仙台資料写真と解説(4)

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陸奥国分寺跡 陸奥国分寺跡。

国指定史跡。仙台城跡から4kmほど東にある木ノ下地区には、奈良時代に創建された陸奥国分寺があったが、頼朝が藤原泰衡を討ち奥州を征伐した文治5年(1189年)に焼失した。
慶長8年(1603年)に岩出山から仙台城に居を移した伊達政宗は、国分寺の再建を念願して慶長12年(1607年)10月、陸奥国分寺跡に薬師堂を創建し、同時に仁王門や鐘楼などを建立した。
薬師堂の仁王門。

仁王門が建つあたりは陸奥国分寺創建時に南大門が建っていたところとされ、門内には守護神として一対の金剛力士像が安置されている。
仁王門の茅葺(かやぶき)屋根は、昭和63年(1988年)に葺きかえられた。
仁王門
参道 薬師堂の参道。

取材当日、「火渡り式」の行事があり、境内には多くの出店が立ち並んでいた。
「火渡り式」の準備が進められていたが、時間の都合で式が始まるまで薬師堂に留まることができなかった。
薬師堂。

近年の発掘調査により、薬師堂が陸奥国分寺の講堂跡に建てられたことが明らかになっている。
単層入母屋造り、本瓦葺、素木造りの薬師堂は、仙台市内における桃山様式の代表的建造物で、明治36年(1903年)に国の重要文化財に指定された。
芭蕉と曽良は、加右衛門の案内で元禄2年(1689年)5月7日(新暦6月23日)、この薬師堂を訪れた。
薬師堂・天神の御社など拝て、其日はくれぬ。(おくのほそ道)
薬師堂
七重塔跡 七重塔跡。

約三万坪ある境内には陸奥国分寺の跡がいくつか見られるが、七重塔跡はその中の一つ。
創建時の規模は塔基壇が16.3m四方、高さが推定57mで、周囲に東西37.4m、南北40.5mの回廊がめぐらされていた。
塔は、承平4年(934年)に雷火で焼失している。
「おくのほそ道」の標柱。

左に見える建物の前を通り100mほど西に行くと、現在の陸奥国分寺に出る。
「おくのほそ道」の標柱
準胝観音堂 準胝(じゅんてい)観音堂。

仙台三十三観音の二十五番札所。旧準胝観音堂は、陸奥国分寺の十八伽藍の一つであったが文治5年(1189年)に焼失。享保4年(1719年)になって仙台藩五代藩主伊達吉村の夫人長松院久我氏冬姫が本尊の準胝観音を寄進して堂を再建した。
心字ケ池。

窪地になっているところが心字ケ池だが、現在は水がはられていない。
池の畔に芭蕉が仙台で詠んだ「あやめ草足に結ん草鞋の緒」の句碑が建ち、その左手には大淀三千風供養碑が建っている。
三千風の供養碑は、万水堂朱角が師三千風を供養する為に建てたもの。
心字ケ池


 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第12集 芭 蕉 と 仙 台
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