陸奥国分寺跡に建つ薬師堂
 
薬師堂

仙台城跡から4kmほど東にある木ノ下地区には、奈良時代に創建された陸奥国分寺(復原図)があったが、頼朝が藤原泰衡を討ち奥州を征伐した文治5年(1189年)に焼失した。

慶長8年(1603年)に岩出山から仙台城に居を移した伊達政宗は、国分寺の再建を念願して慶長12年(1607年)10月、陸奥国分寺跡に薬師堂を創建し同時に仁王門や鐘楼などを建立した。

 
近年の発掘調査により、薬師堂が陸奥国分寺の講堂跡に建てられたことが明らかになっている。単層入母屋造りで本瓦葺、素木造りの薬師堂は、仙台市内における桃山様式の代表的建造物で、明治36年(1903年)に国の重要文化財に指定された。

仁王門の建つところは、陸奥国分寺創建時に南大門が建っていたところとされ、門内には守護神として一対の金剛力士像が安置されている。仁王門の茅葺(かやぶき)屋根は、昭和63年(1988年)に葺きかえられた。

約三万坪ある境内には陸奥国分寺の跡がいくつか見られるが、七重塔跡はその一つである。現在、塔の姿を見ることはできないが、創建時の規模は塔基壇が16.3m四方、高さが推定57mで、周囲に東西37.4m、南北40.5mの回廊がめぐらされていた。塔は、承平4年(934年)に雷火で焼失している。

また、境内には仙台三十三観音の二十五番札所である準胝(じゅんてい)観音堂が建っている。旧準胝観音堂は、陸奥国分寺の十八伽藍の一つであったが文治5年(1189年)に焼失し、享保4年(1719年)になって仙台藩五代藩主伊達吉村の夫人長松院久我氏冬姫が本尊の準胝観音を寄進して堂を再建した。

準胝観音堂の近くに心字ケ池(現在は水がはられていない)があり、そのほとりに芭蕉が仙台で詠んだ「あやめ草足に結ん草鞋の緒」の句碑が建ち、その左に大淀三千風供養碑が建っている。
芭蕉の句碑は、駿河の俳人山南官鼠が天明2年(1782年)に仙台を訪れた時に建てたもので、裏面に官鼠の句「暮れかねて鴉(からす)啼くなり冬木立」が読める。三千風の供養碑は、俳人万水堂朱角が師の三千風を供養するために享保7年(1722年)に建てたもので、碑の表面左に朱角の句「名の風や水想観の花かほる」が刻まれている。

薬師堂の西100mほどのところに真言宗の現陸奥国分寺があり、本堂には薬師如来像が安置されている。

 

 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第12集 芭 蕉 と 仙 台
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