宮城野について
 
宮城野の俤が残る陸奥国分寺跡

宮城野は、昔ツツジの名所として知られた榴岡から東に延びる平野をいい、仙石線の榴ヶ岡駅界隈や隣の宮城野原駅から陸奥国分寺跡がある木ノ下あたりまでがこれにあたる。
 
現在は、住宅地や公園、総合運動場などに変わり、歌に詠まれた古の宮城野を見つけることは困難だが、その東南の一角にあたる陸奥国分寺跡の森に入ってみると、わずかにその俤を偲ぶことができる。


「おくのほそ道」に旅立つ前、曽良が名所・旧跡を下調べして書いた「名勝備忘録」があり、その中で宮城野は次のように控えられている。

○宮城野   仙台ノ東ノ方、木ノ下薬師堂ノ辺ナリ。惣(すべ)テ仙台ノ町モ宮城野ノ内也。

宮城野は、古来一流の歌枕として多くの歌人に慕われ、みちのくを象徴する名所の一つとして憧憬されたが、その一端をうかがわせるエピソードが、鴨長明の「無名抄」に書かれている。これによれば、歌人として知られた橘為仲が陸奥守の任を終えて京へ戻るときに、宮城野の萩を12個の長櫃(ながびつ)に収めて持ち帰ったところ、大勢の人がその土産を見るため、二条の大路に集まっていたという。

五月五日かつみを葺く事  (中略)此為仲、任果てて上りける時、宮城野の萩を掘りとりて長櫃十二合に入れて持ち上りければ、人あまねくききて、京へ入ける日は、二条の大路にこれを見物にして人多く集まりて、車などもあまたたちたりけるとぞ。 (無名抄)

元禄2年(1689年)5月7日、芭蕉は大淀三千風門下の加右衛門の案内で、名所・旧跡の整備が進められた後の宮城野を逍遥し、「おくのほそ道」に「宮城野の萩茂りあひて、秋の景色思ひやらるゝ」と記している。この日は新暦で6月23日にあたり、開花の時期には早かったが、芭蕉はあたり一面に群生する萩の景色を見て、古歌に詠まれた「宮城野」や「萩」に深く思いを寄せた。

「源氏物語」
宮城野の露吹きむすぶ風の音に小萩がもとを思ひこそやれ

「古今和歌集」 よみ人しらず
宮木野の本荒の小萩露をおもみ風をまつごと君をこそ待て

「千載和歌集」 源俊頼
さまざまにこころぞとまる宮城野の花のいろいろ虫の声々

「基俊集」 藤原基俊
宮城野の萩や牡鹿の妻ならむ花咲きしより声の色なる

「山家集」 「新古今和歌集」  西行 
あはれいかに草葉の露のこぼるらむ秋風立ちぬ宮城野の原

この日、芭蕉が足跡を残した榴岡天満宮の境内は、宮城野を詠んだ発句や歌の碑を集めて碑林を成し、芭蕉や門人各務支考など、幾多の古人の言葉を今に伝えている。
 

 
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宮城野総合運動場の中にある、陸上競技場のスタンドから陸奥国分寺跡の方角を写した写真。

宮城野総合運動場の中にある、陸上競技場のスタンドから榴岡の方角を写した写真。

宮城野総合運動場の西側は、JRの貨物基地として利用されている。
 

 

 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第12集 芭 蕉 と 仙 台
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