大田原資料写真と解説

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金丸八幡宮那須神社 金丸八幡宮那須神社

那須神社は、大田原市南金丸に鎮座し、その起源は古く、第16代仁徳天皇の5世紀前半頃にさかのぼる。天照大神、大和武尊、春日大神を祭ったのがはじまりとされ、のち坂上田村麻呂が東征のとき、応神天皇を勧請して金丸八幡宮と号し、戦勝を祈願したと伝えられる。明治6年(1873年)、那須神社と改称されたが、正式には那須総社金丸八幡宮那須神社という。
那須神社・参道。

県道を起点に約300mに渡って続く参道。その昔、陸奥守源頼義が前九年の役で下向の折、子八幡太郎義家とともに当神社に戦勝を祈願し、勝利すれば宮殿を建て、この地を神領に寄進することを誓ったと伝えられる。願いの通り、安倍頼時と子貞任・宗任を討ち、戦いに勝利した頼義は、社を建て神領50石を寄進し、参道の両側に松、杉、桧などを植えたという。
那須神社・参道
那須神社・境内 那須神社・境内。

黒羽に滞在中の芭蕉は、元禄2年(1689年)4月13日(新暦5月31日)、金丸八幡宮に参詣し、源平の戦にその名を残した源義経の軍兵、那須与一に思いを馳せた。
・・・それより八幡宮に詣。与一扇の的を射し時、「別しては我国氏神正八まん」とちかひしも此神社にて侍と聞ば、感應殊しきりに覚えらる。
(おくのほそ道)
那須神社・楼門。

写真の楼門は、天正5年(1577年)、拝殿、社殿とともに大関氏によって再建されたと伝えられる建物で、本殿付寛永修理銘銅板とともに、昭和32年(1957年)、栃木県の文化財に指定されている。
那須神社・楼門
那須神社・拝殿 那須神社・拝殿。

那須与一が源平・屋島の戦で、平家方に挑まれて扇の的を射るときに、南無八幡大菩薩(金丸八幡)、別しては我が国の明神云々と念じて願いを果たしたと伝えられる。神社の宝物殿に、那須与一が文治3年(1187年)に奉納した太刀が収められている。


 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第19集 芭蕉と那須野が原
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