日光資料写真と解説(2)

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日光市街地点描 [2]
鉢石町のルーツ「鉢石」→天海僧正像→板垣退助像→神橋→二社一寺の参道入口
史跡 鉢石 鉢石町のルーツ「鉢石」。

中鉢石の宇都宮信金日光支店の庭先に、町名・鉢石の由来となっている巨石「鉢石」がある。
その昔、日光山開祖・勝道上人が托鉢の途中、大谷川(だいやがわ)岸辺のこの石に座って日光山を仰いだことから、この石が「鉢石」と呼ばれるようになり、日光街道の最後の宿もこれにちなみ「鉢石宿」と名付けられたという。

標柱  「鉢石」の隣に建つ道標
天海僧正像。

天海は会津高田町の出で、江戸初期の天台宗の僧。寛永20年(1643年)没。徳川家康に仕えて内外の政務に参画し、家康亡き後も秀忠、家光に仕えた。
慶長18年(1613年)に日光山の貫主(かんず)となり、家康没後、久能山から遺骨を日光に移し東照宮を創建した。
銅像は日光市街地の西端にある。
天海僧正像
板垣退助像 板垣退助像。

板垣退助は、明治元年(1868年)の戊辰戦争の際に、日光山に立てこもった大鳥圭介ら旧幕府軍を説得し社寺を戦火から守った。
銅像は、明治元年創業の老舗旅館「星の宿 小西」や明治6年(1873年)創業の「日光金谷ホテル」が建つ山の麓に建てられている。
神橋(しんきょう)。

神橋は、日光山内の入口付近、大谷川に架けられた朱塗りの橋で、山口県の錦帯橋、山梨県の猿橋とともに日本三奇橋の1つに数えられている。
現在、橋は工事中で、平成9年(1997年)から平成15年(2003年)までの予定で修復工事が行われている。右の写真は、工事現場に設置されたパネルを写したもの。
神橋
工事中の神橋 工事中の神橋。

神橋には、「その昔、勝道上人が10人の弟子を連れて男体山に向かう途中大谷川の激流に行く手を阻まれたが、神仏に祈ると深沙大王が現われて赤と青の蛇を一匹ずつ川に投げ入れたところ、蛇が橋のようになったので無事に川を渡ることができた。」という言い伝えがある。
二社一寺の参道。

天海僧正像が建つところからやや西に歩くと日光橋があり、これを越えて横断歩道を渡ると二社一寺の参道入口に出る。

世界遺産の碑
表参道(長坂)
日光杉並木街道寄進碑
深沙王堂と太郎杉
二社一寺の参道


 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第18集 芭 蕉 と 日 光
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