おくのほそ道  [読み方]
俳聖 松尾芭蕉・生涯データベース
おくのほそ道 三十五  出羽三山
六月三日、羽黒山(はぐろさん)に登る。図司左吉(ずしさきち)と云(いう)者を尋(たずね)て、別当代(べっとうだい)会覚阿闍利(えがくあじゃり)に謁(えつ)す。南谷(みなみだに)の別院(べついん)に舎(やどり)して憐愍(れんみん)の情(じょう)こまやかにあるじせらる。
四日、本坊
(ほんぼう)にをゐて誹諧(はいかい)興行(こうぎょう)
  有難
(ありがた)や雪をかほらす南谷(みなみだに) 
五日、権現
(ごんげん)に詣(もうず)。当山(とうざん)開闢(かいびゃく)能除大師(のうじょだいし)はいづれの代(よ)の人と云(いう)事をしらず。延喜式(えんぎしき)に「羽州(うしゅう)里山(さとやま)の神社」と有(あり)。書写(しょしゃ)、「黒」の字を「里山」となせるにや。「羽州黒山(くろやま)」を中略(ちゅうりゃく)して「羽黒山」と云にや。「出羽(でわ)」といへるは、「鳥の毛羽(もうう)を此国(このくに)の貢(みつぎもの)に献(たてまつ)る」と風土記(ふどき)に侍(はべる)とやらん。月山(がっさん)・湯殿(ゆどの)を合(あわせ)て三山(さんざん)とす。当寺(とうじ)武江(ぶこう)東叡(とうえい)に属(しょく)して天台止観(てんだいしかん)の月(つき)(あき)らかに、円頓(えんどん)融通(ゆずう)の法(のり)の灯(ともしび)かゝげそひて、僧坊(そうぼう)(むね)をならべ、修験(しゅげん)行法(ぎょうほう)を励(はげま)し、霊山(れいざん)霊地(れいち)の験効(げんこう)、人(ひと)(とうとび)(かつ)(おそ)る。繁栄(はんえい)(とこしなえ)にして、めで度(たき)御山(おやま)と謂(いい)つべし。 
八日、月山
(がっさん)にのぼる。木綿(ゆう)しめ身に引(ひき)かけ、宝冠(ほうかん)に頭(かしら)を包(つつみ)、強力(ごうりき)と云ものに道(みち)びかれて、雲霧(うんむ)山気(さんき)の中に氷雪(ひょうせつ)を踏(ふみ)てのぼる事(こと)八里(はちり)、更(さら)に日月(じつげつ)行道(ぎょうどう)の雲関(うんかん)に入(いる)かとあやしまれ、息絶(いきたえ)(み)こゞえて頂上(ちょうじょう)に至(いた)れば、日(ひ)(ぼっし)て月(つき)(あらわ)る。笹を鋪(しき)、篠(しの)を枕(まくら)として、臥(ふし)て明(あく)るを待(まつ)。日(ひ)(いで)て雲(くも)(きゆ)れば湯殿(ゆどの)に下(くだ)る。谷の傍(かたわら)に鍛治小屋(かじごや)と云(いう)(あり)。此国(このくに)の鍛治(かじ)、霊水(れいすい)を撰(えらび)て爰(ここ)に潔斎(けっさい)して劔(つるぎ)を打(うち)、終(ついに)月山(がっさん)と銘(めい)を切(きっ)て世に賞(しょう)せらる。彼(かの)龍泉(りゅうせん)に剣(つるぎ)を淬(にらぐ)とかや。干将(かんしょう)・莫耶(ばくや)のむかしをしたふ。道に堪能(かんのう)の執(しゅう)あさからぬ事しられたり。岩に腰(こし)かけてしばしやすらふほど、三尺ばかりなる桜のつぼみ半(なか)ばひらけるあり。ふり積(つむ)雪の下に埋(うずもれ)て、春を忘れぬ遅(おそ)ざくらの花の心(こころ)わりなし。炎天(えんてん)の梅花(ばいか)(ここ)にかほるがごとし。行尊僧正(ぎょうそんそうじょう)の哥(うた)の哀(あわれ)も爰(ここ)に思ひ出(いで)て、猶(なお)まさりて覚(おぼ)ゆ。惣而(そうじて)(この)山中(さんちゅう)の微細(みさい)、行者(ぎょうじゃ)の法式(ほうしき)として他言(たごん)する事を禁(きん)ず。仍(よりて)て筆をとゞめて記(しる)さず。坊(ぼう)に帰(かえ)れば、阿闍利(あじゃり)の需(もとめ)に依(より)て、三山(さんざん)順礼(じゅんれい)の句々(くく)短冊(たんじゃく)に書(かく)。 
  涼
(すず)しさやほの三か月の羽黒山 
  雲の峯
(みね)(いく)つ崩(くずれ)て月の山 
  語
(かた)られぬ湯殿(ゆどの)にぬらす袂(たもと)かな 
  湯殿山
(ゆどのさん)(ぜに)ふむ道の泪(なみだ)かな 曽良(そら)
 
