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山崎藤吉著 「芭蕉全傳」
編  第 章 隠遁  所在地 家
_ p.10
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第四章 隠 遁

 所在地 家

芭蕉の移った家は、採荼庵梅人の説によれば。

杉風本国三河、杉山氏、御入国(家康の江戸入)の頃より公用の納屋たり、小田原町に住す、隠居して一元と云ふ、一時号芭蕉庵、別号茶舎、採荼庵、衰庵、衰杖と云ふ・・・
杉風は、公用御納屋にて鯉屋市兵衛杉山氏、といふ、納屋生洲(いけす)の傍に、はせを庵有とぞ、側に採荼庵有とぞ、これ杉風が庵にて・・・

と言ってある、是は杉風に二個の草庵があって、採荼庵は自分の居る処、他の一つは、はせをを住はせた家だと云ふのである。

「芭蕉翁系譜」には

鯉いけす、六間堀にありし所へ、鯉の番の小家をしつらひ翁を住ましむ。

とあって、粗末な小屋であったものと見える、

曰人の「蕉門諸生全伝」には。

杉山氏代々御納屋御用を勤むる故鯉屋々々といふ、末には、其鯉屋をうるさがり、藤右衛門といふものに株をく


(七〇頁)

 








 
 
 
 
 
 
 
 
 
芭蕉庵の所在地
_ れたり、別家の如く出入せしとぞ、荼翁、簑翁、後は衰翁といふ、茶翁と云ふ時もあり採荼庵と云ふ故なり(中略)小田原に住む、後は深川平野町寺町此処に住す、鯉のいけすを掘る、六間堀と云ふ処杉風の別荘なり、其いけすを藤右衛門に譲りて不用なれば、古池同前になる、其処へ芭蕉翁を置申せしなり、折々は杉風、芭蕉庵杉風と書しは庵の地主故也とかや。・・・

とある、つまり、番小屋が二つあった、其一つに芭蕉を住まはせたと見るべきであらう、他の一方の自分の住む採荼庵には、茶の木があった趣は、前に掲げておいた「柴の戸に茶を木の葉かく嵐かな」の句で知られる。

所在地 は、六間堀の小名木川が隅田川に注ぐ処に架設されて居た万年橋の北方間近な処に在った、其管轄は葛飾郡葛西領深川町の分郷であった、現今では深川区西元町になって居る。

六間堀は、常磐町の西に添うて小名木川に通ずる掘割であって、慶長十三年の開削に係り、此の地域一帯の名であった、寛永年中より天和の頃までは、泥土や畑地であって、百姓家或は町家の家作は、一、二ヶ所づゝ逐次に許可を得て造った程の場末の地であった、無論江戸市外である。

小名木川が隅田川に注ぐ所を三ッ又口と云って、元禄頃は観月、納涼の船が輻輳
(ふくそう)して、他に得難い景勝地であった、此処に船番所が有って、江戸から下総の行徳へ通う船を検(あらた)めて居た、それで小名木川を行徳川ともいった。

此地の展望は、素堂が。

抑も深川の地低しといへども、江戸城を距
(へだて)ること遠からず、富士、筑波を両眼に眺め、上野、浅草の花の雲、出

(七一頁)

 
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_ る船入る船。・・・

と言ったやうに、観月に絶好の所であった。併し葛飾といふ所は極めて僻在地で、当時江戸払の刑に処せられた者でも、深川ならば居ても差支ない、と許された程の場末の地であった、だから芭蕉は此の地を撰んで隠れたのであらう。


(七二頁/本頁p.11に続く)

 







編  第 章 隠遁  所在地 家 p.10

山崎藤吉著「芭蕉全傳」   第1版発行:明治36年  第2版:大正5年  第3版:昭和10年、16年

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