俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡 おくのほそ道関連地図帳


第4集 「芭蕉と白河」関連地図
 
 



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俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
 
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第4集 芭 蕉 と 白 河

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おくのほそ道関連地図帳


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説 明
 

【南湖公園について】 

白河藩主・松平定信により、1801年に造園された日本最古の「公園」。李白の詩句「南湖秋水夜無煙」を引用し、また、小峰城(白河城)の南に位置していたことから「南湖」と名付けられた。

南湖公園 南湖公園日本庭園 翠楽園(1)   (2)

   

【庄司戻しについて】 

平治の乱の後、源義経は平清盛に捕えられ鞍馬山に入ったが、その後密かに平泉の藤原秀衡のもとに下り保護されていた。治承4年(1180年)になって源頼朝が挙兵した時、義経は平泉から奥州各地の兵を引き連れながら鎌倉に駆けつけ、福島からは基治の子、継信(つぐのぶ)と忠信が加わった。基治は息子2人を白河の関の旗宿まで見送り、別れの時に桜の杖を地面に突き刺して「忠義を尽くして戦うならこの杖は根づくだろう」と言って励まし福島に戻って行った。それ以来、旗宿のこの場所は「庄司戻し」と呼ばれている。
芭蕉と福島−佐藤一族と義経について」より。

「庄司戻し」の霊桜(1)  (2) 「庄司戻し」の霊桜の碑

  

【金売吉次について】

吉次(信高)は、金商いのために奥州と京を往き来した著名な黄金商人。承安4年(1178年)に、吉次兄弟は京からの途中、群盗藤沢太郎入道等に襲われこの地で殺害されたと伝えられる。「源義経物語−義経、奥州へ下る」参照。

吉次の墓(1)   (2)   (3)