おくのほそ道 三十六  鶴岡・酒田
羽黒(はぐろ)を立(たち)て、鶴(つる)が岡の城下(じょうか)、長山氏重行(はながやうじじゅうこう)と云(いう)物のふの家にむかへられて、誹諧(はいかい)一巻(ひとまき)(あり)。左吉(さきち)も共(ともに)に送(おく)りぬ。川舟(かわぶね)に乗(のり)て酒田(さかた)の湊(みなと)に下(くだ)る。淵庵不玉(えんあんふぎょく)と云(いう)医師(くすし)の許(もと)を宿(やど)とす。
  あつみ山
(やま)や吹浦(ふくうら)かけて夕すゞみ 
  暑
(あつ)き日を海にいれたり最上川(もがみがわ)
 
おくのほそ道 三十七  象潟
江山(こうざん)水陸(すいりく)の風光(ふうこう)(かず)を尽(つく)して、今(いま)象潟(きさがた)に方寸(ほうすん)を責(せむ)。酒田(さかた)の湊(みなと)より東北の方(かた)、山を越(こえ)(いそ)を伝(つた)ひ、いさごをふみて、其際(そのきわ)十里(じゅうり)、日影(ひかげ)やゝかたぶく比(ころ)、汐風(しおかぜ)真砂(まさご)を吹上(ふきあげ)、雨(あめ)朦朧(もうろう)として鳥海(ちょうかい)の山かくる。闇中(あんちゅう)に莫作(もさく)して、「雨も又(また)(き)(なり)」とせば、雨後(うご)の晴色(せいしょく)(また)頼母敷(たのもしき)と、蜑(あま)の苫屋(とまや)に膝(ひざ)をいれて雨の晴(はるる)を待(まつ)。 
其朝
(そのあした)、天(てん)(よく)(はれ)て、朝日(あさひ)花やかにさし出(いず)る程(ほど)に、象潟に舟をうかぶ。先(まず)能因嶋(のういんじま)に舟をよせて、三年(さんねん)幽居(ゆうきょ)の跡(あと)をとぶらひ、むかふの岸に舟をあがれば、「花の上こぐ」とよまれし桜の老木(おいき)、西行法師(さいぎょうほうし)の記念(かたみ)をのこす。江上(こうじょう)に御陵(みささぎ)あり。神功后宮(じんぐうこうぐう)の御墓(みはか)と云。寺を干満珠寺(かんまんじゅじ)と云。比處(このところ)に行幸(みゆき)ありし事いまだ聞(きか)ず。いかなる事にや。此寺(このてら)の方丈(ほうじょう)に座(ざ)して簾(すだれ)を捲(まけ)ば、風景(ふうけい)一眼(いちがん)の中(うち)に尽(つき)て、南に鳥海(ちょうかい)天をさゝえ、 其陰(そのかげ)うつりて江(え)にあり。西はむやむやの関(せき)、路(みち)をかぎり、東に堤(つつみ)を築(きずき)て秋田(あきた)にかよふ道(みち)(はるか)に、海(うみ)北にかまえて浪(なみ)打入(うちいる)る所(ところ)を汐(しお)こしと云。江(え)の縦横(じゅうおう)一里(いちり)ばかり、俤(おもかげ)松嶋(まつしま)にかよひて又異(こと)なり。松嶋は笑(わら)ふが如(ごと)く、象潟はうらむがごとし。寂(さび)しさに悲(かな)しみをくはえて、地勢(ちせい)(たましい)をなやますに似(に)たり。 
  象潟や雨に西施
(せいし)がねぶの花 
  汐越
(しおこし)や鶴(つる)はぎぬれて海(うみ)(すず)し 
   祭礼
(さいれい)
  象潟や料理
(りょうり)何くふ神祭(かみまつり) 曽良(そら)
  蜑
(あま)の家(や)や戸板(といた)を敷(しき)て夕涼(ゆうすずみ) 
                      みのゝ国の商人
(あきんど) 低耳(ていじ) 
   岩上
(がんしょう)に雎鳩(みさご)の巣(す)をみる 
  波
(なみ)こえぬ契(ちぎり)ありてやみさごの巣(す) 曽良
 
