喜沢から室の八島までの推定コース

日光街道(奥州街道)を千住、草加、粕壁(春日部)、間々田と歩を進めた芭蕉一行は、元禄2年(1689年)3月29日(新暦5月18日)小山に到着した。
 
一 廿九日 辰ノ上尅マヽダヲ出。

 一 小山ヘ一リ半、小山ノヤシキ、右ノ方ニ有。

 一 小田(小山)ヨリ飯塚ヘ一リ半。木沢(喜沢)ト云所ヨリ左ヘ切ル。

 一 此間姿川越ル。飯塚ヨリ壬生ヘ一リ半。飯塚ノ宿ハヅレヨリ左ヘキレ、

    (小クラ川<小倉川。現思川>)川原ヲ通リ、川ヲ越、ソウシヤガシト云船ツキノ上ヘカヽリ、

    室ノ八嶋ヘ行(乾ノ方五町バカリ)。

  (曽良随行日記)

小山から日光への道中としては、宇都宮を経由する日光街道が主に使用されたが、芭蕉一行は、途中、室の八島に立ち寄るために街道を喜沢で左に折れ、壬生通に入った。壬生通は、楡木で日光例幣使街道と道筋を同じにする脇街道で、今市において日光街道と結ばれる。

曽良の随行日記から、喜沢から室の八島までの旅のコースを次のように読み取ることができる。
(1) 日光街道を喜沢で左に折れ壬生通に入る。
(2) 現在の三拝河岸地区で姿川を渡る。
(3) 飯塚宿の南詰で左に折れる。
(4) 思川の川原を行き、惣社河岸付近で思川を渡る。
(5) 惣社河岸の上手から左に折れ、5町(約545m)ほど歩いて室の八島に到着。

  
三拝河岸地区 三拝河岸地区
喜沢で日光街道から壬生通に入り、現在の三拝河岸地区から姿川を渡った。随行日記に「木沢(喜沢)ト云所ヨリ左ヘ切ル。此間姿川越ル。飯塚ヨリ壬生ヘ一リ半」とある。写真は姿川で、思川との合流点付近を写したもの。この付近に三拝河岸の船着場があった。
台林寺 台林寺
随行日記に「飯塚ノ宿ハヅレヨリ左ヘキレ、(小クラ川)川原ヲ通リ、・・・」とあり、「飯塚ノ宿ハヅレ」にあたるのが、写真の台林寺付近と見られている。
芭蕉一行は、この飯塚宿の南詰から壬生道を逸れ、思川の川原を黒川との合流地点付近まで歩いた。
思川と黒川との合流地点 思川と黒川との合流地点
随行日記に書かれた「ソウシヤガシ」は、思川と黒川との合流点付近にあった船着場。芭蕉一行はこの付近で思川を渡り、惣社河岸の船着場の上手から左に折れ、5町(約545m)ばかり歩いて室の八島に到着した。
  
室の八島 室の八島
室の八島は大神神社のことで、境内の水を張った池の中に、石橋や朱塗りの橋が架かった島が8つあり、それぞれの島に筑波神社、天満宮、鹿島神社、雷電神社、浅間神社、熊野神社、二荒山神社、香取神社が鎮座している。
  

  

 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第17集 芭蕉と室の八島
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