松尾芭蕉・おくのほそ道文学館
3.「おくのほそ道」本文と曽良随行日記
[前頁]  笠島武隈の松仙台壷の碑・末の松山塩釜鹽竈明神  [次頁]
笠 島 現代語訳 曽良随行日記
 
甲冑堂

鐙摺・白石の城を過、笠嶋の郡に入れば、藤中将実方の塚はいづくのほどならんと人にとへば、是より遥右に見ゆる山際の里をみのわ・笠嶋と云、道祖神の社・かた見の薄今にありと教ゆ。此比の五月雨に道いとあしく、身つかれ侍れば、よそながら眺やりて過るに、蓑輪・笠嶋も五月雨の折にふれたりと、
 笠嶋はいづこさ月のぬかり道

かたみのすすき
鐙摺や白石城下を通り過ぎて笠島郡に入ったので、かの藤中将実方の墓がどこにあるのだろうと思い人に尋ねてみると、「ここから遥か右に見える山の際にある里を箕輪・笠島と言い、道祖神の社やかた見のすすきが今も残っています」と教えてくれた。このところ降り続いている五月雨のために道がぬかるんで、体も疲れきっていたので、離れたところから眺めて通り過ぎてしまったのだが、「蓑」の箕輪や、「笠」の笠島は、五月雨の季節にちょうど合った地名であることに感じ入り、一句詠んだ。

実方ゆかりの笠島はどの辺りなのだろうか。五月の雨でぬかるんだこの道では、尋ねていくこともできない。 


第9集 芭蕉と白石
 
旧暦:5月 3 4日
新暦:6月19日〜20日

 
宮城県地図
芭蕉と白石市  白石市・南部(甲冑堂)


第11集 芭蕉と名取


旧暦:
5月 4日
新暦:6月20日

 
宮城県地図
芭蕉と名取市
一 三日 雨降ル。巳ノ上尅止。飯坂ヲ立。桑折(ダテ郡之内)ヘ二リ。折々小雨降ル。
一 桑折トかいた(貝田)の間ニ伊達ノ大木戸ノ場所有(国見峠ト云山有)。コスゴウトかいた(貝田)トノ間ニ福島領(今ハ桑折ヨリ北ハ御代官所也)ト仙台領(是ヨリ刈田郡之内)トノ堺有。左ノ方、石ヲ重テ有。大仏石ト云由。さい川(斎川)ヨリ十町程前ニ、万ギ沼万ギ山有。 ソノ下ノ道、アブミコブシト云岩有。二町程下リテ右ノ方ニ次信・忠信が妻ノ御影堂( 1  2)有。同晩、白石ニ宿ス。一二三五。

一 四日 雨少止。辰ノ尅、白石ヲ立。折ゝ日ノ光見ル。岩沼入口ノ左ノ方ニ竹駒明神ト云有リ。ソノ別当ノ寺ノ後ニ武隈ノ松有。竹がきヲシテ有。ソノ辺、侍やしき也。古市源七殿住所也。

○笠島(名取郡之内)、岩沼・増田之間、左ノ方一里計有。三ノ輪(箕輪)・笠嶋と村並テ有由、行過テ不見。

 
            鐙摺の遺跡

武 隈 の 松 現代語訳 曽良随行日記
 
武隈の松

岩沼に宿る。
武隈の松にこそ、め覚る心地はすれ。根は土際より二木にわかれて、昔の姿うしなはずとしらる。先能因法師思ひ出。往昔むつのかみにて下りし人、此木を伐て、名取川の橋杭にせられたる事などあればにや、「松は此たび跡もなし」とは詠たり。代々、あるは伐、あるひは植継などせしと聞に、今将、千歳のかたちとゝのほひて、めでたき松のけしきになん侍し。

「武隈の松みせ申せ遅桜」と挙白と云ものゝ餞別したりければ、
 桜より松は二木を三月越し

岩沼に宿をとった。
武隈の松の見事さに、まったく目が覚めるような心地がした。根は土際から二つに分かれていて、昔から伝えられている姿を失っていないことがわかる。真っ先に能因法師のことを思い出す。その昔、陸奥守として当地に下った人が、この松の木を伐って名取川の橋杭にされたことがあったからだろうか、能因法師は「松は、このたび来てみると跡かたもなくなっている」と詠んでいる。代々にわたって、あるいは伐り、あるいは植え継ぎなどをしたと聞いていたのに、今また、松の木千年といわれる通りの木立ちとなっていて、立派な松の様子であった。