おくのほそ道 三十八  越後路
酒田(さかた)の余波(なごり)日を重(かさね)て、北陸道(ほくろくどう)の雲(くも)に望(のぞむ)、遙々(ようよう)のおもひ胸(むね)をいたましめて加賀(かが)の府(ふ)まで百卅里(ひゃくさんじゅうり)と聞(きく)。鼠(ねず)の関をこゆれば、越後(えちご)の地に歩行(あゆみ)を改(あらため)て、越中(えっちゅう)の国(くに)(いち)ぶりの関に到(いた)る。此間(このかん)九日(ここのか)、暑湿(しょしつ)の労(ろう)に神(しん)をなやまし、病(やまい)おこりて事をしるさず。
文月
(ふみづき)や六日(むいか)も常(つね)の夜(よ)には似(に)ず 
  荒海
(あらうみや)や佐渡(さど)によこたふ天河(あまのがわ)
 
おくのほそ道 三十九  市振
今日(きょう)は親しらず子しらず・犬もどり・駒返(こまがえ)しなど云(いう)北国一(ほっこくいち)の難所(なんじょ)を越(こえ)てつかれ侍(はべ)れば、枕(まくら)(ひき)よせて寐(ね)たるに、一間(ひとま)(へだて)て面(おもて)の方(かた)に若き女の声(こえ)二人(ふたり)(ばかり)ときこゆ。年老(としおい)たるおのこの声も交(まじり)て物語(ものがたり)するをきけば、越後(えちご)の国(くに)新潟(にいがた)と云(いう)所の遊女(ゆうじょ)(なり)し。伊勢(いせ)参宮(さんぐう)するとて、此関(このせき)までおのこの送(おく)りて、あすは古郷(ふるさと)にかへす文(ふみ)したゝめて、はかなき言伝(ことづて)などしやる也(なり)。「白浪(しらなみ)のよする汀(みぎわ)に身をはふらかし、あまのこの世をあさましう下(くだ)りて、定(さだ)めなき契(ちぎり)、日々(ひび)の業因(ごういん)いかにつたなし」と、物云(ものいう)をきくきく寐入(ねいり)て、あした旅立(たびだつ)に、我々(われわれ)にむかひて、「行衛(ゆくえ)しらぬ旅路(たびじ)のうさ、あまり覚束(おぼつか)なう悲(かな)しく侍(はべ)れば、見えがくれにも御跡(おんあと)をしたひ侍(はべら)ん。衣(ころも)の上の御情(おんなさけ)に、大慈(だいじ)のめぐみをたれて結縁(けちえん)せさせ給(たま)へ」と泪(なみだ)を落(おと)す。不便(ふびん)の事には侍(はべ)れども、「我々は所々(ところどころ)にてとゞまる方(かた)おほし。只(ただ)人の行(ゆく)にまかせて行(ゆく)べし。神明(しんめい)の加護(かご)かならず恙(つつが)なかるべし」と云捨(いいすて)て出(いで)つゝ、哀(あわれ)さしばらくやまざりけらし。 
  一家
(ひとつや)に遊女もねたり萩(はぎ)と月
曽良
(そら)にかたれば、書(かき)とゞめ侍(はべ)る。
 
