松尾芭蕉・おくのほそ道文学館
4.「おくのほそ道」本文と曽良随行日記
[前頁]  松島湾・雄島が磯瑞巌寺石巻平泉出羽越え尾花沢山寺  [次頁]
松島湾・雄島が磯 現代語訳 曽良随行日記
 
五大堂

抑ことふりにたれど、松島は扶桑第一の好風にして、凡洞庭・西湖を恥ず。東南より海を入て、江の中三里、浙江の潮をたゝふ。島々の数を尽して、欹ものは天を指、ふすものは波に匍匐。あるは二重にかさなり、三重に畳みて、左にわかれ右につらなる。負るあり抱るあり、児孫愛すがごとし。松の緑こまやかに、枝葉汐風に吹たはめて、屈曲をのづからためたるがごとし。其気色、よう然として美人の顔を粧ふ。ちはや振神のむかし、大山ずみのなせるわざにや。造化の天工、いづれの人か筆をふるひ、詞を尽さむ。

雄島
 
雄島が磯は地つゞきて海に出たる島也。雲居禅師の別室の跡、坐禅石など有。将、松の木陰に世をいとふ人も稀々見え侍りて、落穂・松笠など打けふりたる草の庵、閑に住なし、いかなる人とはしられずながら、先なつかしく立寄ほどに、月海にうつりて、昼のながめ又あらたむ。江上に帰りて宿を求れば、窓をひらき二階を作て、風雲の中に旅寝するこそ、あやしきまで、妙なる心地はせらるれ。
 松島や鶴に身をかれほとゝぎす 
              曽良

予は口をとぢて眠らんとしていねられず。旧庵をわかるゝ時、素堂松島の詩あり。原安適松がうらしまの和歌を贈らる。袋を解きて、こよひの友とす。且、杉風・濁子が発句あり。
さて、すでに言い古されていることだが、松島は日本一風景のよいところであり、中国の名勝地の洞庭湖や西湖と比べても恥ずかしくないほどだ。東南の方角から湾内に水を入れたようになっており、湾の中は三里もあって中国の浙江のように海水を満々と湛えている。島の数は限りなく多く、それらの中で、そびえ立っているものは天を指しているようであり、低く横たわるものは波の上に腹ばいになっているかのようである。あるいは二重に重なっているもの、三重に畳まれたようなものもある。はたまた、左のほうに分断されているかと思えば、右の島と続いていたりする。小さな島をおんぶしているようなものもあれば、抱いているようなものもあり、まるで子供や孫を愛しんでいるかのようである。松の緑は冴え冴えとし、枝葉は潮風に吹かれてたわめられている。その姿は、自然とそうなったのだが、いかにも人が程よい形に折れ曲げたようにも見える。それらの風情には、憂愁の色を深くたたえた趣きがあり、美人の化粧顔にもたとえられようか。神代の昔、山の神である大山祇神がなされた仕業なのだろうか。天地万物をつくられた神の働きは、いかに技を振るっても、うまく描きも、言い表しもできるものではない。
 
雄島の磯は(橋で)地つづきのようになっていて海にせり出した島である。雲居禅師の別室の跡や、坐禅した石などがある。また、松の木陰には、俗世間から身を避ける人の姿が見え隠れしており、落ち葉や松笠などを燃やして煙がたなびく草造りの家からは、ひっそりと住まっているようすがうかがえる。
どのような人かは知る由もないが、同じような身の上からつい親しみを覚えて立ち寄ってみると、上ってきていた月が海に映り、昼とはまたちがった趣きの眺めとなっていた。松島の海岸まで戻って宿を探すと、そこは海に向かって窓を開いた二階造りであった。自然を十分感じながら旅の夜を過ごしていると、なんとも言い難い、いい心地がしてくるものである。

これほどまでに壮大で感嘆させる松島なのだから、松島には鶴が一番似つかわしい。そこで鳴いているほととぎすよ、いっそのこと鶴の姿になって飛んでみてはどうだ。

曽良はこのように詠んだのだが、私はとうとう句をつくることができず、あきらめて眠ろうとしたが気分の高まりでどうしても寝付くことができなかった。そこで、もと住んでいた庵を出る時に素堂が作ってくれた詩のことや、原安適が贈ってくれた松が浦島の和歌のことを思い出し、袋のひもを解き、それらを取り出して今夜のなぐさめとした。袋の中には、杉風や濁子が作ってくれた発句もあった。


