明治・昭和初期の日光資料写真と絵図
日光の明治・昭和初期の写真と現在の写真、および絵図を掲載しています。
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No. 明治・昭和初期 現在の写真 解  説
大日堂 大日堂跡 大日堂跡。その昔、大日堂周辺は菩提ヶ原と呼ばれ、大日如来の堂が建てられていたが、慶安2年(1649年)になって大楽院の恵海がこれを再建し、池のある庭園の中に大日如来の石像を安置した。しかし、明治35年(1902年)の大洪水ですべてが流され現在は礎石のみとなっている。
「日光山名勝案内記」(明治39年・大橋兵三郎氏発行)からのモノクロ写真には、往時の池のある庭園と池に建つ大日堂が見られる。
【関連写真】 大日堂跡の標柱大日堂跡A。  大日堂跡に建つ芭蕉句碑
日光の町 日光市街 日光の町と日光街道。現在の写真は、日光庁舎前から神橋方向を撮影したもの。
モノクロ写真は、神橋手前の山から撮影されたもので、カーブしている道の右側が現在の庁舎の位置。(写真出典:同上)
【関連写真】 日光市役所日光庁舎の写真
裏見の滝 裏見の滝 裏見の滝。元禄2年(1689年)4月2日(新暦5月20日)、芭蕉と曽良は、午前8時ごろ上鉢石町の五左衛門宅を出て裏見の滝へ向かった。今は道が整備され、子供でも裏見の滝まで行き着くことができるが、当時は行者道というに相応しい険しい山道であった。
「二荒山神社日光写真帖」(昭和8年・二荒山神社社務所発行)からのモノクロ写真は、記録写真として貴重なもので、明治35年(1902年)の大洪水で滝の落ち口が崩落する以前のものが写されている。
【関連写真】 裏側から見た写真A
中禅寺湖と華厳の滝 中禅寺湖と華厳の滝 明智平から見た中禅寺湖と華厳の滝。現在、中禅寺湖北東畔の中禅寺温泉は、国道沿いにホテルやみやげもの屋が建ち並び、東西に広く開発が進められているが、モノクロ写真では見えるのは森だけで、昔、温泉町が静かなたたずまいだったことを物語っている。(写真出典:同上)
【関連写真】 標柱を添えて現在の光景を見る早朝の中禅寺湖の写真
華厳の滝 華厳の滝 華厳の滝。エレベーターで観瀑台まで下り、しぶきを浴びながら見ることができる。
中禅寺湖の冷水を100mほどの高さからすさまじい勢いで落とし込む名瀑・華厳の滝は、那智の滝、袋田の滝とともに日本三大名瀑の1つに数えられ、滝の両側に切り立つ柱状節理の絶壁が、荘厳な滝に重厚な趣きを加えている。
落ち口付近の岩盤はこれまで何度となく崩落しているが、昭和61年(1986年)には滝口が約10mも後退するほどの大規模な崖崩れを起こしている。落ち口の形状を新旧比較すると、崖崩れの規模の大きさがうかがえる。(写真出典:同上)
【関連写真】 華厳の滝の落ち口の写真柱状節理の絶壁
神橋 神橋 神橋。日光山内の入口付近、大谷川に掛けられた朱塗りの橋で、山口県の錦帯橋、山梨県の猿橋とともに日本三奇橋の1つに数えられている。
現在、橋は工事中で、平成9年(1997年)から平成15年(2003年)までの予定で修復工事が行われている。右側のカラー写真は、工事現場に設置されたパネルを写したもの。これまで見られた橋は、明治37年(1904年)に架けられたもので、昭和25年(1950年)から6年かけて修理されたものだった。
左側のモノクロ写真は、昭和2年に日光東照宮社務所が発行した「日光東照宮写真帖」からのもの。
【関連写真】 工事中の神橋神橋のやや上流部の写真


日光山名勝案内記 (明治39年・大橋兵三郎氏発行)に添付の

日光山の絵図


掲載しているデータについて

上の表の左側の写真は、LAP Edc. SOFTが所有する次の著作物から引用したものです。

日光山名勝案内記 (明治39年・大橋兵三郎氏発行)

二荒山神社日光写真帖 (昭和8年・二荒山神社社務所発行)

日光東照宮写真帖 (昭和2年・日光東照宮社務所発行)

上の表の右側の写真は、LAP Edc. SOFTが撮影したものです。
 
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俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第18集 芭 蕉 と 日 光
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