芭蕉について
 

第1日目の宿泊地について

「おくのほそ道」には「其日漸(ようよう)早加(草加)と云宿にたどり着にけり」とあって、第1日目の宿泊地が草加宿のように読みとれるが、曽良の随行日記には「廿七日夜 カスカベニ泊ル。江戸ヨリ九里余」と記されている。

随行日記には創作的な性格がなく、ただ日々の道中を坦々と綴るものであるから、第1日目の宿泊先は、日記にある通り粕壁(春日部)と見ていいだろう。それではなぜ、「おくのほそ道」で「漸早加と云宿に」と記したのだろうか。次の2つの章段を通して読むことにより、そうしたことの背景が見えてくる。

区間 里程 (1里=36町) km換算
千住宿 から 草加宿 まで 2里8町 約9km
草加宿 から 越ケ谷宿 まで 1里28町 約7km
越ケ谷宿 から 粕壁宿 まで 2里28町 約11km
合計 6里28町 約27km
旅立ちの章段
弥生も末の七日、明ぼのゝ空朧々として、月は在明にて光おさまれる物から、不二の嶺幽にみえて、上野・谷中の花の梢、又いつかはと心ぼそし。むつましきかぎりは宵よりつどひて、舟に乗て送る。千じゆと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそゝぐ。
  行春や鳥啼魚の目は泪
是を矢立の初として、行道なをすゝまず。人々は途中に立ならびて、後かげのみゆる迄はと見送なるべし。
草加の章段
ことし元禄二とせにや、奥羽長途の行脚只かりそめに思ひたちて、呉天に白髪の恨を重ぬといへ共、耳にふれていまだめに見ぬさかひ、若生て帰らばと、定なき頼の末をかけ、其日漸早加と云宿にたどり着にけり。痩骨の肩にかゝれる物、先くるしむ。只身すがらにと出立侍を、帋子一衣は夜の防ぎ、ゆかた・雨具・墨筆のたぐひ、あるはさりがたき餞などしたるは、さすがに打捨がたくて、路次の煩となれるこそわりなけれ。

芭蕉は、遥かな未知の国に旅立つ心細さを「前途三千里のおもひ胸にふさがりて」と書き、慣れ親しんだ江戸の地を離れ、友や門人と別れる切なさを「幻のちまたに離別の泪をそゝぐ」と叙している。それゆえに、後ろ髪を引かれる思いで「行道なをすゝまず」というのである。

ところが、延々たる千住宿の街道を過ぎたあたりから、「路縦横に踏で」(飯塚温泉の章段)といった風に威勢よく足を運び、粕壁宿までの6里28町を一気に旅したという筋書きでは、「行春や鳥啼魚の目は泪」の句が霞んでしまい、「前途三千里」の旅についての深憂ないしは悲壮感が見えてこない。

こうしたことから、旅の初日に草加宿にたどるのがやっとだったと虚構し、「其日漸早加と云宿にたどり着にけり」とすることにより、2つの章段に一貫した旅の不安を塩梅でき、同時に、以降の旅の成行きに更なる興味を抱かすことができる、といった判断が成されたように思われる。

春日部の宿泊地と伝えられる東陽寺、小渕山観音院については「資料写真と解説」参照。
 


「おくのほそ道」と草加/曽良随行日記
 

「おくのほそ道」と草加
元禄2年(1689年)3月27日(新暦5月18日)
曽良随行日記<原文> 現代語
一 廿七日夜
カスカベニ泊ル。江戸ヨリ九里余。
一 廿七日夜
粕壁(春日部)に泊る。江戸より九里余り。
 
第1日目の宿泊地については、上の「
第1日目の宿泊地について」を参照。
 
◇一里:約4km ◇一丁(町):約109m ◇一間:約1.8m

 

 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第16集 芭 蕉 と 草 加
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