松尾芭蕉の旅 おくのほそ道
俳聖 松尾芭蕉・生涯データベース
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おくのほそ道 十七
飯塚温泉の章段










其夜飯塚にとまる温泉あれば湯に入て宿をかるに、土坐に筵を敷て、あやしき貧家也 その夜は飯塚に泊った。温泉があるので湯に入ってから宿を借りたが、そこは土間にむしろを敷いたばかりの粗末な貧家であった。
灯もなければ、ゐろりの火かげに寝所をまうけて臥す。 灯火もないので、いろりの火の明かりがさすところに寝床をこしらえて横になった。
夜に入て雷鳴、雨しきりに降て、臥る上よりもり、蚤・蚊にせゝられて眠らず。 夜になって雷が鳴り、雨がしきりに降って寝ている上から雨漏りがし、蚤や蚊に刺されて眠ることができない。
持病さへおこりて、消入斗になん おまけに持病さえ起こり、苦しみのため気を失うほどであった。
短夜の空もやうやう明れば、又旅立ぬ。 短い夏の夜もようやく明けたので、また旅立った。
猶、夜の余波心すゝまず、馬かりて桑折の駅に出る。 しかし、まだ昨夜の苦痛が残っていて気分が晴れ晴れしないので、馬を借りて桑折の宿場まで出た。
遥なる行末をかゝえて、斯る病覚束なしといへど、 長旅を前途に控えて、このような病があっては先行き不安ではあるが、
羇旅辺土の行脚、捨身無常の観念、 この旅はそもそも辺ぴな田舎をめぐる行脚なのであり、俗世間から身を捨て、人の世のはかなさを覚悟してのことなのだから、
道路にしなん、是天の命なりと、気力聊とり直し、路縦横に踏で伊達の大木戸をこす 旅中、道ばたで死ぬようなことがあっても天命なのだと、気力を少しばかり取り戻し、道を思いのままに踏み締めて伊達の大木戸を越えたのだった。
   
[ 旅のあらすじ ]

五月二日(新暦六月十八日)、文知摺観音、医王寺と巡り歩いた芭蕉一行は、摺上川べりの出湯の里に旅寝の宿を借りた。その家、「土坐に筵を敷て、あやしき貧家」については詳(つまび)らかでないが、当地に残る伝承の一つに、昭和十二年(1937)に火事で焼失した「滝の湯」の湯番小屋だったというのがある。その位置は、旅館「花水館」の脇道から階段を降りたところで、現在、跡地に「おくのほそ道」の「飯塚温泉の章段」を刻する芭蕉記念碑が建てられている。

本文では、夜中に持病が起こり難渋したことになっているが、「随行日記」にはこれを記すくだりは見られない。ともかくも 「消入斗」の病苦に苛(さいな)まれつつ迎えた
五月三日(新暦六月十九日)の朝、一行は、小雨そぼ降る中、かつて、奥州藤原泰衡と源頼朝の軍勢が対決した伊達の大木戸の地に思いを馳せながら、飯坂の里を旅立って行った。

桑折トかいた(貝田)の間ニ伊達ノ大木戸ノ場所有(国見峠ト云山有)。コスゴウトかいた(貝田)トノ間ニ福島領(今ハ桑折ヨリ北ハ御代官所也)ト仙台領(是ヨリ刈田郡之内)トノ堺有。(「随行日記」)
飯坂温泉の家並 駅前からの風景 「飯塚の宿里」の図 滝の湯跡 伊達の大木戸
 
 
 




17
飯塚温泉

[語 釈]

其夜飯塚にとまる
曽良日記の五月二日の条に「飯坂ニ宿」とあることから、この夜の宿は、実際には「飯塚」ではなく「飯坂(現在の福島市飯坂町)」と見られる。かつての「飯塚村」の位置は、現在の飯坂町平野[資料]の内。

福島ヨリ弐里。こほり(桑折)ヨリモ弐里。瀬ノウヱヨリ壱リ半也。川ヲ越、十町程東ニ飯坂ト云所有。湯有。村ノ上ニ庄司館跡有。下リニハ福島ヨリ佐波野・飯坂・桑折ト可行。上リニハ桑折・飯坂・佐場野・福島ト出タル由。昼ヨリ曇、夕方ヨリ雨降、夜ニ入、強。飯坂ニ宿。湯ニ入。
(「随行日記」)
温泉あれば湯に入て宿をかるに
「湯に入て」の「湯」については、かつて、花水館の脇道から石段を降りたところにあった「滝の湯[資料]」で、宿を借りて一夜を過ごしたのは「滝の湯」の湯番小屋だったという言い伝えが当地にある。今、その跡地に、飯塚温泉の章段を刻する芭蕉記念碑が建っている。
あやしき貧家也
ここでの「あやしき」は「粗末な」の意。
持病さへおこりて、消入斗になん
芭蕉の持病[資料]についてはさまざまに説かれるが、特に胃痙攣など胃腸に関わる病や痔疾で苦しんでいたようである。

「消入(きえいる)」は「あまりの苦しさに気を失う」といった意。
夜の余波心すゝまず
「夜の余波(なごり)」は、まだ昨夜の苦痛が残っていること。

「心すゝまず」は「心がはやらない、物事を積極的にしようとする気分になれない」の意。
桑折の駅
奥州街道の宿駅で、奥州街道と羽州街道の分岐点。現在、福島県伊達郡桑折町。仙台伊達藩の発祥の地。
羇旅辺土の行脚
「羇旅(きりょ)」は、旅または旅人。

「辺土(へんど)」は、辺ぴな田舎。

「行脚(あんぎゃ)」は、僧が諸国をめぐって旅をすること。転じて、一般人が徒歩で諸国を旅することもいう。
路縦横に踏で伊達の大木戸をこす
「縦横」は「勝手気まま」の意。

「路縦横に踏で」は、「道を思いのままに踏み締めて」ほどの意。「伊達」の大木戸から、「伊達な(人目を引く派手な)足取り」を連想した訳し方もある。

「伊達の大木戸[
資料]」は、福島県伊達郡国見町大木戸地区で、文治五年に奥州藤原泰衡と源頼朝の軍勢が決戦を交えたところ。

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「おくのほそ道」のテキストについて


本テキストは、俳聖 松尾芭蕉・生涯データベース
および、FLASHムービー「 おくのほそ道を行く」の副読本
としてLAP Edc. SOFTが制作したものです。




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