「遅桜よ、わが師が奥州に赴かれたら、是非とも武隈の松をお見せしなさい」と、挙白という者が江戸を出立の折に句を贈ってくれたので、これに応えて、

桜よりも、私を待っていてくれたのは二木の松で、三月越しにようやく見ることができましたよ。

第10集 芭蕉と岩沼


旧暦:
5月 4日
新暦:6月20日

 
宮城県地図
芭蕉と岩沼市
一 四日 雨少止。辰ノ尅、白石ヲ立。折ゝ日ノ光見ル。岩沼入口ノ左ノ方ニ竹駒明神ト云有リ。ソノ別当ノ寺ノ後ニ武隈ノ松有。竹がきヲシテ有。ソノ辺、侍やしき也。古市源七殿住所也。

○笠島(名取郡之内)、岩沼・搏c之間、左ノ方一里計有。三ノ輪・笠嶋と村並テ有由、行過テ不見。

 
            竹駒神社
仙 台 現代語訳 曽良随行日記
 
仙台城跡

名取川を渡て仙台に入。あやめふく日也。旅宿をもとめて四五日逗留す。爰に画工加右衛門と云ものあり。聊心ある者と聞て知る人になる。この者、年比さだかならぬ名どころを考置侍ればとて、一日案内す。宮城野の萩茂りあひて、秋の景色思ひやらるゝ。玉田・よこ野・つゝじが岡はあせび咲ころ也。日影ももらぬ松の林に入て、爰を木の下と云とぞ。昔もかく露ふかければこそ、「みさぶらひみかさ」とはよみたれ。薬師堂・天神の御社など拝て、其日はくれぬ。猶、松嶋・塩がまの所々、画に書て送る。且、紺の染緒つけたる草鞋二足餞す。さればこそ風流のしれもの、爰に至りて其実を顕す。
 あやめ草足に結ん草鞋の緒

かの画図にまかせてたどり行ば、おくの細道の山際に十符の菅有。今も年々十符の菅菰を調て国守に献ずと云り。

名取川を渡って仙台に入る。菖蒲を葺く日であった。旅の宿を求めて仙台に4、5日滞在する。この地に絵かき職人の加右衛門という者がいる。いささか情趣を解する者と聞いて知り合いになった。加右衛門は、「数年来、不確かな名所を調べておきましたので」といって、ある日案内してくれた。宮城野の萩が今の季節にこのように茂り合っているのを見ると、秋の景色はいかばかりかと思いを馳せた。玉田、よこ野、つゝじが岡はあせびが咲くころである。こんどは日の光が届かないほど茂った松の林に入り、加右衛門は「ここが木の下です」という。昔もこのように露が深かったからこそ古歌で「御侍(ご家来)よ、ご主人に『御笠を』と申されよ」と詠んでいるのだ。次に、薬師堂、天神の御社などを参拝してその日は暮れた。加右衛門は、案内してくれた上に松島と塩釜の所々を絵にかいて贈ってくれた。また、紺染の緒がついたわらじを二足、餞別にくれた。そうであればこそ風流の痴れ者で、ここに至ってその本性をあらわした。そこで、

ころはちょうど端午の節句。軒端には邪気ばらいの菖蒲がさしてある。わたしも旅の無事を祈って(餞別にもらった紺染の緒のように)草履にあやめ草を結び、出立することにしよう。

加右衛門がかいてくれた画図をたよりに歩いていくと、おくの細道の山際に十符の菅が見られた。今も毎年十符の菅菰を作り藩主に献上しているという。

第12集 芭蕉と仙台


旧暦:
5月 4日 8日
新暦:6月20日〜24日

 
宮城県地図
芭蕉と仙台市
宮城野区岩切
(四日)
○名取川、中田出口ニ有。大橋・小橋二ツ有。左ヨリ右ヘ流也。
○若林川、長町ノ出口也。此川一ツ隔テ仙台町入口也。 
夕方仙台ニ着。其夜、宿国分町大崎庄左衛門。

一 五日 橋本善衛門殿ヘ之状、翁持参。山口与次衛門丈ニテ宿ヘ断有。須か川吾妻五良七ヨリ之状、私持参、大町弐丁目、泉屋彦兵ヘ内、甚兵衛方ヘ届。甚兵衛留主。其後、此方ヘ見廻、逢也。三千風尋ルニ不知。其後、北野や加衛門ニ逢(国分町ヨリ立町ヘ入、左ノ角ノ家の内。)、委知ル。