第2集 芭蕉と松島
 
旧暦:5月 9日〜10日
新暦:6月25日〜26日

 
宮城県地図
芭蕉と松島町  雄島-詳細
一 九日 快晴。辰ノ尅、塩竈明神ヲ拝。帰テ出船。千賀ノ浦・籬島・都島等所々見テ、午ノ尅松島ニ着船。茶ナド呑テ瑞岩寺詣、不残見物。開山、法身和尚(真壁平四良)。中興、雲居。法身ノ最明寺殿被宿岩屈(窟)有。無相禅屈(窟)ト額有。ソレヨリ雄島(所ニハ御島ト書)所ゝヲ見ル(とミ山モ見ユル)。御島、雲居ノ坐禅堂有。ソノ南ニ寧一山(一山一寧)ノ碑之文有。北ニ庵有。道心者住ス。帰テ後、八幡社・五太堂ヲ見、慈覺ノ作。松島ニ宿ス。久之助ト云。加衛門状添。

一 十日 快晴。松島立(馬次ニテナシ)

 
            雄島の磨崖仏

           
瑞 巌 寺 現代語訳 曽良随行日記
 
瑞巌寺

十一日、瑞岩寺に詣。当寺三十二世の昔、真壁の平四郎出家して入唐、帰朝の後開山す。其後に雲居禅師の徳化に依て、七堂甍改りて、金壁荘厳光を輝、仏土成就の大伽藍とはなれりける。彼見仏聖の寺はいづくにやとしたはる。
十一日、瑞岩寺に参詣した。この寺の三十二代目にあたる昔、真壁平四郎という人が出家して唐に渡り、帰国後、再興して禅寺を開いた。その後、雲居禅師の、徳によって人を善に導く努力により、七つの堂の建物が立派に改築され、金色の壁や仏前の飾りが光り輝き、仏の住む世界をこの世に実現する大寺院となったのである。かの見仏上人の寺はどこにあるのだろうと、慕わしい心持ちになった。

第2集 芭蕉と松島
 
旧暦:5月 9日〜10日
新暦:6月25日〜26日

 
宮城県地図
芭蕉と松島町
一 九日 快晴。辰ノ尅、塩竈明神ヲ拝。帰テ出船。千賀ノ浦・籬島・都島等所々見テ、午ノ尅松島ニ着船。茶ナド呑テ瑞岩寺詣、不残見物。開山、法身和尚(真壁平四良)。中興、雲居。法身ノ最明寺殿被宿岩屈(窟)有。無相禅屈(窟)ト額有。ソレヨリ雄島所ニハ御島ト書)所ゝヲ見ル(とミ山モ見ユル)。御島、雲居ノ坐禅堂有。ソノ南ニ寧一山(一山一寧)ノ碑之文有。北ニ庵有。道心者住ス。帰テ後、八幡社・五太堂ヲ見、慈覺ノ作。松島ニ宿ス。久之助ト云。加衛門状添。

 十日 快晴。松島立(馬次ニテナシ)。

 
            瑞巌寺の国宝・庫裡
石 巻 現代語訳 曽良随行日記
 
石巻

十二日、平和泉と心ざし、あねはの松・緒だえの橋など聞伝て、人跡稀に雉兎蒭蕘の往かふ道そこともわかず、終に路ふみたがえて、石の巻といふ湊に出。「こがね花咲」とよみて奉たる金花山、海上に見わたし、数百の廻船入江につどひ、人家地をあらそひて、竈の煙立つゞけたり。思ひがけず斯る所にも来れる哉と、宿からんとすれど、更宿かす人なし。漸まどしき小家に一夜をあかして、明れば又しらぬ道まよひ行。袖のわたり・尾ぶちの牧・まのゝ萱はらなどよそめにみて、遥なる堤を行。心細き長沼にそふて、戸伊摩と云所に一宿して、平泉に到る。其間廿余里ほどゝおぼゆ。
十二日、平泉に行くことを心に決め、姉歯の松・緒絶の橋などを伝え聞いたので、人の通った跡もまれで、猟師や芝刈りなどが行き来する、どこともわからない道を行ったところ、ついに道をあやまり、石巻という港に出た。大伴家持が「こがね花咲」と詠んで天皇に奉った金華山を海上遠くに望み見、湾内に数百の廻船が集まり、人家が隙間なく建ち並んで、かまどの煙が途切れずに立ち上がっている。思いがけず、このような所に来てしまったなあと思いながら宿を借りようとしたが、そのような人はさらさら見つからない。ようやく貧しい家で一夜をあかし、夜が明けてまた知らない道を迷いながら歩いて行く。袖の渡り、尾ぶちの牧、真野の萱原などをよそ目に見て、遥か先までのびている堤の上を歩いて行く。心細い感じがする長い沼に沿って、登米という所まで来て一宿し、平泉に到着した。その間、二十里ほどと思われた。

