芭蕉について
 

なぜ黒塚の話を書かなかったのか

鬼婆伝説を残す観世寺の開基は奈良時代にまでさかのぼる。観世寺は奇石怪石でつとに知られ、芭蕉が訪れた当時も今日と同様、境内にはところ狭しと巨石が横たわっていた。曽良の随行日記に、見聞した様が次のように詳しく記されている。
アブクマヲ越舟渡し有リ。その向ニ黒塚有。小キ塚ニ杉植テ有。又、近所ニ観音堂有。大岩石タヽミ上ゲタル所後ニ有。古ノ黒塚ハこれならん。右ノ杉植し所は鬼ヲウヅメシ所成らんト別当坊申ス。(随行日記)

芭蕉一行は、別当の案内を得て寺を見物し、鬼婆が住処にしたという岩屋や、鬼婆に殺された赤子の泣き声を夜な夜な発するという「夜泣きの石」などを眺めたものと思われる。その昔、平兼盛が詠んだ「みちのくの安達ケ原の黒塚に鬼こもれりと聞くはまことか」(拾遺和歌集)の歌は、一行を黒塚にいざなうに十分であり、境内には芭蕉が座って休息したという巨石もある。

こうして、わざわざ奥州街道を逸れ、阿武隈川を越えてまで黒塚に立ち寄った芭蕉であったが、黒塚については「黒塚の岩屋一見し」とわずか8文字の記述にとどめた。「おくのほそ道」がぎりぎりまで煮詰められた極小文学とはいえ、かの安達が原の黒塚を、なぜこうまでそっけなく取り扱ったのだろうか。

その答えは、当地にたどる前に恋焦がれるように尋ね回った「花かつみ」や、その舞台となった安積の里にあると思われる。

「花かつみ」や「安積山」は、いにしえから歌の中で恋、愛の代名詞として用いられ、また、万葉集の采女の歌「安積山影さへ見ゆる山の井の浅き心を吾思はなくに」については、「花かつみ」で締めくくられた悲しい愛の物語が伝えられている。芭蕉が、安積沼を「かつみかつみ」と日が暮れかかるまで、我を忘れて尋ね回ったというのは、こうした伝説や歌枕を踏まえた上での演出のようでもある。

黒塚のおどろおどろしい話や目の前に広がる景観は、これとは全く異質で交わりをもたないものであり、したがって「沼を尋、人にとひ、かつみかつみと尋ありきて、日は山の端にかゝりぬ。」に続けて書くのを憚(はばか)った、というのがその真相とみていいだろう。「おくのほそ道」の次なる章段を合わせて考えれば、なおさら「一見し」と書くにとどめざるを得なかったのに相違ない。


「おくのほそ道」と二本松/曽良随行日記
 

「おくのほそ道」と二本松
元禄2年(1689年)5月1日(新暦6月17日)
曽良随行日記<原文> 現代語
一 五月朔日
天気快晴。日出ノ比、宿ヲ出、
壱里半来テヒハダ(日和田)ノ宿、馬次也。町はづれ五、六丁程過テ、あさか山有。壱り塚ノキハ也。右ノ方ニ有小山也。アサカノ沼、左ノ方谷也。皆田ニ成、沼モ少残ル。惣テソノ辺山ヨリ水出ル故、いづれの谷にも田有。いにしへ皆沼ナラント思也。山ノ井ハコレヨリ(道ヨリ左)西ノ方(大山ノ根)三リ程間有テ、帷子ト云村(高倉ト云宿ヨリ安達郡之内)ニ山ノ井清水ト云有。古ノにや、不しん也。
 
二本松の町、奥方ノはづれニ亀ガヒト云町有。ソレヨリ右之方ヘ切レ、右ハ田、左ハ山ギワヲ通リテ壱リ程行テ、供中ノ渡ト云テ、アブクマヲ越舟渡し有リ。その向ニ黒塚有。小キ塚ニ杉植テ有。又、近所ニ観音堂有。大岩石タヽミ上ゲタル所後ニ有。古ノ黒塚ハこれならん。右ノ杉植し所は鬼ヲウヅメシ所成らんト別当坊申ス。天台宗也。それヨリ又、右ノ渡ヲ跡ヘ越、舟着ノ岸ヨリ細道ヲつたひ、村之内ヘかゝり、福岡村ト云所ヨリ二本松ノ方ヘ本道ヘ出ル。二本松ヨリ八町ノめヘハ二リ余。黒塚ヘかゝりテハ三里余有べし。
一 五月一日
天気快晴。日の出の頃、郡山の宿を出、一里半来て日和田の宿、馬継也。町はづれ五、六丁程過ぎて、安積山有り。一里塚の際、右の方にある小山也。安積の沼、左の方、谷也。皆、田に成り、沼も少し残る。すべてその辺、山より水が出るゆえ、いづれの谷にも田が有る。いにしへは皆沼だったろうと思われる。山の井はこれより(道より左)西の方(大山の根)三里程有り、帷子(郡山市片平町)という村(高倉という宿より安達郡の内)に山の井清水というのが有る。古歌にあるのと違うようだ。
二本松の町、奥の方のはづれに亀谷という町有り。それより右の方へ曲がると、右は田で、左には、山際を通って一里程行くと、供中の渡という阿武隈川を越す舟渡しが有る。その向こうに黒塚有り。小さな塚に杉が植えて有る。又、近所に観音堂有り。観音堂は大岩石を畳み上げた所の後に有る。古の黒塚はこれだろう。右の杉を植えた所は鬼を埋めた所だろうと別当坊が言う。天台宗也。それより又、右の渡しをあとにして阿武隈川を越え、舟着きの岸より細道を伝って、村の内ヘかゝり、福岡村という所より二本松の方ヘ奥州街道ヘ出る。二本松より八町の目ヘは二里余り。黒塚ヘかゝると三里余り。
◇一里:約4km ◇一丁(町):約109m ◇一間:約1.8m

 

 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第7集 芭 蕉 と 二 本 松
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