馬牛沼(ばぎゅうぬま)について
 
馬牛沼

元禄2年5月3日、芭蕉と曽良は福島との境を越え、雨天の中いよいよ仙台領に入った。

曽良の随行日記に、藩境から馬牛沼までについて説明している箇所がある。
コスゴウトかいたトノ間ニ福島領(今ハ桑折ヨリ北ハ御代官所也)ト仙台領(是ヨリ刈田郡之内)トノ堺有。左ノ方、石ヲ重テ有。大仏石ト云由。さい川ヨリ十町程前ニ、万ギ沼・万ギ山有。
越河(宮城県白石市)と貝田(福島県国見町)との間に、福島領と仙台領との境がある。左の方に石を重ねたところがあり、これを大仏石という。斎川

より十丁(約1090m)ほど手前に馬牛沼と万牛山がある。

沼の辺の説明板には、呼称が「馬牛沼」となった謂れについて、9世紀の初め頃、征夷大将軍坂上田村麻呂の馬がこの沼に落ちて死んだので「馬入沼」としたことが書いてあり、このほかに、沼の中の孤洲が馬に似ているので「馬形沼」とした、また、この沼に馬首牛身の異獣が泳ぎ回っていたので「馬牛沼」と名付けたなどの謂れのあることが書かれている。

馬牛沼では明治30年ごろから鯉の養殖が盛んで、晩秋に行われる「沼乾し」の行事は秋の風物詩となっている。

馬牛沼から国号4号(途中から旧国道4号に入る)を600mほど白石市街地に向かうと、右手に「鐙摺」の遺跡や甲冑堂のある田村神社が見えてくる。


 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第9集 芭 蕉 と 白 石
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