松尾芭蕉の旅 おくのほそ道
俳聖 松尾芭蕉・生涯データベース
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おくのほそ道 三十三
大石田の章段










最上川のらんと、大石田と云所に日和を待 最上川を舟に乗って下ろうと、大石田というところで日和を待つ。
爰に古き誹諧の種こぼれて忘れぬ花のむかしをしたひ かつて、ここに古き俳諧の文化が伝えられ、それが実って定着し、盛んに詠まれた頃を忘れずに懐かしがっている。
芦角一声の心をやはらげ此道にさぐりあしゝて新古ふた道にふみまよふといへども、 葦笛の響きのような田舎じみた心を、俳諧が慰めてくれるので、これから先の進路について決め兼ねて、旧態依然とした古風俳諧ながらこれを継承していくか、それとも新風の蕉風俳諧を会得するか、迷っているのだが、
みちしるべする人しなければわりなき一巻残しぬ。 舵取りしてくれる人がいないので是非に、というので、止むを得ず歌仙一巻を巻いて残した。
このたびの風流爰に至れり。 「風流の初」の田植え唄で幕をあけた「おくのほそ道」の風流体感は、この大石田に蕉風俳諧の種をこぼすという形で結実したことである。
   
[ 旅のあらすじ ]
五月二十八日(新暦七月十四日)、山寺で馬を借りて天童まで下ると、一行は、昨日歩んだ羽州街道を再び旅し、高野一栄[]が待つ大石田へと向った。途中、六田で知人宅に立ち寄り、大石田到着は、午後の二時ごろとなった[]。

翌五月二十九日(新暦七月十五日)、芭蕉、一栄、高桑川水、曽良の四名で歌仙が巻かれたが、この日は一巡し終えたところで詠み終え、近くの黒滝山向川寺に逍遥した。曽良は、疲労により在宅した。「新古ふた道にふみまよふ」地方俳士への新風伝授は、この道々に成されたものと見られる[]。

明けて
五月三十日(新暦七月十六日)、昨日と同じ連衆にて「さみだれを」歌仙が満尾し、芭蕉は自らこの一巻を清書した。
最上川・A地点から B地点から C地点から 高野一栄宅跡 黒滝山向川寺
 
 
 




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大石田

[語 釈]

最上川[資料]
西吾妻山を水源とし、置賜、村山、最上、庄内の県内全域を川筋として日本海に入る大河川。下記の歌などに詠まれた歌枕。球磨川(熊本県)、富士川(山梨県、静岡県)とともに日本三大急流の一つに数えられる。総延長229キロの流路がすべて山形県に属し、この距離は、一県のみを流れる川としては日本最大。

もがみ川のぼればくだる稲舟の
 いなにはあらずこの月ばかり 東歌 
(「古今和歌集」)

もがみ川ふかきにもあへずいな舟の
 心かるくも帰るなるかな   三条右大臣
(「後撰和歌集」)

最上川せゞの岩波せきとめよ
 寄らでぞ通るしらいとのたき

もがみがは岩越す波に月さえて
 よるおもしろき白糸のたき
(「義経記」の「直江の津にて笈さがされし事」の段)
大石田
現在、山形県北村山郡大石田町。尾花沢市、村山市、最上郡舟形町に隣接する。江戸期に最上川舟運で栄えた旧河川港で、特に元禄期に隆盛を極め、大石田に属する川舟が三百艘ほどに達したという。「大石田」の地名の起こりについて、江戸の頃、集落の中心部に大きな湯殿山碑があったからとする説がある。

芭蕉を敬慕し当地に足跡を残した文人墨客は数多いが、「はて知らずの記[資料]」の旅で立ち寄った正岡子規と、昭和二十一年一月三十日から翌年十一月三日まで一年九ヵ月にわたって逗留した斎藤茂吉[資料]が特に知られる。
日和を待
「天候の回復を待つ」意だが、大石田着の五月二十八日は「危シテ雨不降」(「随行日記」)、翌二十九日は「夜ニ入小雨ス」、晦日は「朝曇、辰刻晴」で、この間、降り止むのを待つほど雨は降っていない。このことから、「日和を待」は、土地の俳人との交流、および「五月雨を」の句を導入するための虚構と見られる。しかし、五月十五日まで遡ってみると、晴れの日は幾許もないことから、最上川の増水により舟の漕ぎ出しができず、水が引くのを待っていた可能性もある。
古き誹諧の種こぼれて
大淀三千風[資料]が全国行脚の折、当地の俳人に談林俳諧を伝授したことを指す。三千風は、十五年間を松島、仙台で過ごした後、天和三年(1683)に仙台から全国行脚の旅に出た。旅の最中の貞享三年(1686)九月、三千風は尾花沢を訪れて三十日余り滞在し、その間、村川残水、三井宗智、鈴木宗圓といった尾花沢の縁者や、鈴木似休等の旧友、大石田の一栄らと交流を図り、談林俳諧に遊んでいる。
忘れぬ花のむかしをしたひ
「花」は、こぼれた古き俳諧の「種」に対応し、その古き俳諧が定着したことを意味する。文意は「(伝えられた古き俳諧の文化が定着し)盛んに詠まれた頃を今も忘れずに懐かしんで」の意。
芦角一声の心をやはらげ
「芦(あし)」は「蘆(あし)」の異体字。「芦角(ろかく)」は「蘆の葉を巻いて作った笛」で「葦笛(あしぶえ)」とも。

「芦角一声の心をやわらげ」は、「蘆笛の響きのような田舎じみた心を、俳諧が慰めてくれる」の意。
此道にさぐりあしゝて
「此道」は俳諧の道。

「さぐりあし」は「探り足」。ここでは、これから先の進路を決め兼ね「ふみまよ」っている様子を表す。
新古ふた道にふみまよふ
芭蕉の新風を会得するか、談林の古風を継承するか、決め兼ねている意。
みちしるべする人しなければ
「みちしるべ」は、「さぐりあし」および「ふみまよふ」に対する助言、指導。「人し」の「し」は強意の副助詞。
わりなき一巻
「わりなし」に、「止むを得ない」や「優れている、すばらしい」などの意があるが、ここでは前者の意。
このたびの風流爰に至れり
「風流の初」の田植え唄で幕をあけた「おくのほそ道」の風流体感が、この大石田に蕉風の種をこぼすという形で結実した、といった意。詳しくは[
資料]を参照。

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「おくのほそ道」のテキストについて


本テキストは、俳聖 松尾芭蕉・生涯データベース
および、FLASHムービー「 おくのほそ道を行く」の副読本
としてLAP Edc. SOFTが制作したものです。




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