黒羽資料写真と解説(5)

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浄法寺桃雪邸跡 浄法寺桃雪邸跡。

桃雪は俳号で、名を浄法寺高勝(通称図書。もとの姓は鹿子畑)という。別に秋鴉と号した。浄法寺姓は、高勝が、母の兄、黒羽藩城代・浄法寺茂明に家督を譲られたことによるもので、高勝は芭蕉が訪れた当時、城代家老の要職にあった。

大雄寺の桃雪の墓


浄法寺桃雪邸跡。

桃雪、弟の翠桃はともに、俳号に「桃青」の一字をいただく芭蕉門弟で、芭蕉が黒羽を訪れたとき、桃雪が29歳、翠桃が28歳という若さだった。

桃雪邸跡の芭蕉句碑
桃雪邸跡の桃雪書信連句碑  
浄法寺桃雪邸跡
翠桃邸跡入口の標柱 翠桃邸跡入口の標柱。

鹿子畑翠桃は、鹿子畑高明の次男で名を豊明という。
鹿子畑氏はもと大田原氏の家臣であったが、鹿子畑能登の代に、年少の大田原高増が大田原氏を出て大関氏を継いだとき、能登が高増の後見人となり、高増の居城・余瀬白旗城近くに居を構えた。
高増は、後に白旗城から要害の地・黒羽城に移って居城とした。
鹿子畑翠桃邸跡。

芭蕉が逗留した翠桃邸は、現在水田と化し、跡地に墓だけが残っている。翠桃の墓碑には法名(不説軒一忠恕唯庵主)と跋日(享保十三戊申天初冬廿八日)、辞世の歌(きゆるとハ我ハおもハし露の玉色こそかはれ花ともミゆ覧)が刻まれている。

墓地 翠桃の墓
鹿子畑翠桃邸跡
七吟歌仙の掲示板 七吟歌仙の掲示板。

元禄2年(1689年)4月14日(新暦6月1日)、翠桃邸で七吟歌仙が興行された。連衆は、芭蕉、桃雪(秋鴉)、翠桃、曽良、(津久井)翅輪、桃里、二寸だった。翠桃邸跡には、このときの歌仙で詠まれた36句、すべてが掲げられている。

歌仙参照


 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第19集 芭蕉と那須野が原
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