おくのほそ道 四十  那古の浦
くろべ四十八か瀬(しじゅうはちがせ)とかや、数(かず)しらぬ川をわたりて、那古(なご)と云(いう)(うら)に出(いず)。擔篭(たこ)の藤浪(ふじなみ)は春ならずとも、初秋(はつあき)の哀(あわれ)とふべきものをと人に尋(たずぬ)れば、「是(これ)より五里(ごり)いそ伝(づた)ひして、むかふの山陰(やまかげ)にいり、蜑(あま)の苫(とま)ぶきかすかなれば、蘆(あし)の一夜(ひとよ)の宿(やど)かすものあるまじ」といひをどされて、かゞの国に入(いる)
  わせの香
(か)や分入(わけいる)右は有磯海(ありそうみ)
 
おくのほそ道 四十一  金沢
(う)の花山(はなやま)・くりからが谷(だに)をこえて、金沢(かなざわ)は七月(しちがつ)(なか)の五日(いつか)(なり)。爰(ここ)に大坂(おおざか)よりかよふ商人(あきんど)何処(かしょ)と云(いう)(もの)(あり)。それが旅宿(りょしゅく)をともにす。一笑(いっしょう)と云(いう)ものは、此道(このみち)にすける名のほのぼの聞(きこ)えて、世に知人(しるひと)も侍(はべり)しに、去年(こぞ)の冬(ふゆ)早世(そうせい)したりとて、其兄(そのあに)追善(ついぜん)を催(もよお)すに、 
  塚
(つか)も動(うご)け我(わが)(なく)(こえ)は秋の風
   ある草庵
(そうあん)にいざなはれて 
  秋涼し手毎
(てごと)にむけや瓜(うり)茄子(なすび)
   途中吟
(とちゅうぎん)
  あかあかと日は難面
(つれなく)もあきの風
   小松と云
(いう)(ところ)にて 
  しほらしき名や小松
(こまつ)(ふく)(はぎ)すゝき
 
おくのほそ道 四十二  小松
此所(このところ)太田(ただ)の神社に詣(もうず)。真盛(さねもり)が甲(かぶと)・錦(にしき)の切(きれ)あり。往昔(そのかみ)源氏(げんじ)に属(しょく)せし時、義朝公(よしともこう)より給(たま)はらせ給(たまう)とかや。げにも平士(ひらさぶらい)のものにあらず。目庇(まびさし)より吹返(ふきがえ)しまで、菊から草(きくからくさ)のほりもの金(こがね)をちりばめ、龍頭(たつがしら)に鍬形(くわがた)(うつ)たり。真盛(さねもり)討死(うちじに)の後(のち)、木曽義仲(きそよしなか)願状(がんじょう)にそへて此社(このやしろ)にこめられ侍(はべる)よし、樋口(ひぐち)の次郎(じろう)が使(つかい)せし事(こと)(ども)、まのあたり縁記(えんぎ)にみえたり。
  むざんやな甲
(かぶと)の下(した)のきりぎりす
 
