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山崎藤吉著 「芭蕉全傳」
編  第 章 隠遁  七 仏頂和尚に参禅
_ p.15
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第四章 隠 遁

 仏頂和尚に参禅

(九一頁)
 








鹿島根本寺について
 
 
仏頂和尚の

_ 庵の近所に臨川庵という庵寺があった、其庵に常陸、鹿島根本寺の仏頂和尚が寺領の訴訟の為に停錫して居た、それに知り合って参禅した。

芭蕉は、嘗て仏門に入って身を立てようかと苦慮したことがあった、其後俳諧師になってからも、寒山拾得
(じっとく)の研究をして、其等の禅機を窺った跡が歴然として見える、猶智識の僧に就て禅を問うたことも書に見えて居る、併し専心禅室に入ったのは、深川へ移ってからの事と認められる、換言すれば、禅に専念したのは、世を遁れ深川に隠れてからのことであらう、根本寺の寺伝によれば、天和元年に参禅したように見える。

根本寺 根本寺は鹿嶋町下生にあり、聖徳太子創立の由緒ある寺である、寺伝によるに、慶長五年徳川家康が、鹿嶋神領の内百石を割いて寺領にした、慶長の末年に一時無住であった為、寺領を再び神領中に編入された、延宝二年仏頂が住職になって入院してから、寺領取戻しの訴訟を提起したが、延宝八年に隠居した、隠居してから三年目の天和二年に訴訟が落着して、根本寺の勝訴になって寺領を恢復
(かいふく)したとある。鹿嶋神社の記録には、鹿嶋大宮司家の敗訴となって百六十石削られたとある。仏頂自筆の「根本禅寺草創由来の覚」に訴訟の顛末が記されてある。

仏頂履歴 仏頂は常陸白鳥村藤沢の人、延宝二年根本寺に入院し、同八年隠居し、同寺内の別院に起居した、訴訟落着の前の年即ち天和元年に、訴訟の所用で江戸へ来て、深川の臨川庵に停錫した、芭蕉庵と臨川庵とは、僅に小名木川の細流を隔てて隣接して居た所から互いに相知って、朝夕往来して、終に師資の礼を執ったのだといふ、是


(九二頁)

 
_ は仏頂が隠居後のことである、現在根本寺に仏頂の画像がある、それに貞享五年正月二十日附の自賛がある所から見ると、貞享五年までは根本寺の別院に居たことが分る。

芭蕉が参禅した時日は分らないが、参禅した時の仏頂和尚の詩偈
(げ)が「芭蕉門古人真蹟」に載って居る、左に。

    
竹窓夜静鎖春霖  漸幽吟屈老襟
    灯尽香消高
枕臥  却知詩泊(酒)両魔侵

同じ時、引導の僧直愚上人の詩偈。

    
船蘆萩間    蓬底睡眠閑
    林葉逐
風到    良疑雨出

是によって見れば、仏頂に参禅したことは疑ひないことであらう。

一夕
(いっせき)仏頂和尚が、芭蕉庵を訪うて、大道の話や俳諧の話で夜を更かしたことがあったと伝へられる、其事を書いてある文書があるが、頗る疑はしいものだけれども、左に掲げる。

早春、仏頂和尚へ御状被遺候を、則愚庵(芭蕉庵)へ為
持御越、微細熟覧仕候処、木兎の角あるけしき先感心仕候へ、病床に病と組で勝負を御争ひ、終に大眼悟徹の勢ひ驚入奉存候、和尚の肝腸未だしかと掬はれず候間、重て評判可申進候、和尚にも旧臘(きゅうろう)寒ぬるく候故、御持病も快く、愚庵まで手をひかれ、一夕御入、大道の咄し止で俳諧にて到夜半候。

(九三頁)

 
 
 
 
 
芭蕉と禅との関わり
_     梅桜見しも悔しや雪の花
と被
申感心致事に候。

月日も宛名も分ってゐないが、此の書状を事実とすれば、天和二年春のことであらう。

芭蕉と禅の研究を共にした其角は、俳諧は即ち禅の如しと言ったが、是は俳諧研究に禅を参考したので、俳禅一致の鍛錬である、是は其角のことであるが、芭蕉と其角とは、一体になって同じ方向に向って禅にいそしんだのであるから、採って芭蕉にも擬し得ると思ふ、左に其角の言を。

古人云、参詩如禅、詩也禅也、到其悟入即非
言語所及云々、華晨月夕手之口之、則詩之外無禅、禅之外無詩云々、吾俳に参するも事是に等し、俳也禅也。

芭蕉もこの心であったに違ひ無かろう。

次に禅僧の詠んだ佳句を、俳句の句作に利用して推敲を重ねた例を挙げて見る、天和の頃は特に禅味を帯びた句が多いから。

「虚栗集」に天和二年作の左の句がある。

    夜着は重し呉天に雪を見るあらん

此の句は、
           禅僧恵崇が僧可士送僧詩


    一鉢即生涯  随縁度歳華  是山皆有寺  何所不為家


(九四頁)

 
_     笠重呉天雪  鞋香楚地花  他年訪禅室  寧憚路岐(はるかなる)

から転化して来たので、唯笠を夜着に更へた丈けである、が推敲の状は酌まれる、又芭蕉が詩を愛読したのは禅家の詩趣を漁らんが為であった。

なま禅
(なまざとりの禅)には注意を払ったらしく晩年(元禄四年)左の句がある。

      
或知識の給はく、なま禅は大疵(きず)の基とかや、
      いと有がたくて。


    いなづまに悟らぬ人のたふとさよ


と言った、つまり禅に入ったが禅に溺れなかった、空観
(くうがん)に溺れなかった、遁世者でありながら人間味があった。

終局禅機が芭蕉に如何なる結果を与へたか、其角が眼に映じた所を左に掲げる。


芭蕉、元来混(根)本寺仏頂和尚に嗣法して独り開禅の法師と言はれ、一気鉄鋳生いきほひなりけれども、老身くつほるゝまゝに、句毎にからびたる姿までも、自然と山家集の骨髄を得られたる有難や。・・・

と其角が言ったが、要するに開禅して西行の骨髄を得たといふのである。


(九五頁)

 
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山崎藤吉著「芭蕉全傳」   第1版発行:明治36年  第2版:大正5年  第3版:昭和10年、16年

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