芭蕉について
 

芭蕉の門人たち

芭蕉の弟子は全国に数多くいたが、中でも、師匠である芭蕉をよく研究し、多くの作品を残した弟子を10人挙げて「蕉門十哲」と言う。

ちなみに、蕪村筆の「俳人百家撰」では次の門弟10人が描かれ、
    其角、嵐雪、去来、丈草、支考、北枝、許六、曽良、野坡、越人

對雲筆の「芭蕉と蕉門十哲図」では芭蕉を頂点に、次の門弟を描いている。
    其角、嵐雪、去来、丈草、支考、北枝、許六、曽良、野坡、杉風

さらに、南峯筆の「芭蕉と蕉門十哲図」では同じく芭蕉を頂点にして、次の門弟10人が描かれている。
    其角、嵐雪、去来、丈草、支考、北枝、許六、曽良、越人、杉風
 
 

以下は、上で「蕉門十哲」としてあげられた門弟11名についての略歴など。

杉山杉風(すぎやま さんぷう) 1647〜1732

あさがほや其日其日の花の出来


江戸・日本橋で鯉屋の屋号の魚問屋を営む。蕉門の代表的人物。豊かな経済力で芭蕉の生活を支えた。

宝井其角(たからい きかく) 1661〜1707


鶯の身を逆に初音かな


14、5歳で蕉門に入り、蕉門第一の門弟といわれる。

服部嵐雪(はっとり らんせつ) 1654〜1707


梅一輪いちりんほどの暖かさ


21歳の頃に門弟となる。其角とならんで蕉門の双璧をなす。

向井去来(むかい きょらい) 1651〜1704


湖の水まさりけり五月雨


長崎出身。京都の嵯峨野に別荘落柿舎を所有し、芭蕉に終生つくした。凡兆とともに「猿蓑」の編者に抜擢される。「去来抄」などの著作がある。(下の写真は落柿舎)

   落柿舎(1)  Oh! Natureフォトライブラリーより    落柿舎(2)  Oh! Natureフォトライブラリーより

越智越人(おち えつじん) 1656〜?
(北越出の越智氏であることから、「越知」姓の表記を上の通り改めました。06/12/19)

行としや親に白髪をかくしけり


尾張蕉門の重鎮。「更科紀行」に同行した。名古屋で染め物屋を営む。

河合曽良(かわい そら) 1649〜1710

よもすがら秋風きくや裏の山


信州出身。江戸蕉門。「奥の細道」と「鹿島紀行(鹿島詣)」に随行。深川芭蕉庵の近くに住み、芭蕉の日常生活を助けた。

志太野坡(しだ やば) 1662〜1740

寒きほど案じぬ夏の別れ哉


福井出身。江戸前期の俳人。別号は野馬、樗木社。

森川許六(もりかわ きょりく) 1656〜1715


十団子も小粒になりぬ秋の風


彦根藩士で晩年になって入門。多数の著作がある。画才があり、芭蕉も師と仰いだ。

各務支考(かがみ しこう) 1665〜1731


あふむくもうつむくもさびしゆりの花


芭蕉の口述遺書を代筆する。芭蕉没後、美濃派を樹立し、全国に蕉風を普及させた。多くの論書がある。別号として獅子老人、獅子庵を持つ。

内藤丈草(ないとう じょうそう) 1662〜1704


ほととぎす啼くや榎も梅桜
尾張国生れの犬山藩士。江戸前・中期の俳人。元禄6年、近江国に移る。

立花北枝(たちばな ほくし) ?〜1718


しぐれねば又松風の只おかず


加賀の金沢で研刀業を営む。「おくのほそ道」中、芭蕉と出会い入門。


「おくのほそ道」と須賀川/曽良随行日記
 

「おくのほそ道」と須賀川
元禄2年(1689年)4月22日(新暦6月9日)〜4月29日(新暦6月16日)
曽良随行日記<原文> 現代語
一 廿二日
須か川、
乍単斎(相楽等躬)宿、俳有。
 