おくのほそ道 四十三  那谷寺
山中(やまなか)の温泉(いでゆ)に行(ゆく)ほど、白根が嶽(しらねがだけ)(あと)にみなしてあゆむ。左の山際(やまぎわ)に観音堂(かんのんどう)あり。花山(かざん)の法皇(ほうおう)三十三所(さんじゅうさんしょ)の順礼(じゅんれい)とげさせ給(たま)ひて後(のち)、大慈大悲(だいじだいひ)の像(ぞう)を安置(あんち)し給(たま)ひて、那谷(なた)と名付(なづけ)(たま)ふと也(なり)。那智(なち)・谷組(たにぐみ)の二字(にじ)をわかち侍(はべり)しとぞ。奇石(きせき)さまざまに、古松(こしょう)(うえ)ならべて、萱(かや)ぶきの小堂(しょうどう)(いわ)の上に造(つく)りかけて、殊勝(しゅしょう)の土地(とち)(なり)
  石山
(いしやま)の石(いし)より白(しろ)し秋の風
 
おくのほそ道 四十四  山中温泉
温泉(いでゆ)に浴(よく)す。其功(そのこう)有明(ありあけ)に次(つぐ)と云(いう)
  山中
(やまなか)や菊(きく)はたおらぬ湯(ゆ)の匂(におい)
あるじとする物
(もの)は久米之助(くめのすけ)とていまだ小童(しょうどう)(なり)。かれが父(ちち)誹諧(はいかい)を好(この)み、洛(らく)の貞室(ていしつ)若輩(じゃくはい)のむかし爰(ここ)に来(きた)りし比(ころ)、風雅(ふうが)に辱(はずか)しめられて、洛に帰(かえり)て貞徳(ていとく)の門人(もんじん)となつて世(よ)にしらる。功名(こうみょう)の後(のち)、此(この)一村(いっそん)判詞(はんじ)の料(りょう)を請(うけ)ずと云(いう)。今更(いまさら)むかし語(がたり)とはなりぬ。 
曽良
(そら)は腹(はら)を病(やみ)て、伊勢(いせ)の国(くに)長嶋(ながしま)と云所(いうところ)にゆかりあれば、先立(さきだち)て行(ゆく)に、
  行行
(ゆきゆき)てたふれ伏(ふす)とも萩(はぎ)の原 曽良
と書置
(かきおき)たり。行(ゆく)ものゝ悲(かな)しみ、残(のこる)ものゝうらみ、隻鳧(せきふ)のわかれて雲(くも)にまよふがごとし。予(よ)も又(また)
  今日
(きょう)よりや書付(かきつけ)(け)さん笠(かさ)の露(つゆ)
 
おくのほそ道 四十五  全昌寺
大聖持(だいしょうじ)の城外(じょうがい)、全昌寺(ぜんしょうじ)といふ寺(てら)にとまる。猶(まお)加賀(かが)の地(ち)(なり)。曽良(そら)も前の夜(よ)此寺(このてら)に泊(とまり)て、
  終宵
(よもすがら)秋風(あきかぜ)(きく)やうらの山
と残
(のこ)す。一夜(いちや)の隔(へだて)、千里(せんり)に同(おな)じ。吾(われ)も秋風(あきかぜ)を聞(きき)て衆寮(しゅりょう)に臥(ふせ)ば、明(あけ)ぼのゝ空(そら)(ちこ)う、読経(どきょう)(こえ)すむまゝに、鐘板(しょうばん)(なり)て食堂(じきどう)に入(いる)。けふは越前(えちぜん)の国(くに)へと、心(こころ)早卒(そうそつ)にして堂下(どうか)に下(くだ)るを、若(わか)き僧(そう)ども紙(かみ)・硯(すずり)をかゝえ、階(きざはし)のもとまで追(おい)(きた)る。折節(おりふし)庭中(ていちゅう)の柳(やなぎ)(ち)れば、 
  庭
(にわ)(はき)て出(いで)ばや寺(てら)に散(ちる)(やなぎ)
とりあへぬさまして草鞋
(わらじ)ながら書(かき)(す)つ。
 
