白河資料写真と解説(1)

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境の明神(福島)

福島県側の「境の明神」。

奈良、平安初期のころ、国境の明神に男女二神を祭るのが通例で、栃木と福島の県境の明神二社もこの様式で祭られた。
この二社は、内は女神(玉津島明神)が守り、外に対しては男神(住吉明神)が守るという考えからか、写真の「境神社」は、福島側では「玉津島神社」であるが、栃木側では「住吉神社」である。説明
福島県側の「境の明神」。

昔、境神社は急な坂道の上に位置したが、明治9年(1876年)に道が下げられて切り通しとなり、今は階段を登って社殿に行く。
写真左は、芭蕉の足跡をたどりながらゆかりの地を散策できる「おくのほそ道・自然歩道」の案内板。自然歩道は、この境神社を起点とする。
境の明神(福島)

境内の俳諧碑林

境神社境内の俳諧碑林。

社殿脇に建ち並ぶ句碑。石燈篭の左に見える自然石の碑が安永6年(1777年)に建てられた芭蕉句碑で、「風流のはじめや奥の田うへ哥」の句が刻まれている。


石碑の資料写真
白河二所の関碑。

「関跡と藩界」の著者岩田孝三氏は、逢坂、不破、鈴鹿などの古代の関跡における「境の明神と関との関わり」を考察した結果、当地が白河の古関であると指摘し、境神社の向い側に二所の関跡の碑を建てた。   
白河二所の関碑

境の明神(栃木)

栃木県側の「境の明神」。

鳥居の脇には「玉津島神社」を刻む石柱が建つが、福島側から見た場合は(外を守る男神)「住吉神社」となる。
福島県側の「境の明神」と同様、かつて境内に別当寺があったが、明治2年(1869年)の神仏分離政策で廃寺となった。


 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第4集 芭 蕉 と 白 河
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