人に知らせたいものだ、と詠んだのももっともである」ほどの意。
風騒の人、心をとゞむ
「風騒の人」は、「詩歌を作って楽しむ人、風流の人」の意。

「心をとどむ」は、「心を寄せる、心を傾ける」意で、西行の次の歌を踏む。

白河の関屋を月のもるかげは
 人の心をとむるなりけり 西行
(「新拾遺集」)
秋風を耳に残し、紅葉を俤にして、青葉の梢猶あはれ也
「秋風」、「紅葉」は、それぞれ次の古歌に触れたもの。

都をば霞とともに立ちしかど
 秋風ぞ吹く白河の関   能因
(「後拾遺集」)
都にはまだ青葉にて見しかども
 紅葉散りしく白河の関  源頼政
(「千載和歌集」)
卯の花の白妙に、茨の花の咲そひて
「卯の花」は、初夏に咲くウツギの花。マルバウツギ・ヒメウツギなどの総称。ユキノシタ科の落葉低木。これを詠んだ歌が「千載和歌集」に見られる。

見て過ぐる人しなければ卯の花の
 咲ける垣ねや白川の関  藤原季通
(「千載和歌集」)

「茨の花」は、ノイバラなど、野生のバラ類を言う。
古人冠を正し、衣装を改し事など、清輔の筆にもとゞめ置れしとぞ
藤原清輔著の歌学書「袋草紙」の一節に触れたもの。

竹田大夫国行トイウ者、陸奥に下向ノ時「白河関過グル日ハ殊ニ装束ヒキツクロイ(体裁を整えて)ムカウ」ト云ウ。人問ウ「ナンラノ故カ」答ヘテ曰ク「古ヘ曽部入道(能因法師)ノ『秋風ゾ吹ク白河ノ関』ト詠マレタル所ヲバ、イカデカケナリ(普段着)ニテハ過ギン」ト。殊勝ナルコトカナ。
(「袋草紙」)

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本テキストは、俳聖 松尾芭蕉・生涯データベース
および、FLASHムービー「 おくのほそ道を行く」の副読本
としてLAP Edc. SOFTが制作したものです。




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