おくのほそ道 四十六  汐越の松・天竜寺・永平寺
越前(えちぜん)の境(さかい)、吉崎(よしさき)の入江(いりえ)を舟に棹(さおさ)して汐越(しおこし)の松を尋(たず)ぬ。 
  終宵
(よもすがら)(あらし)に波(なみ)をはこばせて
   月をたれたる汐越の松 西行
(さいぎょう)
(この)一首(いっしゅ)にて数景(すけい)(つき)たり。もし一辧(いちべん)を加(くわう)るものは、無用(むようの)の指を立(たつ)るがごとし。 
丸岡
(まるおか)天龍寺(てんりゅうじ)の長老(ちょうろう)、古き因(ちなみ)あれば尋(たず)ぬ。又金沢の北枝(ほくし)といふもの、かりそめに見送(みおく)りて、此処(このところ)までしたひ来る。所々(ところどころ)の風景(ふうけい)(すぐ)さず思ひつゞけて、折節(おりふし)あはれなる作意(さくい)など聞(きこ)ゆ。今(いま)(すでに)(わかれ)に望(のぞ)みて、 
  物書
(ものかき)て扇(おうぎ)(ひき)さく余波(なごり)(かな)
五十丁
(ごじっちょう)山に入(いり)て永平寺(えいへいじ)を礼(らい)す。道元禅師(どうげんぜんじ)の御寺(みてら)(なり)。邦機(ほうき)千里(せんり)を避(さけ)て、かゝる山陰(やまかげ)に跡をのこし給(たま)ふも、貴(とうと)きゆへ有(あり)とかや。
 
おくのほそ道 四十七  福井
福井(ふくい)は三里(さんり)(ばかり)なれば、夕飯(ゆうめし)したゝめて出(いず)るに、たそがれの路たどたどし。爰(ここ)に等栽(とうさい)と云(いう)古き隠士(いんし)(あり)。いづれの年にか江戸(えど)に来(きた)りて予(よ)を尋(たずぬ)。遥(はるか)(と)とせ餘(あま)り也(なり)。いかに老(おい)さらぼひて有(ある)にや、将(はた)(しに)けるにやと人に尋(たずね)(はべ)れば、いまだ存命(ぞんめい)して そこそこと教(おし)ゆ。市中(しちゅう)ひそかに引入(ひきいり)て、あやしの小家(こいえ)に夕顔(ゆうがお)・へちまのはえかゝりて、鶏頭(けいとう)はゝ木ゝ(ははきぎ)に戸(と)ぼそをかくす。さては此(この)うちにこそと門(かど)を扣(たたけ)ば、侘(わび)しげなる女(おんな)の出(いで)て、「いづくよりわたり給(たま)ふ道心(どうしん)の御坊(ごぼう)にや。あるじは此(この)あたり何(なに)がしと云(いう)ものゝ方(かた)に行(ゆき)ぬ。もし用(よう)あらば尋(たずね)(たま)へ」といふ。かれが妻(つま)なるべしとしらる。むかし物がたりにこそかゝる風情(ふぜい)は侍(はべ)れと、やがて尋(たずね)あひて、その家(いえ)に二夜(ふたよ)とまりて、名月(めいげつ)はつるがのみなとにとたび立(だつ)。等栽(とうさい)も共(とも)に送(おく)らんと、裾(すそ)おかしうからげて、路(みち)の枝折(しおり)とうかれ立(たつ)
 
