黒羽資料写真と解説(8)

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玉藻稲荷神社 玉藻稲荷神社。

玉藻稲荷神社は、玉藻の前(九尾の狐)の神霊を祭る神社で、大田原市の篠原にある。
玉藻の前は、絶世の美女に姿を変えて中国、インド、日本の帝に仕え悪事を尽したという伝説の妖狐で、謡曲「殺生石」でつとに知られる。

殺生石の謂れと伝説について
玉藻稲荷神社・境内。

伝説の妖怪・九尾の狐は、宮廷で鳥羽院を殺すことに失敗し、那須野に逃げ、この地で蝉の姿に化けて桜の木に止まっていたが、かたわらの池に狐の姿が映し出され、これが狐退治の軍勢に見つかってあえなく殺されてしまう。その池が、神社の境内の「鏡が池」であるという。
写真左に源実朝の歌碑、鳥居の奥に芭蕉句碑が見える。鏡が池は鳥居の右側にある。
玉藻稲荷神社・境内
源実朝の歌碑

源実朝の歌碑。

建久4年(1193年)、鎌倉幕府の祖源頼朝が那須野に狩に訪れたとき、玉藻稲荷大明神を祭ったと伝えられる。
境内に、鎌倉幕府三代将軍源実朝の歌碑が建つ。
武士(もののふ)の矢並みつくろふ籠手(こて)の上(え)に霰(あられ)たばしる那須の篠原
芭蕉句碑。

秣おふ人を枝折の夏野かな

芭蕉は、元禄2年(1689年)4月12日(新暦5月30日)玉藻稲荷神社を訪れ、「おくのほそ道」に、「犬追物の跡を一見し、那須の篠原をわけて玉藻の前の古墳をとふ。」と記した。その「古墳」(狐塚)は、神社の1kmほど北東にあるが、塚は原形をとどめず、塚跡の標柱が残るのみとなっている。   
秣おふ人を枝折の夏野かな (芭蕉)
犬追物跡 犬追物跡(1)。

芭蕉は、玉藻稲荷神社を訪ねる前に、蜂巣の犬追物(いぬおうもの)跡を訪ねた。
現在、その中心部にあたるところは写真のように林と化しているが、以前は、この周囲に犬追物の馬場を囲む土手が築かれていた。
伝説では、九尾の狐を射殺す稽古が、実在したこの犬追物で行われたことになっている。
犬追物跡(2)。

「犬追物跡・犬追馬場跡略図」と次の解説文を記す案内板。
  

近衛帝の久寿年中、勅を奉じて三浦介義明・千葉介常胤・上総介広常が、玉藻前が狐と化して逃げて那須野に隠れ棲んでいるのを退治するために、犬を狐にみたてゝ追い射る武技を行った跡という。俗に「犬追物跡」または「犬射築地」の名があり(以下略)

犬追物跡


 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第19集 芭蕉と那須野が原
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