日光の芭蕉句碑
日光に建つ4つの芭蕉句碑と関連写真を掲載しています。
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No 句碑の写真 芭蕉句碑が建つ場所と解説
1 大日堂跡
あらたふと青葉若葉の日の光り
大日堂跡は荒沢(川)と大谷川の合流点付近の岸辺にあり、大日堂跡に通じる道の両脇には木々がうっそうと茂り日光を遮断している。
その昔、このあたりは菩提ヶ原と呼ばれ、大日如来の堂が建てられていたが、慶安2年(1649年)になって大楽院の恵海がこれを再建し、池のある庭園の中に大日如来の石像を安置した。しかし、明治35年(1902年)の大洪水ですべてが流され現在は礎石のみとなっている。
句碑は明治42(1909年)年10月に建てられたもので、碑陰に、以前建てられていた句碑が洪水で流されたことを残念に思い、拓本をもとにして建て直した、といった旨の由来が刻まれている。

同句碑の別の写真
2 日光東照宮宝物館敷地内
あらたふと青葉若葉の日の光
東照宮の五重の塔から南にやや下ったところの角に売店があり、そこから西に延びる下新道の端に東照宮の宝物館がある。芭蕉句碑は宝物館入口の左手に見られる。
句碑は、かなり大き目の礎石の上に建ち、碑面に「あらたふと・・・」の句と「芭蕉翁おくの細みち日光山吟」の文字を刻む。昭和31年(1956年)9月に日光市、東照宮、輪王寺、二荒山神社によって建立されたもので、日光出身の洋画家小杉放菴の揮毫による。

同句碑の別の写真
3 高野家屋敷内
日光街道沿いの日光庁舎脇に大津屋酒店があり、その向かい側の小道を100mほど行ったところに、代々日光山輪王寺に仕えた旧家の高野忠治氏邸がある。
同家の庭園にある芭蕉句碑のうち、右側の方は、明治2年に亡くなった十一代目の道文(高野将監逵久)氏が、幕末ごろに建立したと見られているもので、風化により大分彫りが浅くなっている。左側の句碑は、近年、右側の碑の拓本を1.5倍に拡大して彫り付けたもの。
  日光山に詣  芭蕉桃青
  あらたふと木の下闇も日の光
  此真蹟大日堂の碑と異同ありて
  しかも意味深長なりよつて今茲に
  彫付て諸君の高評をまつ
碑文の最初の2行は、芭蕉が「おくのほそ道」の旅で書き遺した真蹟懐紙と同じ内容で、筆蹟も芭蕉のものと判断されている。
「おくのほそ道」に記された「あらたう(ふ)と青葉若葉の日の光」の句は、室の八嶋に立ち寄った折の「あなたふと木の下暗(やみ)も日の光」(「俳諧書留」)を初稿とし、後に真蹟懐紙中の「
あらたふと木の下闇も日の光」に改案して得られた決定稿と見られる。

○同句碑の別の写真   左側   右側
4 安良沢小学校校庭内
安良沢郵便局の向い側の道を行き、左に曲がった先に安良沢小学校がある。芭蕉句碑は本校正門前の校舎の壁際に建てられている。
日光東照宮の宝物館に建つ句碑と同様、日光出身の洋画家小杉放菴の揮毫により、
しばらくは瀧にこもるや夏の初
の句が、「芭蕉翁 おくの細道 うらみたきの吟」の文字とともに刻まれている。
句碑は、昭和31年(1956年)5月に安良沢小学校の創立記念を祝って、日光市と関係町内が建てたもの。

同句碑の別の写真

[参 照]

長野県諏訪市の曽良(合同)句碑1  2(右端)
(曽良や同郷の俳人宮坂自徳などの句を刻む合同句碑)

剃捨てて黒髪山の故露もかへ
(「おくのほそ道」では「
剃捨て黒髪山に衣更」)
 
 


 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第18集 芭 蕉 と 日 光
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