芭蕉について

芭蕉が高久覚左衛門に贈った句文

元禄2年(1689年)4月16日(新暦6月3日)、芭蕉一行は黒羽を立ち、殺生石見物のため那須湯本を目指したが、降雨のため、途中立ち寄った高久の名主高久覚左衛門宅に18日まで滞留するところなった。その間、芭蕉は、覚左衛門に下記の句文を書き贈っている。芭蕉直筆の懐紙は、現在も高久家が所蔵し、同家では、庭の一隅に句文をそのまま彫り込んだ石碑を建て、おくのほそ道の旅と芭蕉主従の立ち寄りを顕彰している。

【真蹟句文碑】

真蹟句文碑      真蹟句文碑

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【真蹟句文碑】 【曽良「俳諧書留」】
みちのく一見の桑門同行二人那須の
篠原をたつねて猶殺生石みむとて
急き侍る程にあめ降り出ければ
此ところにとゝまり候
           風羅坊
落くるやたかくの宿の郭公
木の間をのぞく短夜の雨  曽良


○「風羅坊」は芭蕉の別号。
高久角左衛門ニ授ル

みちのく一見の桑門同行二人なすの篠原を尋て猶殺生石ミんと急侍るほとにあめ降出けれは先此処にとゝまり候

落くるやたかくの宿の時鳥 翁
木の間をのそく短夜の雨 曽良

元禄二年孟夏

   
「おくのほそ道」と那須野が原/曽良随行日記
 

「おくのほそ道」と那須野が原
元禄2年(1689年)月3日(新暦5月21日)〜4月20日(新暦6月7日)
曽良随行日記<原文> 現代語
一 同三日
快晴。
辰上尅玉入(玉生)ヲ立。鷹内ヘ二リ八丁。鷹内ヨリヤイタヘ壱リニ近シ。ヤイタヨリ沢村ヘ壱リ。沢村ヨリ太田原ヘ二リ八丁。太田原ヨリ黒羽根ヘ三リト云ドモ二リ余也。翠桃宅、ヨゼト云所也トテ、弐十丁程アトヘモドル也。
 

一 四日
浄法寺図書ヘ被招。
 
一 五日
雲岩寺見物。朝曇。両日共ニ天気吉。

 

一 六日ヨリ九日迄
雨不止。九日、光明寺ヘ被招。昼ヨリ夜五ツ過迄ニシテ帰ル。

 

一 十日
雨止。日久シテ照。

 

一 十一日
小雨降ル。余瀬翠桃ヘ帰ル。晩方強雨ス。

 

一 十二日
雨止。図書被見廻、篠原被誘引。

 

一 十三日
天気吉。津久井氏被見廻テ、八幡ヘ参詣被誘引。

 

一 十四日
雨降リ、図書被見廻終日。重之内持参。
 
一 十五日
雨止。昼過、翁と鹿助右同道ニテ図書ヘ被参。是ハ昨日約束之故也。予ハ少々持病気故不参。

 

一 十六日
天気能。翁、館ヨリ余瀬ヘ被立越。則、同道ニテ余瀬ヲ立。及昼、図書・弾蔵ヨリ馬人ニテ被送ル。馬ハ野間ト云所ヨリ戻ス。此間弐里余。高久ニ至ル。雨降リ出ニ依、滞ル。此間弐里半余。宿角
(覚)左衛門、図書ヨリ状被添。
 

一 十七日
(覚)左衛門方ニ猶宿。雨降。野間ハ太田原ヨリ三里之内鍋かけヨリ五、六丁西。
 

一 十八日
卯尅、地震ス。辰ノ上尅、雨止。午ノ尅、高久角
(覚)左衛門宿ヲ立。暫有テ快晴ス。馬壱疋、松子村迄送ル。此間壱リ。松子ヨリ湯本ヘ三リ。未ノ下尅、湯本五左衛門方ヘ着。
 

一 一九日
快晴。予、鉢ニ出ル。朝飯後、図書家来角左衛門ヲ黒羽ヘ戻ス。午ノ上尅、温泉ヘ参詣。神主越中出合、宝物ヲ拝。与一扇ノ的躬(射)残ノカブラ壱本・征矢十本・蟇目ノカブラ壱本・檜扇子壱本、金ノ絵也。正一位ノ宣旨・縁起等拝ム。夫ヨリ殺生石ヲ見ル。宿五左衛門案内。以上湯数六ヶ所。上ハ出ル事不定、次ハ冷、ソノ次ハ温冷兼、御橋ノ下也。ソノ次ハ不出。ソノ次温湯アツシ。ソノ次、湯也ノ由、所ノ云也。温泉大明神ノ相殿ニ八幡宮ヲ移シ奉テ、両神一方ニ拝レサセ玉フヲ、
   湯をむすぶ誓も同じ石清水  翁
     殺生石
   石の香や夏草赤く露あつし
正一位ノ神位被加ノ事、貞享四年黒羽ノ館主信濃守増栄被寄進之由。祭礼九月廿九日。

 

