千住資料写真と解説(5)

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千住高札場跡

千住高札場跡。

千住仲町の北詰に高札場跡碑が建っている。写真で左右に走る道が旧日光街道で、これに交わる道が通称「大踏切の通り」。高札場は、江戸時代に、幕府や藩から出される法令・規制を伝えるお触書(おふれがき)や重犯罪人の罪状を記して、人目を引く辻などに板札を高く掲げたところ。
 
千住高札場跡碑
一里塚跡。

上の写真の右上に、一里塚跡碑が建っている。一里塚は、里程を明示する目的で、日本橋を起点にして街道の両側に一里刻みで土を盛ったもので、一里は36町(約4km)に統一され、両方の塚には崩壊を防ぐために根張りのよい榎が主に植えられた。宝暦元年(1751年)の「増補行程記」から、千住の一里塚が、木は片方だけながら塚は両側にあったことが知られる。
一里塚跡
千住問屋場跡 千住問屋場跡。

千住一丁目の南詰付近に千住問屋場(といやば)跡碑が建っている。問屋場(といやば)は宿の事務担当機関として街道を往来する旅人のために駕籠や人馬の継立などを行ったところで、足立信金本店と旧区役所の敷地がその跡地にあたる。
千住宿本陣跡。

千住三丁目の南詰付近に千住本陣跡碑が建っている。本陣は、大名や幕府役人、日光を往復する門跡などが宿泊したところで、その広さは、標柱が建つところから西は千寿本町小学校前の通りまでを占め、面積は約361坪、建坪120坪であったと記録されている。
千住宿本陣跡
宿場町通り 宿場町通り。

「宿場町」を名に残す商店街。千住宿は、はじめ、千住一丁目から五丁目が宿として機能していたが、万治元年(1658年)に掃部宿・川原町・橋戸町(現在の千住仲町・千住河原町・橋戸町)が、万治3年(1660年)に現在の荒川区小塚原町・中村町が千住宿に加わり、これらを総じて千住宿と称した。
千住宿の俤を残す公園。

千住三丁目の旧道沿いに昔の千住宿の俤を残す千住本町公園がある。公園には「千住宿」の額を掲げた門が建てられており、その傍らに「千住宿 高札場 由来」の説明板が建っている。
千住宿の俤を残す公園


 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第15集 芭 蕉 と 旅 立 ち
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