  廿三日

同所滞留。晩方ヘ可伸ニ遊、帰ニ寺々八幡ヲ拝。
 
一 廿四日
主ノ田植。昼過ヨリ可伸庵ニテ会有。会席、そば切。祐碩賞之。雷雨、暮方止

 
  廿五日

主物忌、別火。
 
  廿六日
小雨ス
 
一 廿七日
。三つ物ども。芹沢の滝へ行。
 
一 廿八日
発足ノ筈定ル。矢内彦三郎来テ延引ス。昼過ヨリ彼宅ヘ行テ及暮。十念寺( 1 2)諏訪明神ヘ参詣。朝之内、曇
 
一 廿九日
快晴巳中尅、発足。石河滝(乙字ケ滝)見ニ行。(此間、さゝ川ト云宿ヨリあさか郡) 須か川ヨリ辰巳ノ方壱里半計有。滝ヨリ十余丁下ヲ渡リ、上ヘ登ル。歩ニテ行バ滝ノ上渡レバ余程近由。阿武隈川也。川ハヾ百二、三十間も有之。滝ハ筋かヘニ百五、六十間も可有。高サ二丈、壱丈五、六尺、所ニヨリ壱丈計ノ所も有之。
一 廿二日
須賀川、乍単斎(相楽等躬)に宿す、俳席有り(「風流の初やおくの田植うた」を発句とし、芭蕉、等躬、曽良で三吟歌仙が開かれた)。
 
  廿三日
等躬宅に滞留。晩方可伸庵に遊び、帰りに寺々、八幡神社を参拝。
 
一 廿四日
等躬宅で田植え。昼過ぎより可伸庵で会(「かくれ家や目だゝぬ花を軒の栗」<伊達衣>を発句とした七吟歌仙。連衆は、芭蕉、栗斎<可伸>、等躬、曽良、等雲、須竿、素蘭)有り。 祐碩(等雲)ふるまいの会席、そば切りを賞味する。雷雨、暮方止む。
 
  廿五日
等躬、物忌(ぶっき。ものいみ。ある期間、飲食・行為を慎んで身体を清め、不浄をさけた)に入る。別火(物忌の期間、けがれにふれないよう別にきり出した火で煮炊きした)。
 
  廿六日
小雨降る。
 
一 廿七日
曇り。三つ物と四句の俳席あり。芹沢の滝へ行く。
○「三つ物ども」は、曽良の「俳諧書留」に書かれた次の三つ物(発句・脇句・第三句)2つと四句を指す。
(三つ物)
旅衣早苗に包食乞ん
いたかの鞁あやめ折すな(翁)
夏引の手引の青苧くりかけて(等躬)

(三つ物)
茨やうを又習けりかつみ草(等躬)
市の子どもの着たる細布(曽良)
日面に笠をならぶる涼して(翁)

(四句)
芭蕉翁、みちのくに下らんとして、我蓬戸を音信て、猶白河のあなた、すか川といふ所にとゞまり侍ると聞て申つかはしける。
雨晴て栗の花咲跡見哉(桃雪)
いづれの草に啼おつる蝉(等躬)
夕食喰賤が外面に月出て(翁)
秋来にけりと布たぐる也(曽良)

 
一 廿八日
発足の手はず定まるが、矢内彦三郎来て(発足を)延引する。昼過より彼宅へ行き日暮れまで滞在。十念寺、諏訪明神ヘ参詣。朝の内、曇り。
○延引の理由については、「俳諧書留」に次のように記されている。
須か川の駅より東二里ばかりに、石河の滝(乙字ケ滝)といふあるよし。行て見ん事をおもひ催し侍れば、此比(このごろ)の雨にみかさ増りて、川を越す事かなはずといヽて止ければ、
さみだれは滝降りうづむみかさ哉   翁
案内せんといはれし等雲と云人のかたへかきてやられし。薬師(医師)也。

 
一 廿九日
快晴。午前10時頃、須賀川・相楽等躬宅を発足。石河滝(乙字ケ滝)を見に行く。(この間、笹川という宿より安積郡に入る)。須賀川より南東の方一里半ばかりのところに有る。滝より十余丁下を渡り、上へ登る。徒歩なら滝の上を渡れば余程近い由。阿武隈川也。川幅百二、三十間も有る。滝は、川を斜めに切って落ち、幅はニ百五、六十間もあるだろう。滝の高さは二丈、一丈五、六尺、所によっては一丈ほども有る。
◇一里:約4km ◇一丁(町):約109m ◇一間:約1.8m

 

 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第5集 芭 蕉 と 須 賀 川
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