芭蕉について
 

 
芭蕉が訪れたときの日光東照宮

芭蕉が日光を訪れた元禄2年(1689年)の4月ごろは、日光山の大修復の準備がたけなわとなっていた時期で、山内に多くの関係者が出向いていた。日光で「あらたうと青葉若葉の日の光」の句を詠じ、日光山の威光を称えた芭蕉ではあるが、山内をゆっくり廻ることは難しかったに相違ない。

東照宮拝殿の解体を控え、4月から6月にかけては、狩野探信、絵所了琢によって、諸絵画についての入念な準備作業が行われていた。芭蕉一行が訪れた4月1日も、巳の刻(午前10時頃)に狩野探信とその弟子が大勢来山し、未の刻(午後2時頃)まで東照宮拝殿東の御座之間の絵の彩色などを記録していたことが、「東照宮御番所日記」の当日の条から知られる。

巳ノ刻狩野探信弟子共大勢召連来リ、御拝殿東ノ御座之間絵并彩色等写、未ノ刻ニ支廻、罷帰リ申候。  (「東照宮御番所日記」元禄2年4月1日の条)

ところで、現在は、拝観券を求めれば誰でも自由に東照宮を見学できるが、当時、徳川家康の霊廟である東照宮は一般には公開されておらず、芭蕉も、江戸浅草・清水寺からの紹介状を携えて拝観に訪れている。

曽良随行日記の当日条には、その紹介状を水戸家代々の宿坊・養源院に届けて拝観の便宜をはかってもらい、養源院の使僧と連れ立って東照宮御別所(社務所)・大楽院に出向き拝観を願い出たが、来客中のため、未の下刻(午後2時半頃)まで、2時間以上待たされたことが記されている。

午ノ尅(正午ごろ)、日光ヘ着。雨止。清水寺の書、養源院ヘ届。大楽院ヘ使僧ヲ被添、折節大楽院客有之。未ノ下尅(午後2時半頃)迄待テ御宮拝見。 (随行日記)
 


「おくのほそ道」と日光/曽良随行日記
 

「おくのほそ道」と日光
日光滞在は、元禄2年(1689年)月1日(新暦5月19日)〜4月2日(新暦5月20日)
曽良随行日記<原文> 現代語
 廿九日
辰ノ上尅マヽダヲ出。
 一 小山ヘ一リ半、小山ノヤシキ、右(左の誤り)ノ方ニ有。
 一 小田(小山のこと)ヨリ飯塚ヘ一リ半。木沢ト云所ヨリ左ヘ切ル。
 一 此間姿川越ル。飯塚ヨリ壬生ヘ一リ半。飯塚ノ宿ハヅレヨリ左ヘキレ、(小クラ川)川原ヲ通リ、川ヲ越、ソウシヤガシト云船ツキノ上ヘカヽリ、室ノ八嶋ヘ行(乾ノ方五町バカリ)。スグニ壬生ヘ出ル(毛武ト云村アリ)。此間三リトイヘドモ、弐里余。
 一 壬生ヨリ楡木ヘ二リ。ミブヨリ半道バカリ行テ、吉次ガ塚、右ノ方廿間バカリ畠中ニ有。

 
 一 にれ木ヨリ鹿沼ヘ一リ半。
一 昼過ヨリ曇。同晩、鹿沼(ヨリ火バサミヘ弐リ八丁)ニ泊ル。(火バサミヨリ板橋ヘ廿八丁、板橋ヨリ今市ヘ弐リ、今市ヨリ鉢石ヘ弐リ。) 
 
一 四月朔日
前夜ヨリ小雨降。辰上尅、宿ヲ出。止テハ折々小雨ス。終日雲、午ノ尅、日光ヘ着。雨止。清水寺の書、養源院ヘ届。大楽院ヘ使僧ヲ被添、折節大楽院客有之。未ノ下尅迄待テ御宮拝見。終テ其夜日光上鉢石町五左衛門ト云者ノ方ニ宿。壱五貳四。
 
