松尾芭蕉の旅 おくのほそ道
俳聖 松尾芭蕉・生涯データベース
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おくのほそ道 三十二
山寺の章段










山形領に立石寺と云山寺あり。慈覚大師の開基にして、殊清閑の地也 山形藩の領内に立石寺という山寺がある。慈覚大師が開かれた寺であり、とりわけ清らかで静かなところである。
一見すべきよし、人々のすゝむるに依て、尾花沢よりとつて返し、其間七里ばかり也。 「一度見ておいた方が良い」と人々に勧められ、尾花沢から引き返すように出かけたが、その間七里ほどであった。
日いまだ暮ず。梺の坊に宿かり置て、山上の堂にのぼる 着いた時は、日はまだ暮れていなかった。ふもとの宿坊に宿を借りておいて、山上の堂に登った。
岩に巌を重て山とし、松栢年旧土石老て苔滑に、岩上の院々扉を閉て物の音きこえず。 岩に岩を重ねたような山姿を呈し、松や杉、ひのきは老木となり、古くなった土や石は滑らかに苔むし、岩の上に建つ多くのお堂の扉は閉じられており、物音ひとつ聞こえない。
岸をめぐり岩を這て仏閣を拝し、佳景寂寞として心すみ行のみおぼゆ。 崖のふちをめぐり、岩を這うようにして仏閣を参拝したが、すばらしい景観は静寂の中でさらに映え、ただただ心が澄み渡っていくようであった。
_閑さや岩にしみ入蝉の声 なんと静かに思えることよ。その鳴き声しか聞こえず、かえって静けさがつのるように感じられる蝉の声は、まるで岩々にしみこんでいるかのようだ。
   
[ 旅のあらすじ ]
久しぶりに晴れた五月二十七日(新暦七月十三日)、十一日間停留の尾花沢に別れを告げ、午前八時半ごろ山寺に向けて出立した[資料]。予定にない旅だったが、人々の勧めにより、紅花[資料]を眺めながらの立石寺参詣の道中となった。鈴木清風の温情により、楯岡宿まで馬で送られ、引き続き、東根、六田を歩き、天童の一日町で山寺街道に踏み入った[資料]。楯岡・天童周辺および山寺街道沿いには紅花が満開となった畑が広がり、一面黄橙の花色に染まっていたと思われる。芭蕉の故郷・伊賀地方も紅花の産地であり、この旅は、芭蕉にとって感慨も一入(ひとしお)だったろう。
  立石(立石寺)の道ニテ 
まゆはきを俤にして紅花 翁
(「俳諧書留」)

芭蕉一行は、途中、六田宿にて知人に逢いながら尾花沢から六時間を所要し、午後二時半ごろ山寺に到着した。一息ついた後、山寺の「預かり坊」に旅荷を置き、立石寺の「山下・山上巡礼」に出掛けた。目的は不明だが、「随行日記」に、下山ののち「山形ヘ趣カン(ト)シテ止」とある。この日「預かり坊」に一夜の宿をとった。

廿七日 天気能。辰ノ中尅、尾花沢ヲ立テ立石寺ヘ趣。清風ヨリ馬ニテ舘岡(楯岡)迄被送ル。尾花沢。二リ、元飯田(本飯田)。一リ、舘岡(楯岡)。一リ、六田。馬次間ニ、内藏ニ逢。二リよ、天童(山形ヘ三リ半)。一リ半ニ近シ。山寺。未ノ下尅ニ着。宿預リ坊。其日、山上・山下巡礼終ル。是ヨリ山形ヘ三リ。山形ヘ趣カン(ト)シテ止ム。是ヨリ仙台ヘ趣路有。関東道、九十里余。 (「随行日記」)
 
 
 




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山寺

[語 釈]

山形領に立石寺と云山寺あり。慈覚大師の開基にして、殊清閑の地也
「山形領」は山形藩の領内。当時の藩主は、1686年〜1692年まで在任した松平直矩。

「立石寺[資料]」は、宝珠山阿所川院立石寺で、昔は「りゅうしゃくじ」と読んだが、今は普通「りっしゃくじ」と読まれる。通称「山寺」。貞観二年(860)に第五十六代清和天皇の勅願によって慈覚大師円仁[資料]が開山したと伝えられる。
梺の坊に宿かり置て、山上の堂にのぼる
「梺(麓)の坊」について、「随行日記」に「宿預リ坊」とある。この「預り坊」については、「(前略)庄屋村松伊助殿江宿預り坊を以申所二候得共」を記す宝永二年(1705)の「山寺立石寺古記録文書」などを典拠に、芭蕉の頃この号の宿坊が存在したことが説かれるが、立石寺側の見解は「不明」であり、積極的な説明はしていない。これに対し日枝神社は、境内にある「手水盤[資料]」の説明板の中で次のように説明している。

俳聖芭蕉と曽良が元禄二年五月二十七日(新七月十三日)未の下刻山寺に着き参詣し、麓の坊(預里)へ宿泊する。この手水盤は、その十年後元禄十二年四月十九日、今から二百九十年前に山王権現日枝神社に寄進されたもので『預里』を筆頭に寄進者の名が刻まれている。『預里』は麓の坊であり宿坊なのである。平成元年七月十三日 日枝神社。

また、次のように、「預り坊」を普通名詞として捉える、すなわち、「預り坊」を「(山内で宿などを)預かり(提供する)坊」として捉える方法もある。立石寺第六十七世芳田和尚を兄弟にし、山寺尋常高等小学校の初代校長を務められた故伊澤不忍氏は著作「山寺百話」の中で、「何という宿預かり坊なのか」という問いかけをした後に、芭蕉の頃、登山口に「信敬坊」、「徳善坊」という二つの宿坊があったことを述し、城主が参詣の際に利用するほどの宿坊だったことなどを根拠に、「徳善坊」を芭蕉止宿の「預り坊」と推定されている。
松栢
「松栢(柏)」は、松と柏(ヒノキ科の植物)。また、松柏類として、広く、松、杉、檜など裸子植物の一群を指す。
岩上の院々
現在立石寺の山上に、観明院、性相院、金乗院、中性院、華蔵院が建つ。芭蕉のころの規模は不明だが、享保七年(1722)の松本一笑軒著「山寺状」では、山上に十七院を数えている。
閑さや岩にしみ入蝉の声
「俳諧書留」や「初蝉」所収の句から、本句に定まるまでの推敲課程が知られる。山寺の蝉の声、および斎藤茂吉と小宮豊隆の蝉論争については[資料]を参照。

山寺や石にしミつく蝉の聲
(「俳諧書留」)

さびしさや岩にしみ込蝉の声
(風国撰「初蝉」)

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本テキストは、俳聖 松尾芭蕉・生涯データベース
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