近世と現代の鹽竈神社界隈

地図提供:塩釜市 地図出典:塩釜市 うるおい・緑・景観町づくり整備計画書

[ 近 世 ]
 




奥州名所図会から(「法蓮寺」跡の説明板を撮影)

○斜線箇所は人家密集地。

○「法蓮寺」について、跡地の説明板に次のように記されている。
法蓮寺は金光明山法蓮寺と号し、真言宗鹽竈神社別当寺であったが、明治維新に神仏判然令が布告され廃寺となる。現在その面影を偲ぶことができないが、藩政期には神社も含めて法蓮寺が管理して藩内第一の寺社領を持っていた。法蓮寺の由来についてはさだかではないが、鹽竈神社には別当の神宮寺があって、奥州留守職四代留守家広の弟良弁が中興した。その後天正の頃、富鏡が神宮寺に真言宗法蓮寺を建立し、仙台藩政期には、鹽竈神社別当寺となった。安永風土記書上によると同寺には本尊大日如来を安置する。仏殿・客殿・方丈・書院(勝画楼)・鐘楼、山内脇院十二院が裏参道添いに建ち並んでいた。尚、勝画楼(書院)は藩主の神社参拝のお休み所として建てられ、明治九年明治天皇の鹽竈神社御参拝の折、御休憩所となった。(平成七年 塩釜市教育委員会)

○「芭蕉船出の地」は、その標柱が建立されている位置(下図参照)から推定。


[ 現 代 ]
 

○昭和30年代の埋め立てにより、「芭蕉船出の地」は、海岸線から500mほど西に離れた。


 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第14集 芭 蕉 と 塩 釜
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