一 六日 天気能。亀が岡八幡ヘ詣。ノ追手ヨリ入。俄ニ雨降ル。茶室ヘ入、止テ帰ル。

一 七日 快晴。加衛門(北野加之)同道ニテ権現宮(仙台東照宮)を拝、玉田・横野を見。つゝじが岡ノ天神ヘ詣、木の下ヘ行。薬師堂、古ヘ国分尼寺(実際は国分寺)之跡也。帰リ曇。夜ニ入、加衛門・甚兵ヘ入来。冊尺(短冊の誤り)並横物一幅づゝ翁書給。ほし飯一袋・わらぢ二足、加衛門持参。翌朝、のり壱包持参。夜ニ降。

一 八日 朝之内小雨ス。巳ノ尅ヨリ晴ル。仙台ヲ立。十符菅壺碑ヲ見ル。未ノ尅、塩釜ニ着、湯漬など喰。末ノ松山興井野田玉川おもはくの橋浮島等ヲ見廻リ帰。出初ニ塩釜ノかま(お釜神社の写真)を見ル。宿、治兵ヘ法蓮寺門前。加衛門状添。銭湯有ニ入。
 
            仙台東照宮
壷 の 碑 ・ 末 の 松 山 現代語訳 曽良随行日記
 
多賀城碑

壷碑 市川村多賀城に有。
つぼの石ぶみは高サ六尺餘、横三尺斗歟。苔を穿て文字幽也。四維国界之数里をしるす。此城、神亀元年、按察使鎮守府将軍大野朝臣東人之所置也。天平宝字六年参議東海東山節度使同将軍恵美朝臣修造而、十二月朔日と有。聖武皇帝の御時に当れり。むかしよりよみ置る哥枕、おほく語傳ふといへども、山崩川流て道あらたまり、石は埋て土にかくれ、木は老て若木にかはれば、時移り代変じて、其跡たしかならぬ事のみを、爰に至りて疑なき千歳の記念、今眼前に古人の心を閲す。行脚の一徳、存命の悦び、羈旅の労をわすれて、泪も落るばかり也。

それより野田の玉川・沖の石を尋ぬ。末の松山は寺を造て末松山といふ。松のあひあひ皆墓はらにて、はねをかはし枝をつらぬる契の末も、終はかくのごときと、悲しさも増りて、塩がまの浦に入相のかねを聞。

壷の碑は市川村の多賀城にある。
壷の碑は高さが六尺あまり、横幅は三尺ほどだろうか。碑を覆っている苔を払いのけてみると文字がかすかに読み取れる。四隅(いぬい<北西>、ひつじさる<南西>、うしとら<北東>、たつみ(南東)の四隅のこと)の国境までの里数が刻まれている。碑には続けて、「この城は、神亀元年、按察使・鎮守府将軍大野朝臣東人が設置したものである。天平宝字六年には、参議・東海東山節度使・鎮守府将軍恵美朝臣が修造した。十二月一日」とある。神亀元年は聖武天皇の御代にあたる。むかしから詠み込まれている歌枕は、数多く語り伝えられているが、山は崩れ、川は新たな流れをつくって道が改まり、いわれのある石は埋まって土にかくれ、銘木は老いて若木にかわるというありさまである。時がうつり、代が替わって、既に旧跡は不確かなものばかりとなっているのだが、ここに至って、疑いようもない千歳の記念物に出会うことができた。今、目の前に、ゆかりある古人の心を見極める思いがするのである。これはすべて行脚をしたお陰であり、命があったからこそと感じ入り、旅の苦労も忘れて泪が落ちるばかりであった。

それから野田の玉川や沖の石を訪ねた。末の松山には末松山と号する寺が建てられている。松の木のすいたところは皆墓地になっていて、「はねをかはし枝をつらぬる契」を交わしても、その末にはこのように墓に入ることになると思うと、人のあわれを思って悲しみに暮れた。ちょうどこの時、塩釜の浦に鳴る鐘の音が聞こえた。

第13集 芭蕉と多賀城


旧暦:
5月 8日
新暦:6月24日

 
宮城県地図
芭蕉と多賀城市
芭蕉と市川浮島
野田の玉川-詳細
一 八日 朝之内小雨ス。巳ノ尅ヨリ晴ル。仙台ヲ立。十符菅・壺碑ヲ見ル。未ノ尅、塩釜ニ着、湯漬など喰。末ノ松山興井野田玉川おもはくの橋浮島等ヲ見廻リ帰。出初ニ塩釜ノかま(お釜神社の写真)を見ル。宿、治兵ヘ法蓮寺門前。加衛門状添。銭湯有ニ入。
 
            末の松山
塩 釜 現代語訳 曽良随行日記
 
塩釜

五月雨の空聊はれて、夕月夜幽に、籬が嶋もほど近し。蜑の小舟こぎつれて、肴わかつ声々に、つなでかなしもとよみけん心もしられて、いとゞ哀也。其夜、目盲法師の琵琶をならして奥上るりと云ものをかたる。平家にもあらず、舞にもあらず。ひなびたる調子うち上て、枕ちかうかしましけれど、さすがに辺土の遺風忘れざるものから、殊勝に覚らる。

