飯坂温泉について
 
飯坂温泉駅前に建つ芭蕉像 福島駅から福島交通飯坂線に乗ると20分ほどで飯坂温泉駅に到着する。町を流れる摺上川の縁や道路添いに80以上のホテルや旅館、共同浴場が建ち並び、東北随一の一大温泉郷が築かれている。

飯坂温泉協会発行の椎野健次郎著「飯坂散歩道」によれば、芭蕉と曽良が立ち寄った元禄2年5月の堀田正仲領・上飯坂村の戸数は74、人口326人で、村内に、鯖湖湯、
透達湯、滝の湯、波来湯の4つの温泉があったという。

「おくのほそ道」に「温泉あれば湯に入て宿をかるに」と書かれた「湯」については、滝の湯、波来湯が摺上川沿いの露天風呂であったことから、鯖湖湯か透達湯のいずれかと見られているが、芭蕉が入浴した湯は滝の湯で、その湯番小屋を芭蕉一宿の地とする言い伝えも残っている。滝の湯は、花水館の脇道から階段を降りたところにあった温泉で、現在、跡地に「おくのほそ道」の「飯塚温泉の章段」を刻する芭蕉記念碑が建てられている。

其夜飯塚にとまる。温泉あれば湯に入て宿をかるに、土坐に筵を敷て、あやしき貧家也。灯もなければ、ゐろりの火かげに寝所をまうけて臥す。夜に入て雷鳴、雨しきりに降て、臥る上よりもり、蚤・蚊にせゝられて眠らず。持病さへおこりて、消入斗になん。短夜の空もやうやう明れば、又旅立ぬ。猶、夜の余波心すゝまず、馬かりて桑折の駅に出る。遥なる行末をかゝえて、斯る病覚束なしといへど、羇旅辺土の行脚、捨身無常の観念、道路にしなん、是天の命なりと、気力聊とり直し、路縦横に踏で伊達の大木戸をこす。 (おくのほそ道)

前述の「飯坂散歩道」に、芭蕉一行が飯坂においてなぜ「あやしき貧家」で一夜を過ごすことになったかについての見解が、文献を添えて次のように記されている。

西根堰、井野目堰の開削により、新田開発千五百町歩に及ぶなどの治績を残した上杉氏が寛文四年に去り、当時の飯坂は堀田正仲領となっていたが、上杉治下六十有余年の遺風が濃厚に残っていた時期であった。特に慶長九年の藩令「田地を開作せず、あきないもいたさず、むざとこれあるもの(わけもなく村に立ち入るもの。不審のもの)其村に置べからず、宿かすまじき事」との厳しい布令は、領民の心に強く残っていたことと思われるので、俳聖芭蕉といえども昔の人にとってはただの旅人。「むざとこれあるもの」に土間をかし筵を敷いてやったのは、むしろ当時の飯坂の人の精いっぱいのもてなしであり、あたたかいこころだった。


 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第8集 芭 蕉 と 福 島
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