草加資料写真と解説(5)

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東福寺・山門 東福寺・山門。

旧日光街道の「おせん茶屋」の向い側に東福寺の参道入口があり、その突き当たりに山門がある。
松寿山不動院と号する東福寺は、僧賢宥により開山され、草加宿の開発を手がけた大川図書(ずしょ)によって慶長11年(1606年)に創建された寺と伝えられている。
四脚門切妻造りの山門は市指定文化財。
東福寺・本堂。

本堂は草加市内最大。文政7年(1824年)に改築されたものだが、平成5年に大規模な改修が行われている。
本堂の前面の向拝には後藤直光(下総国行徳)作の彫刻が掲げられている。

本堂内・外陣境の彫刻欄間
東福寺・本堂
東福寺・筆子奉納額一面 東福寺・筆子奉納額一面。

東福寺は寺小屋として使用された経緯があり、本堂内には文政13年(1830年)9月に山田龍暁(ゆうぎょう)を師とする筆子(生徒)67名によって奉納された2面の大額が掲げられている。
作品ごとに氏名と年齢が記されているが、それを整理すると下は6歳から上は14歳まで、平均すると9歳になったという。

奉納額二面
東福寺・鐘楼。

市指定文化財。建立年代は不明だが、「文久二年(1862年)七月再建立」と刻銘された基壇の上に、入母屋造りの屋根の鐘楼が建てられている。
東福寺・鐘楼
東福寺・大川図書の墓 東福寺・大川図書の墓。

東福寺を創建した大川図書は、小田原北条氏に仕え、土本氏を名乗る武士であったが、天正18年(1590年)に小田原城が落城したことで浪人となり岩槻に移った。その後、朋友の関東代官伊奈備前守忠次の計らいで一時谷塚村に住んだが、後に、宿篠葉村に移り住み、草加宿を開く立役者となった。住吉2丁目の県道足立・越谷線沿いに、大川図書に連なる大川家の屋敷がある。
東福寺には、江戸落語中興の祖石井宗叔の墓もある。


 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第16集 芭 蕉 と 草 加
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