五月雨の空がいささか晴れて、夕月がほのかに照らし、籬が島も間近に見える。漁師の舟が連れ立って漕ぎ帰り、魚を分け合う声を聞くいていると、古人が「つなでかなしも」と詠んだ気持ちも分かり、いっそうしみじみとした心地がするものだ。その夜、盲目の法師が琵琶をひきながら奥浄瑠璃というものを語った。平家琵琶でもなく、幸若舞の曲でもない。いなかめいた調子で声を張り上げて語るので、枕元から近くかしましいのだけれど、さすがに片田舎に残る昔からの文化を忘れずに伝えているものだと、けなげに感じたことである。

第14集 芭蕉と塩釜


旧暦:5月 8日
新暦:6月24日

 
宮城県地図
芭蕉と塩釜市
一 八日 朝之内小雨ス。巳ノ尅ヨリ晴ル。仙台ヲ立。十符菅・壺碑ヲ見ル。未ノ尅、塩釜ニ着、湯漬など喰。末ノ松山興井野田玉川おもはくの橋浮島等ヲ見廻リ帰。出初ニ塩釜ノかま(お釜神社の写真)を見ル。宿、治兵ヘ法蓮寺門前。加衛門状添。銭湯有ニ入。
 
            塩釜・「芭蕉止宿の地」碑
鹽 竈 明 神 現代語訳 曽良随行日記
 
鹽竃神社

早朝塩がまの明神に詣。国守再興せられて、宮柱ふとしく彩椽きらびやかに、石の階九仞に重り、朝日あけの玉がきをかゝやかす。かゝる道の果、塵土の境まで、神霊あらたにましますこそ、吾国の風俗なれと、いと貴けれ。神前に古き宝燈有。かねの戸びらの面に文治三年和泉三郎寄進と有。五百年来の俤、今目の前にうかびて、そゞろに珍し。渠は勇義忠孝の士也。佳命今に至りてしたはずといふ事なし。誠人能道を勤、義を守べし。名もまた是にしたがふと云り。日既午にちかし。船をかりて松嶋にわたる。其間二里餘、雄嶋の磯につく。
早朝、鹽竈神社に参詣する。鹽竈神社はかつて藩主伊達政宗公が再興されて、宮柱は太く、彩色した垂木はきらびやかで美しく、石段は極めて高く重なり、朝日が朱色の垣根を輝かせている。このような奥地の片田舎であっても、神のご利益があらたかでおられることこそ我が国の風俗であり、大変貴いことと思われた。社殿の前に古い燈篭がある。鉄の扉の面に、「文治三年和泉三郎寄進」と彫られている。五百年も前の様子が今、目の前に浮かんできて、ただ無性に珍しいと思われた。和泉三郎は、勇気、節義、忠孝を兼ね備えた武士である。誉れ高い名前は今に至っても慕わないものはいない。誠に人はよく道理をわきまえた行いをし、節義を守るべきである。「名声もまたこれに自然についてくる」というがまさにその通りだ。日はもう正午に近い。船をやとって松島に渡った。塩釜から二里ばかり船を進めて、雄島の磯に着いた。

第14集 芭蕉と塩釜


旧暦:5月 9日
新暦:6月25日

 
宮城県地図
鹽竈神社-詳細
一 九日 快晴。辰ノ尅、鹽竈明神ヲ拝。帰テ出船。千賀ノ浦籬島・都島等所々見テ、午ノ尅松島ニ着船。
 
            文治の燈篭



本文・曽良随行日記の現代語訳および句の解釈

LAP Edc. SOFT
 

曽良随行日記は「俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡」のシリーズ「芭蕉について」からそのまま

転記しています。
ただし、章段によっては、滞在日に合わせて元のテキストを分割して掲載しているのもあります。

松尾芭蕉・おくのほそ道文学館


<TOP>


出典データベース

俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡


底本について

「おくのほそ道」は、敦賀の西村家に伝えられている素龍清書の「西村本」を底本としています。

句読点や章段ごとの見出しは「俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡」の中で任意に付したものであり、
「おくのほそ道」の本文に存在するものではありません。

掲載しているデータについて
 
掲載しているテキストや写真の無断使用・転載を禁止します。


Copyright(C) 2000-2006  LAP Edc. SOFT.  All Rights Reserved.
 
Maintained online by webmaster@bashouan.com
 
LAP Edc. SOFTのホームページ

 
LAP Edc. SOFTのホームページ