第20集 芭蕉と石巻

旧暦:5月
 
石巻:10日〜11日
 登米
:11日〜12日
新暦:
6月
 
石巻:26日〜27日
 登米
:27日〜28日
 
宮城県地図
芭蕉と石巻登米  日和山公園-詳細
一 十日 快晴。松島立(馬次ニテナシ)。馬次、高城村(間廿丁計)、(是ヨリ桃生郡)小野(弐里半)。石巻(四里余)。仙台ヨリ十三里余。小野ト石ノ巻(牡鹿郡)ノ間、矢本新田ト云町ニテ咽乾、家毎ニ湯乞共不与。刀さしたる道行人、年五十七、八、此躰を憐テ、知人ノ方ヘ壱町程立帰、同道シテ湯を可与由ヲ頼。又、石ノ巻ニテ新田町、四兵ヘと尋、宿可借之由云テ去ル。名ヲ問、小野ノ近ク、ねこ(根古)村、コンノ(今野)源太左衛門殿。如教、四兵ヘヲ尋テ宿ス。着ノ後、小雨ス。頓テ止ム。日和山と云ヘ上ル。石ノ巻中不残見ゆル。奥ノ海(今ワタノハ「渡波」ト云)・遠島・尾駮ノ牧山眼前也。真野萱原も少見ゆル。帰ニ住吉ノ社参詣。袖ノ渡リ、鳥居ノ前也。

一 十一日
天気能。石ノ巻ヲ立。宿四兵ヘ、今一人、気仙ヘ行トテ矢内津迄同道。後、町ハヅレニテ離ル。石ノ巻、二リ鹿ノ股(一リ余渡有)、飯野川(三リニ遠し。此間、山ノアイ、長キ沼有)。曇。矢内津(一リ半。此間ニ渡し二ツ有)。戸いま(伊達大蔵)、儀左衛門宿不借、仍検断告テ宿ス。検断庄左衛門。
 
 
一 十二日 曇。戸今を立。三リ、雨降出ル。上沼新田町(長根町トモ)三リ、安久津(松島ヨリ此迄両人共ニ歩行。雨強降ル。馬ニ乗)一リ、加沢。三リ、皆山坂也。一ノ関黄昏ニ着。合羽モトヲル也。宿ス。

 
            日和山公園の芭蕉と曽良の像
平 泉 現代語訳 曽良随行日記
 
金色堂

三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有。秀衡が跡は田野に成て、金鶏山のみ形を残す。先、高館にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河也。衣川は、和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落入。泰衡等が旧跡は、衣が関を隔て、南部口をさし堅め、夷をふせぐとみえたり。偖も義臣すぐつて此城にこもり、功名一時の叢となる。国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、笠打敷て、時のうつるまで泪を落し侍りぬ。
 夏草や兵どもが夢の跡
 卯の花に兼房みゆる白毛かな 
              曽良

兼て耳驚したる二堂開帳す。経堂は三将の像をのこし、光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。七宝散うせて、珠の扉風にやぶれ、金の柱霜雪に朽て、既頽廃空虚の叢と成べきを、四面新に囲て、甍を覆て雨風を凌。暫時千歳の記念とはなれり。
 五月雨の降のこしてや光堂

藤原三代にわたる栄華も、今となっては夢のようであり、平泉の表門の跡は一里程手前にある。秀衡の館跡は、今では田や野原に変わり果て、秀衡が造らせた金鶏山だけが、その形をとどめている。まずは、高館に上ってみたが、そこから見える北上川は、南部地方から流れ来る大河である。衣川は、泉ヶ城のまわりを流れ、高館の下で北上川と合流している。泰衡たちの屋敷跡は、衣が関を隔てたところにあり、南部地方からの出入り口を固めて蝦夷の侵入を防いだと見られる。それにしても、よりすぐった忠義心のある家来たちが高館にこもり功名を競ったが、そうして得られた功名も一時の夢と消え、今では草が生い茂るばかりだ。杜甫の「国が破れ滅びても、山や河だけはむかしのままの姿で残っている。荒廃した城にも春はめぐり来るが、草木だけが生い茂るばかりだ」の詩を思い浮かべ、笠を置いて腰をおろし、いつまでも栄華盛衰の移ろいに涙したことであった。

