名取資料写真と解説(1)

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実方の墓の標柱 仙台岩沼線に建つ標柱。

JR東北本線・館腰駅の北側から県道・愛島名取線に入り西の山側へ行くと、やがて旧東街道の仙台岩沼線に出る。合流地点から北1.5kmほど先に道祖神社があり、そこから1km余り行くと、「中将藤原実方朝臣の墓」と書かれた背の高い標柱が目に止まる。


実方の墓に通じる道。

愛島塩手の北野地区。「愛島」は、江戸時代に北目村、小豆島村、笠嶋村、塩手村であったところが明治22年に合併し愛島(めでしま)村となり、昭和33年以降名取市の一部となった。江戸時代にあった村の名は、現在、愛島北目、愛島小豆島、愛島笠島、愛島塩手の地区名として残っている。
実方の墓に通じる道
実方橋 実方橋。

平安の世に、円融院(村上天皇第五皇子)や花山院(冷泉天皇の第一皇子)の寵(ちょう)を受け、歌詠みとして広く聞こえた宮廷花形の貴公子・藤原実方の墳墓は、この先の山際に、ひっそりと佇んでいる。
下は、参道に見られる芭蕉句碑と西行ゆかりの「かたみのすすき」。
芭蕉句碑(左)。 拡大
 
笠嶋は何つこ皐月のぬかり道
(笠嶋はいづこさ月のぬかり道)
 
「おくのほそ道」碑 (右)。
碑文内容は次の通り。 拡大
元禄2年(1689年)漂泊の俳人松尾芭蕉は門人曽良とともにみちのくへ旅し悲運の歌人藤原中将実方朝臣の塚を訪れようと名取の郡に入る。折悪しく日没と五月雨の悪路に阻まれ目的を果たせぬままこの地に無念の一句を残し通り過ぎる。時過ぎて三百年、ここに芭蕉翁の句を記すとともに、追慕の思いを込めてこの碑を建立する。
笠嶋は何つこ皐月のぬかり道(芭蕉) と「おくのほそ道」碑
「かたみのすすき」と草鞋塚の碑 「かたみのすすき」と
草鞋塚の碑。
 
天養元年(1144年)、陸奥・出羽へと歌枕の旅に出た西行は、実方が死して188年後、再び陸奥へ向かった。西行は、この時実方の墓に立ち寄り、霜枯れのすすきに心を寄せながら一首残した。これが「かたみのすすき」の由来となっている。
朽もせぬ其名ばかりをとゞめをきてかれのゝ薄かたみにぞみる

草鞋塚(わらじづか)の碑には、仙台藩士で天保の俳人・松洞馬年の句が刻まれている。
笠島はあすの草鞋のぬき処


 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第11集 芭 蕉 と名 取
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