芭蕉について
 

 
「おくのほそ道」になぜ「室の八島」の縁起だけを記したか

元禄2年(1689年)3月29日(新暦5月18日)、芭蕉と曽良は、「おくのほそ道」の旅における最初の歌枕「室の八島」を訪れた。当所は、木花咲耶姫が貞操の証として、燃え盛る無戸室で子を三柱出産したという神話から、古来、煙を題材にして詠まれた歌枕であり、芭蕉一行は、日光への道からわざわざ逸れてこの地を訪ねたのだった。

室の八島ともいわれる大神神社は、奈良県桜井市の三輪山に鎮座する大和国一之宮三輪明神・大神神社の分霊を祭り、創建は神武天皇からかぞえて10代目の崇神(すじん)天皇のころとされる。

芭蕉が訪れたころの大神神社は、天和2年(1682年)三代将軍徳川家光によって再建されたばかりで、まだきらびやかさが残り、木花咲耶姫についての神話を思い起こさせるような、ミスティックな趣きを持ち合わせはいなかった。

また、正徳4年(1714年)に刊行された貝原益軒の「日光名勝記」によれば、8つある島の周囲の水は枯れていたとあるので、芭蕉も、往時のように煙と見紛う水蒸気が境内に立ち上がる光景を見ることはできなかっただろう。

其社の前に室のやしま有。小嶋のごとくなるもの八つあり。其まはりはひきくして池のごとし。今は水なし。嶋の大さいづれも方二間程あり。其嶋に杉少々生たり。室の八島古歌に多くよめる名所也。しまのまはりの池より水気の烟(けむり)のごとく立けるを賞翫しける也。其村の人あまたに問しに、今は水なきゆへ烟もなしといへり。わづかなる所なり。  (日光名勝記)

貝原益軒は、本書に「わづかなる所なり」(辛うじて歌枕の名残をとどめる所だ)と書いて失望の念を表しているが、芭蕉にしても、「おくのほそ道」に曽良の神学の素養を借りて縁起説明をするにとどめた背景には、貝原益軒の心中と同様、歌枕の地が原形をとどめていないことへの無念さがあったように思われる。

曽良の俳諧書留に、「室八島」と題して、「糸遊に結つきたる煙哉」をはじめとする5首の芭蕉の句が認められたが、「おくのほそ道」には1つも採用されることはなかった。
  室八島
糸遊に結つきたる煙哉  翁  
あなたふと木の下暗も日の光
入かゝる日も糸遊の名残哉
      (程々に春の暮れ)
鐘つかぬ里は何をか春の暮
入逢の鐘もきこえす春の暮 (俳諧書留)
 


「おくのほそ道」と室の八島/曽良随行日記
 

「おくのほそ道」と室の八島
元禄2年(1689年)3月29日(新暦5月18日)・・・室の八島
曽良随行日記<原文> 現代語
一 廿八日
マヽダニ泊ル。カスカベヨリ九里。前夜ヨリ雨降ル。辰上尅止ニ依テ宿出間モナク降ル。午ノ下尅止。此日栗橋ノ関所通ル。手形モ断モ不入。
 
一 廿九日
辰ノ上尅マヽダヲ出。
 一 小山ヘ一リ半、小山ノヤシキ、右(左の誤り)ノ方ニ有。
 一 小田(小山のこと)ヨリ飯塚ヘ一リ半。木沢ト云所ヨリ左ヘ切ル。
 一 此間姿川越ル。飯塚ヨリ壬生ヘ一リ半。飯塚ノ宿ハヅレヨリ左ヘキレ、(小クラ川)川原ヲ通リ、川ヲ越、ソウシヤガシト云船ツキノ上ヘカヽリ、室ノ八嶋ヘ行(乾ノ方五町バカリ)。スグニ壬生ヘ出ル(毛武ト云村アリ)。此間三リトイヘドモ、弐里余。
 一 壬生ヨリ楡木ヘ二リ。ミブヨリ半道バカリ行テ、吉次ガ塚、右ノ方廿間バカリ畠中ニ有。
 一 にれ木ヨリ鹿沼ヘ一リ半。
 昼過ヨリ曇。同晩、鹿沼(ヨリ火バサミヘ弐リ八丁)ニ泊ル。(火バサミヨリ板橋ヘ廿八丁、板橋ヨリ今市ヘ弐リ、今市ヨリ鉢石ヘ弐リ。)
一 廿八日
間々田に泊る。春日部より九里。前夜より雨降る。午前7時半頃雨止んで宿を出る。間もなく降る。午後12時半頃止む。この日栗橋の関所を通る。往来手形も断りも入(い)らず。
 
一 廿九日
午前7時半ごろ間々田を出る。
 一 小山へ一里半、小山判官の城跡、左の方に有る。
 一 小山より飯塚へ一里半。木沢(小山市喜沢)という所より左ヘ曲がる。
 一 この間姿川(思川支流)越える。飯塚より壬生ヘ一里半。飯塚の宿はずれより左ヘ曲り、小倉川(
かつて、思川の栃木市を流れるあたりから上流域までは小倉川と称されていたが、現在は思川に統一されている)河原を通り、川を越え、惣社河岸という船着きの上にかかり、室ノ八嶋へ行く(乾ノ方五町ばかり)。すぐに壬生へ出る。(毛武<葵生。栃木市内>という村あり)。この間三里というが二里余り。
 一 壬生より楡木ヘ二里。壬生より半道(半里)ばかり行くと、金売吉次の塚、右の方二十間ばかり畑の中に有り。

 一 楡木より鹿沼へ一里半。
一 昼過ぎより曇り。同晩、鹿沼(より文挟<日光市文挟町>へ二里八丁)に泊る。(文挟より板橋へ廿八丁、板橋より今市へ二里、今市より鉢石へ二里。)
◇一里:約4km ◇一丁(町):約109m ◇一間:約1.8m



 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第17集 芭蕉と室の八島
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