松尾芭蕉の旅 おくのほそ道
俳聖 松尾芭蕉・生涯データベース
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おくのほそ道 三十四
最上川の章段










最上川はみちのくより出て、山形を水上とす。 最上川は、みちのくから流れ出て、山形あたりを水上(みなかみ)とし、
ごてんはやぶさなど云おそろしき難所有。 途中、碁点、隼などという恐ろしい難所があり、
板敷山の北を流て、果は酒田の海に入。 この先で、板敷山の北を流れ、果ては酒田の海に入る。
左右山覆ひ、茂みの中に船を下す。 両岸から山が迫り、川を覆うようであり、そうした中、茂みの中に船を下す。
是に稲つみたるをや、いな船といふならし。 この船に稲を積んだのを、稲船というのだろう。
白糸の瀧は青葉の隙隙に落て仙人堂岸に臨て立。 白糸の滝は、青葉の隙間から流れ落ちるのが見え、この上流にあるある仙人堂は、川に面して建っている。
水みなぎつて舟あやうし。 水流がみちあふれ、舟が危険である。  
_五月雨をあつめて早し最上川[資料] 数々の山川から五月雨を集めてきた最上川は、ここに至り、更に両岸の山から直接水を集めて満ち満ちて、滑るような勢いで流れていく。  
   
[ 旅のあらすじ ]
六月一日(新暦七月十七日)、大石田を立つ。芭蕉一行は、一栄、川水が用意した馬で猿羽根峠を越え、舟形の宿駅に至った。ここから新庄まで二里八町。一行は、尾花沢で知り合いとなった豪商、渋谷風流宅を目指し、新庄城下へと急いだ。当時の新庄藩は二代藩主戸沢正誠(まさのぶ)の代で、この頃までに初代藩主政盛から継承した藩政の諸策が整い、城下は財政、文化両面において全盛の時代を迎えていた。到着のこの日、風流宅で芭蕉歓迎の宴が設けられ、席上、「水の奥」三つ物が詠まれたようである[資料]。

風流宅で朝を迎えた
六月二日(新暦七月十八日)、芭蕉は、渋谷九郎兵衛(盛信)に招かれ、当家で「御尋に」歌仙を巻いた[資料]。連衆は、風流、芭蕉、曽良、孤松、柳風、如柳(如流)、木端の七名だった。風流の本家にあたる九郎兵衛は風流の兄で、風流宅の斜向いに屋敷を構えていた。九郎兵衛は大規模な問屋業を営む商人で、城下一の豪商だったと伝えられる。

六月三日(新暦七月十九日)[資料]、芭蕉一行は、本合海に向けて新庄を立つ。城下から本合海まで一里半。当時の本合海は、その上流に位置する清水河岸(大蔵村)の枝河岸に格付けされた河港で、主に旅人や商い荷物の発着港として利用されていた。最上川を下った芭蕉は、途中、古口の船番所で改めを受けた後、仙人堂、白糸の滝を眺めながら最上川河港「清川」に到着した。
猿羽根峠 渋谷風流宅跡 本合海 仙人堂 白糸の滝
 
 
 




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最上川

[語 釈]

最上川[資料]
西吾妻山を水源とし、置賜、村山、最上、庄内の県内全域を川筋として日本海に入る大河川。下記の歌などに詠まれた歌枕。球磨川(熊本県)、富士川(山梨県、静岡県)とともに日本三大急流の一つに数えられる。総延長229キロの流路がすべて山形県に属し、この距離は、一県のみを流れる川としては日本最大。

もがみ川のぼればくだる稲舟の
 いなにはあらずこの月ばかり 東歌 
(「古今和歌集」)

もがみ川ふかきにもあへずいな舟の
 心かるくも帰るなるかな   三条右大臣
(「後撰和歌集」)

最上川せゞの岩波せきとめよ
 寄らでぞ通るしらいとのたき

もがみがは岩越す波に月さえて
 よるおもしろき白糸のたき
(「義経記」の「直江の津にて笈さがされし事」の段)
ごてん
碁点。最上川三難所[資料]の一つ。鼠色の緻密な第三紀の凝灰岩が露出しているところで、深場以外の所は岩礁が水面間際まで迫り出している。こうした川のつくりのため、水流はかなり速い。「碁点」の名は、川床に碁石を並べたような岩の突起があることに由来するという。三難所は、ともに大石田の上流にあり、芭蕉は目にしていない。
はやぶさ
隼。最上川最大の難所で、川幅全体に岩礁が横たわり急灘をなしている。隼の瀬では、弘化三年(1846)に二百五十俵の年貢米を積む新庄藩の船が破船し、安政四年(1857)にも最上商人の船が破船するなど、数々の船がこの瀬の通行で難破した。
板敷山
下記の「夫木和歌抄」の歌などに詠まれた歌枕。白糸の滝の真南十キロほど先に聳える標高630mの山で、最上峡の南岸一帯に山裾を広げている。道路が築かれる以前は、この山の峰伝いが内陸と庄内を結ぶ唯一の陸路だった。

みちのくに近き出羽の板敷の
 山に年ふるわれぞ侘びしき よみ人しらず
(「夫木和歌抄」)
いな船
昔、稲を積んで運んだ細長い舟。底が平たいので上下の揺れが激しく不安定。人や物品の運搬にも使用された。
白糸の瀧[資料]
歌枕。仙人堂と芭蕉の上陸地清川とのほぼ中間にある。滝壷近くが浅瀬になっているため舟寄せができず、遠望するのみ。
仙人堂[資料]
緩やかなS字を描いて蛇行する最上峡の(下流に向って)右岸に、鳥居を構えて鎮座する。外川神社とも呼ばれ、祭神は日本武尊。鎧明神、兜明神、竜明神、本合海八向明神とともに「最上の五明神」に数えられ、農業や航海安全の神として信仰を集めている。

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本テキストは、俳聖 松尾芭蕉・生涯データベース
および、FLASHムービー「 おくのほそ道を行く」の副読本
としてLAP Edc. SOFTが制作したものです。




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