白石城について
 
復元された白石城

白石城が建つ現宮城県南部は、天正19年(1591年)に豊臣秀吉に没収されるまで伊達氏の勢力下にあったが、慶長5年(1600年)当時は上杉領で、会津上杉氏が城を所領し、甘糟備後清長が居城していた。

関ケ原の戦直前の同年7月24日、伊達政宗が白石城を一望できる陣場山に本陣を置いて白石城を攻略したことから、当地は再び伊達領となった。
   

城は政宗の重臣片倉小十郎景綱により大改修が行われ、慶長7年(1602年)に景綱が城主となった。明治元年に戊辰戦争で敗れるまで、十一代に渡り片倉氏が白石城に居城した。

明治元年、伊達氏が朝廷に降伏したのち白石城は南部氏の所領となり、明治2年、十二代片倉景範は家臣とともに北海道に移住した。城は明治7年(1874年)に民間に払い下げられ、建造物、石垣等が逐次解体された。現在の白石城は、平成7年(1995年)に復元されたもの。

片倉家十代の墓標 

白石市郊外の愛宕山に、白石市の指定史跡となっている片倉家十代の廟所がある。廟所は白石城を1km程先の真東に望むあたりに位置している。

片倉家三代の景長が、傑山寺境内から初代景綱、二代重長の墓を移し、墓標を阿弥陀如来にしたため、以来、歴代城主もこれにならった。

墓標の拡大写真


 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第9集 芭 蕉 と 白 石
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