深川界隈資料写真と解説(7)

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涼亭と磯わたり 清澄庭園。

五代将軍綱吉の側用人柳沢吉保と親交があり、材木御用達として栄えた紀伊国屋文左衛門の屋敷跡に作られた庭園。享保年間(1716〜1735年)、下総国関宿藩主久世家の下屋敷となったころに庭園の基が造られた。
清澄庭園の石橋。

明治11年(1878年)に三菱財閥の基礎を築いた岩崎弥太郎の所有となって、来客用として庭園の整備が行われた。整備にあたっては、自社の汽船で全国各地の名石などを収集して配置し、明治18年(1885年)に「深川親睦園」として竣工した。
写真の石橋は宮城県の仙台から運ばれたもの。
石橋
傘亭 清澄庭園の傘亭。

岩崎弥太郎の後、弟の弥之助が造園を受け継ぎ現在の「回遊式林泉庭園」を完成させた。
昔、庭園の池の水は隅田川から引かれていたため、潮の干満の差によって庭園の変化を鑑賞することができたという。
昭和54年(1979年)に、東京都の名勝第1号として指定された。
自由広場への入口。

庭園の南端に、芭蕉句碑が建ち、花菖蒲が植えられた自由広場がある。
自由広場への入口
芭蕉句碑 芭蕉句碑。

古池やかはづ飛こむ水の音  
貞享3年(1686年)春、芭蕉庵に門人を集め、「蛙」を詠み合う句合の会で詠まれた句。この句碑は、昭和9年深川芭蕉庵跡(芭蕉稲荷神社)に其角堂九代目の晋永湖という神田の俳人が建てたものだが、芭蕉庵跡を整備したとき敷地が狭いために清澄庭園の現在の位置に移された。


 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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[特 集] 芭蕉と深川界隈
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