一 廿日
朝霧降ル。辰中尅晴。
下尅、湯本ヲ立。ウルシ塚迄三リ余。半途ニ小や村有。ウルシ塚ヨリ芦野ヘ二リ余。湯本ヨリ総テ山道ニテ能不知シテ難通。
一 芦野ヨリ白坂ヘ三リ八丁。芦野町ハヅレ、木戸ノ外、茶ヤ松本市兵衛前ヨリ左ノ方ヘ切レ、八幡ノ大門通リ之内(十町程過テ左ノ方ニ鏡山有)。左ノ方ニ遊行柳有。其西ノ四、五丁之内二愛岩(宕)有。其社ノ東ノ方、畑岸ニ玄仍(兼載の誤り)ノ松トテ有。玄仍ノ庵跡ナルノ由。其辺ニ三ツ葉芦沼有。見渡ス内也。八幡ハ所之ウブスナ也。市兵衛案内也。スグニ奥州ノ方、町ハヅレ橋ノキハヘ出ル。
一 芦野ヨリ一里半余過テヨリ居村有。是ヨリハタ村ヘ行バ、町ハヅレヨリ右ヘ切ル也。
一 同三日 
快晴。午前7時半頃玉生を立つ。鷹内へ二里八丁。鷹内より矢板へ一里程。矢板より沢村へ一里。沢村より大田原へ二里八丁。大田原より黒羽へ三里というが二里余り。翠桃宅、余瀬という所にあり、二十丁程引き返す。
 
一 四日
黒羽藩城代・浄法寺図書(翠桃の実兄)に招かれる。
 
一 五日
雲巌寺見物。朝のうち曇り。両日共に天気よし。
 
一 六日より九日迄
雨止まず。
九日、光明寺ヘ招かれる。昼から午後8時頃迄滞在し帰る。
 
一 十日
雨止む。日、久しぶりに照る。
 
一 十一日
小雨降る。余瀬の翠桃宅へ帰る。晩方雨強く降る。
 
一 十二日
雨止む。図書来訪し、那須・篠原に誘われる。
 
一 十三日
天気良し。津久井氏来訪し、金丸八幡宮(那須神社)参詣に誘われる。
 
一 十四日
雨降リ。図書来訪し終日滞在。手料理の重箱を持参。
 
一 十五日
雨止む。昼過ぎ、翁と鹿助右同道にて図書を訪ねる。これは昨日交わした約束のため。私は持病で少々体調すぐれず不参。
 
一 十六日

天気良し。翁、浄法寺図書の館から余瀬の翠桃宅ヘ戻る。則して私同道で余瀬を立つ。昼に及び、図書・弾蔵より馬子(馬方)にて送られる。馬は野間という所より戻す。この間二里余り。高久に到る。雨が降リ出し、滞る。野間より二里半余り。覚左衛門宅に宿す。図書からの紹介状有り。

 
一 十七日

覚左衛門方に引き続き宿す。雨降る。野間は大田原より三里の内、鍋掛(黒磯市内)より五、六丁西。

 
一 十八日

午前6時頃地震有り。午前7時半頃、雨止む。正午頃、高久覚左衛門宅を立つ。しばらくして快晴。馬一頭で松子村(那須町内)迄送る。この間一里。松子より湯本へ三里。午後2時半頃、湯本の温泉宿・和泉屋五左衛門方ヘ着く。

 
一 一九日
快晴。私、托鉢(たくはつ)に出る。朝飯後、図書家来・角左衛門を黒羽ヘ戻す。午前11時半頃、温泉神社ヘ参詣。神主の越中(宝井氏)を訪ね、宝物を拝観。那須与一が源平屋島の合戦で「扇の的」を射残した鏑矢(かぶらや)一本・征矢(そや)十本・蟇目(ひきめ)の鏑矢一本・檜扇子一本、金の絵。正一位の神位の宣旨や縁起などを拝観。後に殺生石を見る。宿の主人、五左衛門が案内。温泉は六ヶ所。上の方は湧き出しが不定で、その下に冷泉、その次は温・冷泉、神社御橋の下。その次は出ず。次は泉温高いもの。その次にも温泉があるとか。(「野州那須温泉縁起」に、湯の名が、行人湯・鹿の湯・御所湯・滝の湯・中の湯・川原湯とある。)
温泉大明神の相殿に八幡宮を移し奉りて、両神一方に拝まれさせ給ふを、
 湯をむすぶ誓も同じ石清水  翁
     殺生石
 石の香や夏草赤く露あつし

温泉神社が正一位の神位についた事で、貞享四年黒羽の館主信濃守増栄(ますなが)が(社殿を)寄進したという。祭礼は九月廿九日。
 
一 廿日

朝霧降る。8時頃晴れる。8時半頃、湯本を立つ。漆塚(那須町内)迄三里余り。半途(行路半ば)に小屋村(那須町池田)有り。漆塚より芦野へ二里余り。湯本よりすべて山道で、不案内のため通行難。
一 芦野より白坂(白河市内)ヘ三里八丁。芦野町はずれ、木戸ノ外、茶屋・松本市兵衛前より左の方へ曲がり、八幡宮(温泉神社の相殿八幡宮)の大門通りの内(十町程過ぎて左の方に鏡山有り)。左の方に遊行柳有り。その西の四、五丁之内に愛宕有り。その社の東の方、畑岸に兼載の松というのが有る。兼載の庵跡という。その辺の見渡す内に三ツ葉芦沼有り。八幡宮は土地のウブスナ(産土神。土地の守り神)である。茶屋・市兵衛が案内。すぐに奥州の方、町はずれにある橋の際へ出る。
一 芦野より一里半余り過ぎて寄居村(那須町内)有り。これより旗村(旗宿)へ行くには、町はずれより右ヘ切れる。
◇一里:約4km ◇一丁(町):約109m ◇一間:約1.8m

 

 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第19集 芭蕉と那須野が原
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