西行と能因について
 
西 行 能 因
西行 能因
平安末〜鎌倉初期の歌人で、本名は佐藤義清(のりきよ)。鳥羽上皇に北面の武士として仕えるが、23才で出家し西行を名乗る。全国を旅し、奥州へは出家から6年後の久安3年(1147年)に最初の旅、二度目は文治2年(1186年)。奥州藤原氏と縁戚関係にあり、二度目は東大寺再建の為、秀衡への砂金勧進が目的。没年は建久元年(1190年)、河内国(大阪府)の弘川寺にて。 平安中期の歌人で、本名は橘永ヤス(ながやす)。官吏を辞して出家し、初め融因のち能因と改める。藤原長能(ながとう)に和歌を学び、のち歌学書「能因歌枕」を著す。中古三十六歌仙の一人。摂津の古曽部(大阪府高槻市)に居住し古曽部入道と称する。風狂の逸話が多く、特に、日焼けして奥州への旅を装い、下記の「都をば」の歌を詠んだとする話はつとに知られる。[資料参照]
おくのほそ道では・・・ おくのほそ道では・・・
先能因嶋に舟をよせて、三年幽居の跡をとぶらひ、むかふの岸に舟をあがれば、「花の上こぐ」とよまれし桜の老木、西行法師の記念をのこす。(「象潟」の章段)
「花の上こぐ」は、西行の次の歌から引用したもの。
  象潟の桜は波に埋れて
   花の上漕ぐ海士の釣り舟
先能因法師思ひ出。往昔むつのかみにて下りし人、此木を伐て、名取川の橋杭にせられたる事などあればにや、「松は此たび跡もなし」とは詠たり。(「武隈の松」の章段)
「松は此たび跡もなし」は、能因の次の歌から引用したもの。
  武隈の松はこのたび跡もなし
   千歳を経てやわれは来つらむ
清水ながるゝの柳は、芦野の里にありて、田の畔に残る。(「遊行柳」の章段)
「清水ながるゝの柳」は西行の次の歌を踏まえたもの。
  道のべに清水流るゝ柳かげ
   しばしとてこそ立ちどまりつれ
秋風を耳に残し、紅葉を俤にして、青葉の梢猶あはれ也。(「白河の関」の章段)
「秋風」は、能因の次の歌を踏まえたもの。
  都をば霞とともにたちしかど
   秋風ぞ吹く白河の関
百人一首の中の西行の歌 百人一首の中の能因の歌
  なげけとて月やはものを思はする
   かこち顔なるわが涙かな
  嵐吹く三室の山のもみぢ葉は
   龍田の川の錦なりけり


 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
総合目次


第4集 芭 蕉 と 白 河
スタートページ

Copyright(C) 1999-2004  LAP Edc. SOFT.  All Rights Reserved.
 
Maintained online by
webmaster@bashouan.com