多賀城資料写真と解説(4)

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宝国寺と末の松山 宝国寺と末の松山。

末松山宝国寺の本堂の奥に樹齢470年を越える「末の松山」の老松が亭々とそびえている。
参道に、三十六歌仙の一人清原元輔が詠んだ「契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山なみこさじとは」(後拾遺和歌集)の歌碑が見られる。
末の松山。

「末の松山」は、当地に赴いた中央官人らによって都に伝播され、陸奥を代表する一流の歌枕として慕われ続けた。
 
平成13年(2001年)3月に「沖の石」側に突き出ていた大枝が積雪で折れ樹形が大きく変化した。
  

枝折れ前の樹形
末の松山
末の松山 末の松山。

「末の松山」を詠んだ歌として、古くは、古今和歌集に見られる東歌「君をおきてあだし心をわがもたばすゑの松山浪もこえなむ」があり、藤原興風が宮廷で詠んだ「浦ちかくふりくる雪は白浪の末の松山こすかとぞ見る」も同集に採録されている。
末の松山。

曽良は、「末の松山」について「塩カマノ巳午ノ方三十丁斗。八幡村ニ末松山寶国寺ト云寺ノ後也。市川村ノ東廿町程也。仙台ヨリ塩カマヘ行ハ右ノ方也。多賀城ヨリ見ユル」(名勝備忘録)と記して、当時、多賀城碑の辺りから「末の松山」が見えたことを窺わせているが、今は、民家やビルが視界を遮って遠望が利かない。   
末の松山
末の松山と沖の石 末の松山と沖の石。

「末の松山」から南へ抜ける道を下っていくと、池の中に奇岩が幾重にも連なった「沖の石(沖の井)」が見えてくる。「沖の石」は、二条院讃岐の歌「わが袖はしほひに見えぬおきの石の人こそしらねかわくまぞなき」(千載和歌集)などを典拠にして当所に設定された歌枕。

「末の松山」からの道
沖の石。

安永年間(1772〜1780年)の「宮城郡八幡村風土記御用書出」に、「沖の石」が仙台藩四代藩主伊達綱村のころから保護され、番人が置かれていたことが書かれている。
沖の石
沖の石 沖の石。

曽良は、「名勝備忘録」の中で「沖の石」を次のように記している。
末ノ松山エ弐丁(約218m)程間有。奥井(沖の井)、八幡村ト云所ニ有。仙台ヨリ塩釜ヘ行右ノ方也。塩釜ヨリ三十丁程有所ニテハ奥ノ石(沖の石)ト云。村ノ中屋敷ノ裏也。


 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第13集 芭 蕉 と 多 賀 城
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