大川端芭蕉句選碑めぐり
隅田川の川縁に建つ「大川端芭蕉句選碑」の写真を掲載しています。
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No 句碑の写真 作句年 発句 (碑文通りに記載)と参考事項
1 延宝8年 冬
(1680年) 37歳
しばの戸にちゃをこの葉かくあらし哉
「続深川集」。入庵直後の作で、前書に「こゝのとせ(九年)の春秋、市中に住み侘て、居を深川のほとりに移す。長安は古来名利の地、空手(くうしゅ)にして金なきものは行路難しと云けむ人のかしこく覚え侍るは、この身のとぼしき故にや。 」とある。


○「芭蕉と深川界隈」の「芭蕉について」参照。
2 天和元年 秋
(1681年) 38歳
芭蕉野分して盥(たらい)に雨を聞夜哉
「武蔵曲」。前書に「老杜、茅舎破風の歌あり。坡翁ふたゝびこの句を侘て、屋漏の句作る。其世の雨を芭蕉葉にきゝて、独寝の草の戸。 」とある。

○「芭蕉と深川界隈」の「芭蕉について」参照。
3 天和3年 冬
(1683年)
40歳
あられきくやこの身はもとのふる柏
「続深川集」。第二次芭蕉庵に入居して詠む。前書に「ふたたび芭蕉庵を造り営みて」とある。
4 貞亨3年
8月15日
(1686年)
43歳
名月や池をめぐりて夜もすがら
「あつめ句」。隅田川に船を浮かべて催された句会(芭蕉庵月見の会)で詠まれた句。其角、仙北、吼雲らが同席。
同月下旬刊の山本荷兮編「春の日」に、「雲をりをり人をやすむる月見かな」など三句入集。
5 貞亨4年 春
(1687年)
44歳
花の雲鐘は上野か浅草歟(か)
「あつめ句」。同年春の句に、「一年(ひととせ。先年)都の空に旅寝せしころ、道にて行脚の僧に知る人になり侍るに、この春みちのおく見に行くとて、わが草庵を訪(とぶら)ひければ」を前書にして「またも訪へ薮の中なる梅の花」の句を詠んでいる。
6

元禄5年 8月
(1692年)
49歳
(上) 芭蕉葉を柱にかけん庵(いほ)の月
土芳編「蕉翁文集」所収の、「胸中一物なきを貴としとし、・・・」ではじまる「移芭蕉詞(ばしょうをうつすことば)」中の句。
7 元禄5年 8月
(1692年)
49歳
名月や門に指(さし)くる潮頭
「菊は東の垣で栄え・・・」ではじまる「芭蕉を移す詞」は、「三日月日記」所収で、「三日月日記」に、同句と「三日月や地は朧(おぼろ)なる蕎麦(そば)」の二句が載る。
8 元禄6年
4月29日
(1693年) 50
郭公(ほととぎす)声横たふや水の上
[郭公声や横たふ水の上]
「荊口宛芭蕉書簡」。3月下旬頃、甥の桃印が芭蕉庵で亡くなって気落ちする中、芭蕉が大垣藩士荊口宛に書いた書簡に見られる句。書簡中、同句と「一声の江に横たふやほととぎす」の二句が併記され、両句について、芭蕉が物知りと称える沾徳や山口素堂、原安適らの句評談義が綴られている。
9 元禄6年 冬
(1693年) 50
みな出でて橋をいただく霜路哉
「泊舶集書入」。前書に「新両国の橋かかりければ」とある。12月7日、千住大橋、両国橋に続く3番目の隅田川架橋として新大橋が架けられ、これにより、江戸市中との交通が便利になり、深川の発展に大きく寄与した。当初、現在の新大橋より約200m程下流に架けられていたが、明治45年(1912年)7月に鉄橋となった時から現在地に移った。芭蕉は、新大橋の工事中に「初雪やかけかゝりたる橋の上」の句を詠み、また、完成後に上の句と「ありがたや戴いて踏む橋の霜」の句を詠んでいる。

 

 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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[特 集] 芭蕉と深川界隈
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