多賀城資料写真と解説(2)

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多賀城廃寺 多賀城廃寺。

国特別史跡(大正11年10月)。政庁跡の東南約1kmのところにある。
東北地方を治める為の本格的な最初の城柵・多賀城の創建と同じ時期(奈良時代初め)に、七堂伽藍を備えたこの寺院も建てられた。昭和36年〜37年に行われた発掘調査の結果、この寺院が多賀城に附属していたことが明らかになっている。
多賀城廃寺の金堂跡。

金堂の正面が東を向いて、その正面に塔が建てられている。

昭和62年の発掘調査で杯が出土されたが、その1つに墨で「観音寺」と書かれていることが発見された。これにより、多賀城廃寺の正式名称が「観(世)音寺」であった可能性がでてきている。
 
本寺院の復元模型(東北歴史博物館)
多賀城廃寺の金堂跡
多賀城廃寺の塔跡 多賀城廃寺の塔跡。

塔を支えた16個の礎石と心柱(しんばしら)を支えた心礎が完全な形で残っている。塔の基壇(写真で小丘に見えるところ)の高さは2mほど。
ここに建てられていた塔は、平面の規模や心柱基部の直径などから、三重の塔と推定されている。
陸奥総社宮。

多賀城市市川にある。陸奥国延喜式内社(平安初期の朝廷の儀式や制度などを記した「延喜式」の神名帳に官社として登録されている神社)の100社の神を合わせ祭っている。
 
陸奥総社宮への道標
道標がある追分
陸奥総社宮
陸奥総社宮の拝殿
陸奥総社宮の拝殿。

「総社」とは、国司が国内の神社を管理することが任務となっていたため、国府または国府に近い地域に一の宮・二の宮(諸国の上位1、2位につける格式ある神社)を一同に集めて祭った神社のこと。


 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第13集 芭 蕉 と 多 賀 城
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