おくのほそ道 四十八  敦賀
(ようよう)白根(しらね)が嶽(だけ)かくれて、比那(ひな)が嵩(だけ)あらはる。あさむづの橋をわたりて、玉江(たまえ)の蘆(あし)は穂(ほ)に出(いで)にけり。鴬(うぐいす)の関(せき)を過(すぎ)て湯尾峠(ゆのおとうげ)を越(こゆ)れば、燧(ひうち)が城(じょう)、かへるやまに初鴈(はつかり)を聞(きき)て、十四日の夕ぐれつるがの津(つ)に宿(やど)をもとむ。その夜、月(つき)(ことに)(はれ)たり。「あすの夜(よ)もかくあるべきにや」といへば、「越路(こしじ)の習(なら)ひ、猶(なお)明夜(めいや)の陰晴(いんせい)はかりがたし」と、あるじに酒すゝめられて、けいの明神(みょうじん)に夜参(やさん)す。仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の御廟(ごびょう)(なり)。社頭(しゃとう)(かん)さびて、松の木(こ)の間(ま)に月のもり入(はいり)たる、おまへの白砂(はくさ)(しも)を敷(しけ)るがごとし。「往昔(そのかみ)遊行二世(ゆぎょうにせ)の上人(しょうにん)、大願発起(たいがんほっき)の事ありて、みづから草を刈(かり)、土石(どせき)を荷(にな)ひ、泥渟(でいてい)をかはかせて、参詣(参詣)往来(往来)の煩(わずらい)なし。古例(これい)今にたえず。神前(しんぜん)に真砂(まさご)を荷(にな)ひ給(たま)ふ。これを遊行の砂持(すなもち)と申(もうし)(はべ)る」と、亭主(ていしゅ)のかたりける。 
  月
(つき)(きよ)し遊行のもてる砂の上 
十五日、亭主の詞
(ことば)にたがはず雨降(あめふる)。 
  名月
(めいげつや)や北国(ほっこく)日和(びより)(さだめ)なき
 
おくのほそ道 四十九  種の浜
十六日、空(そら)(はれ)たれば、ますほの小貝(こがい)ひろはんと種(いろ)の濱(はま)に舟を走(は)す。海上(かいじょう)七里(しちり)あり。天屋(てんや)何某(なにがし)と云(いう)もの、破籠(わりご)・小竹筒(ささえ)などこまやかにしたゝめさせ、僕(しもべ)あまた舟にとりのせて、追風(おいかぜ)(とき)のまに吹(ふき)(つき)ぬ。濱はわづかなる海士(あま)の小家(こいえ)にて、侘(わび)しき法花寺(ほっけでら)あり。爰(ここ)に茶を飲(のみ)、酒をあたゝめて、夕ぐれのさびしさ感(かん)に堪(たえ)たり。
  寂
(さび)しさや須磨(すま)にかちたる濱の秋 
  波の間
(ま)や小貝にまじる萩(はぎ)の塵(ちり)
其日
(そのひ)のあらまし、等栽(とうさい)に筆をとらせて寺に残す。
 
おくのほそ道 五十  大垣
露通(ろつう)も此(この)みなとまで出(いで)むかひて、みのゝ国へと伴(ともな)ふ。駒(こま)にたすけられて大垣(おおがき)の庄(しょう)に入(いれ)ば、曽良(そら)も伊勢(いせ)より来(きた)り合(あい)、越人(えつじん)も馬をとばせて、如行(じょこう)が家に入(いり)(あつま)る。前川子(ぜんせんし)・荊口(けいこう)父子(ふし)、其外(そのほか)したしき人々(ひとびと)日夜(にちや)とぶらひて、蘇生(そせい)のものにあふがごとく、且(かつ)(よろこ)び且(かつ)いたはる。旅の物うさもいまだやまざるに、長月(ながつき)六日(むいか)になれば、伊勢(いせ)の遷宮(せんぐう)おがまんと、又舟にのりて、 
  蛤
(はまぐり)のふたみにわかれ行(ゆく)秋ぞ
 

 
これまでに、「出羽三山の章段」までのテキストが作成されています。
  
すべての章段のテキストが揃う年月は、現在のところ未定です。

  



掲載しているデータとリンクについて

テキストデータの無断使用・転載を固く禁止します。

  
リンクを張られる場合は、下記アドレスを対象としてください。
  
http://www.bashouan.com


 

  
俳聖 松尾芭蕉・生涯データベース
 
おくのほそ道

生涯データベース目次

 

 
おくのほそ道 総合データベース
 
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
 
総合目次
 


Copyright(C) 2004  LAP Edc. SOFT.  All Rights Reserved.

 Maintained online by webmaster@bashouan.com
 
LAP Edc. SOFTのホームページ

 
LAP Edc. SOFTのホームページ