一 同二日
天気快晴。辰ノ中尅、宿ヲ出。ウラ見ノ瀧(一リ程西北)、カンマンガ淵見巡、漸ク及午。鉢石ヲ立、奈須・太田原ヘ趣、常ニハ今市へ戻リテ大渡リト云所ヘカヽルト云ドモ、五左衛門、案内ヲ教ヘ、日光ヨリ廿丁程下リ、左へノ方ヘ切レ、川ヲ越、せノ尾・川室ト云村ヘカヽリ、大渡リト云馬次ニ至ル。三リニ少シ遠シ。
 
〇今市ヨリ大渡ヘ弐リ余。
 
〇大渡ヨリ船入(船生)ヘ壱リ半ト云ドモ壱里程有。絹川ヲカリ(仮)橋有。大形ハ船渡し。
 
〇船入(船生)ヨリ玉入(玉生)ヘ弐リ。未ノ上尅ヨリ雷雨甚強。漸ク玉入(玉生)ヘ着。
 
一 
同晩 玉入(玉生)泊。宿悪故、無理ニ名主ノ家入テ宿カル。
 
一 
同三日
快晴。
辰上尅玉入(玉生)ヲ立。鷹内ヘ二リ八丁。鷹内ヨリヤイタヘ壱リニ近シ。ヤイタヨリ沢村ヘ壱リ。沢村ヨリ太田原ヘ二リ八丁。太田原ヨリ黒羽根ヘ三リト云ドモ二リ余也。翠桃宅、ヨゼト云所也トテ、弐十丁程アトヘモドル也。
 廿九日
午前7時半ごろ間々田を出る。
 一 小山へ一里半、小山判官の城跡、左の方に有る。
 一 小山より飯塚へ一里半。木沢(小山市喜沢)という所より左ヘ曲がる。
 一 この間姿川(思川支流)越える。飯塚より壬生ヘ一里半。飯塚の宿はずれより左ヘ曲り、小倉川(かつて、思川の栃木市を流れるあたりから上流域までは小倉川と称されていたが、現在は思川に統一されている)河原を通り、川を越え、惣社河岸という船着きの上にかかり、室ノ八嶋へ行く(乾ノ方五町ばかり)。
すぐに壬生へ出る。(毛武<葵生。栃木市内>という村あり)。この間三里というが二里余り。
 一 壬生より楡木ヘ二里。壬生より半道(半里)ばかり行くと、金売吉次の塚、右の方二十間ばかり畑の中に有り。

 一 楡木より鹿沼へ一里半。
一 昼過ぎより曇り。同晩、鹿沼(より文挟<日光市文挟町>へ二里八丁)に泊る。(文挟より板橋へ廿八丁、板橋より今市へ二里、今市より鉢石へ二里。)

 
一 四月一日
前夜より小雨降る。午前7時半頃、宿を出る。雨止むが折々小雨降る。終日曇り。正午頃、日光へ着く。雨止む。江戸浅草・清水寺からの紹介状を養源院へ届ける。日光東照宮御別所(社務所)大薬院へ使僧の案内を得て趣く。折節大薬院に来客中で、午後2時半頃迄待って御宮を参拝。参詣終えて、その夜、日光上鉢石町の五左衛門宅に宿す。壱五貳四。
 
一 同二日 
天気快晴。午前8時頃、宿を出る。裏見の滝(一里程西北)、含満が淵を正午頃迄見物。鉢石を立ち那須・大田原へ趣く。通常は今市へ戻って大渡から行くが、五左衛門が教えた通り、日光より廿丁程下り、左の方へ曲がり、大谷川を越え、瀬ノ尾・川室という村を通って大渡という馬継に至る。三里を少し越える。
 
 
〇今市より大渡ヘ二里余り。
 
〇大渡より船生ヘ一里半というが一里程。鬼怒川に架かる仮橋有り。大形は船渡し。
 
〇船生より玉生ヘ二里。午後1時半頃よりかなり強い雷雨。漸く玉生へ着く。
 
一 同晩 玉生に泊る。宿悪く、無理に頼んで名主宅に宿借る。
 
一 
同三日 
快晴。午前7時半頃玉生を立つ。鷹内へ二里八丁。鷹内より矢板へ一里程。
矢板より沢村へ一里。沢村より大田原へ二里八丁。大田原より黒羽へ三里というが二里余り。翠桃宅、余瀬という所にあり、二十丁程引き返す。
◇一里:約4km ◇一丁(町):約109m ◇一間:約1.8m



 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第18集 芭 蕉 と 日 光
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