小山資料写真と解説(1)

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祇園城址 祇園城址。

曽良の随行日記に「小山ノヤシキ、右(左の誤り)ノ方ニ有」と書かれた小山判官の旧居城で、現在は城山公園として整備されている。公園の西側を思川が流れ、東側を日光街道が通っている。
祇園城は平安時代に藤原秀郷が築いたとされるが築城年代は不明。「祇園」は、城の守り神として祇園社を祭ったことに由来する。
祇園城址・祇園橋。

写真は祇園橋。祇園城は15世紀ごろから小山氏歴代の本拠となったが、天正3年(1575年)に北条氏照の攻略によって陥落し、城主小山秀綱は追放された。江戸幕府成立後は本多正純が3万石で城主となったが、元和5年(1619年)に正純が宇都宮に移封となったことにより廃城となった。
祇園城址・祇園橋
城山公園から見た思川 城山公園から見た思川。

思川は、黒川、姿川を支流とし、渡良瀬遊水池で渡良瀬川に合流、茨城県古川付近で利根川に合流する。
下野国分寺跡。

国指定史跡。昭和57年(1982年)から発掘調査が行われ、南大門や金堂、講堂、七重塔などの遺跡が確認されている。
国分寺は、天平13年(741年)に、聖武天皇の勅願により五穀豊穣・国家鎮護のため国分尼寺とともに全国に建立された寺院であるが、律令体制のゆるみとともに衰退し、その多くは古代末から中世初期までに廃寺となったとされる。
下野国分寺跡
下野国分尼寺跡 下野国分尼寺跡。

国指定史跡。伽藍跡は昭和39年(1964年)以来4回の発掘調査が行われ、柵列や築地跡の一部が見つかったことから、伽藍地の規模が東西145.4m、南北167mであることが推定されている。


 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第17集 芭蕉と室の八島
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