多賀城資料写真と解説(1)

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多賀城跡 多賀城跡。
 

多賀城は陸奥国支配の本拠地として神亀元年(724年)に創建された。陸奥国府と蝦夷の反乱を鎮める鎮守府が置かれ、陸奥出羽按察使・陸奥守および鎮守府将軍を兼任する国守が駐在した。
標柱を右に見て細い道を200m程進むと政庁跡の丘陵に行き着く。その裾付近には鎮魂のための石碑が数多く並んでいる。

 

この位置から道の右側に建つ多賀城碑を見る
政庁に続く階段。
 

丘陵の裾から政庁に続く階段は玉石を整然と配置して、ゆったりとした間隔で築かれている。この階段を登りきった先には都の一角と見まごうほどの建物が絢爛たる姿を呈していた。「遠の朝廷」として悠久の歴史を刻んだ多賀城は、昭和63年から行われている遺跡調査により、少しずつその全容を見せはじめている。

 

別角度から   ○多賀城政庁の復元模型(東北歴史博物館)
政庁に続く階段
多賀城政庁跡の全景 多賀城政庁跡の全景。
 

多賀城は「築地(ついじ)」とよばれる土塀によって一辺がおよそ1kmほどの不整方形に区画された。総面積は74万平方メートルといわれる。そのほぼ中央に位置する丘の上に、政務や儀式のための政庁が築かれた。
政庁は、東西約100m、南北約120mの築地で囲まれていた。

 

昭和30年代に復元された築地
政庁正殿跡。
 

多賀城政庁の中央に位置した正殿跡。
発掘調査によって、現在の跡地に築かれた多賀城は10世紀後半にその機能を終えたとされる。このころになると多賀城の中枢であった政庁や各部署、築地の維持管理が行われなくなり、同時に町並みも消滅していったという。

 

この位置から東方 西  
政庁正殿跡
陸奥守の館跡 陸奥守の館跡。
 

多賀城南門があったところ(多賀城碑が建つ小丘)から西方800mの陸前山王駅近くに、陸奥守の館跡がある。
平成2年の発掘調査の際に右大臣から受けた文書が見つかったことなどから、この区画が陸奥守の館跡とされた。

 

国守館の想像図


 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第13集 芭 蕉 と 多 賀 城
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