人気のないところに、今はただ夏草だけが生い茂るばかりだが、ここは、かつて義経主従や藤原一族の者たちが功名・栄華を夢見たところである。知るや知らずやこの夏草を眺めていると、すべてが一炊の夢と消えた哀れさに心が誘われる。

夏草に混じって咲いている白い卯の花を見ていると、兼房が、白髪をふり乱して敵に向かう姿が浮かんでくることよ。


かねてから聞いて驚嘆していた経堂と光堂が開かれていた。経堂には、清衡、基衡、秀衡の像が残されており、光堂には、これら三代の棺が納められ、また、三尊の仏像が安置されている。七宝が散り失せ、珠玉を飾った扉は風に破れ、金箔が施された柱は霜や雪に朽ちて、もはや、すべてがくずれ廃れて何もない草むらとなりそうであったのを、四方を新たに囲い、屋根瓦を葺いて雨風をしのいでいる。これにより、しばらくは、遠い昔をしのぶ記念物とはなっているのである。


あたりの建物が、雨風で朽ちていく中で、光堂だけが昔のままに輝いている。まるで、光堂にだけは、五月雨も降り残しているようなことではないか。


第3集 芭蕉と平泉

旧暦:5月12日〜14日
 一関:12日
 一関/平泉/一関:13日
 一関:14日
新暦:6月28日〜30日

 
岩手県地図
芭蕉と一関市・平泉町
一 十二日 曇。戸今を立。三リ、雨降出ル。上沼新田町(長根町トモ)三リ、安久津(松島ヨリ此迄両人共ニ歩行。雨強降ル。馬ニ乗)一リ、加沢。三リ、皆山坂也。一ノ関黄昏ニ着。合羽モトヲル也。宿ス。

一 十三日 天気明。巳ノ尅ヨリ平泉ヘ趣。一リ、山ノ目。壱リ半、平泉ヘ以上弐里半ト云ドモ弐リニ近シ(伊沢八幡壱リ余リ奥也)。高館衣川・衣ノ関・中尊寺・(別当案内)光堂(金色寺)泉城・さくら川・さくら山(束稲山)・秀平やしき等ヲ見ル。泉城ヨリ西霧山見ゆルト云ドモ見ヘズ。タツコクガ岩ヤヘ不行。三十町有由。月山白山ヲ見ル。経堂ハ別当留主ニテ不開。金鶏山見ル。シミン堂(新御堂)无量劫院跡見、申ノ上尅帰ル。主、水風呂敷ヲシテ待、宿ス

一 十四日 天気吉。一ノ関(岩井郡之内)ヲ立。

 
            義経堂


           
出羽越え 現代語訳 曽良随行日記
 
山刀伐峠

南部道遥にみやりて、岩手の里に泊る。小黒崎・みづの小嶋を過て、なるごの湯より尿前の関にかゝりて、出羽の国に越んとす。此路旅人稀なる所なれば、関守にあやしめられて、漸として関をこす。大山をのぼつて日既暮ければ、封人の家を見かけて舎を求む。三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す。
 蚤虱馬の尿する枕もと

あるじの云、是より出羽の国に大山を隔て、道さだかならざれば、道しるべの人を頼て越べきよしを申。さらばと云て人を頼侍れば、究境の若者、反脇指をよこたえ、樫の杖を携て、我々が先に立て行。けふこそ必あやうきめにもあふべき日なれと、辛き思ひをなして後について行。あるじの云にたがはず、高山森々として一鳥声きかず、木の下闇茂りあひて夜る行がごとし。雲端につちふる心地して、篠の中踏分踏分、水をわたり岩に蹶て、肌につめたき汗を流して、最上の庄に出づ。かの案内せしおのこの云やう、此みち必不用の事有。恙なうをくりまいらせて仕合したりと、よろこびてわかれぬ。跡に聞てさへ胸とゞろくのみ也。

南部地方に続いている道を遠くに望み見て、岩手の里に泊まった。小黒崎や美豆の小島を通り過ぎ、鳴子温泉から尿前の関に差しかかって出羽の国へ越えて行こうとした。この道は旅人がめったに通らないので関所の番人に怪しく思われて、ようやく関を越すことができた。大きな山を登って行くうちに既に日が暮れてしまったので、封人の家(国境の番人の家)を見かけて一夜の泊りをたのんだ。しかし、三日間雨風が激しかったため、わびしい山中に逗留することになった。

蚤や虱に悩まされる旅夜ではあるが、人と住まいを共にする習いの中、馬が枕もとで小便をするというのも心安く趣があるものだ。

宿の主人が言うには、ここから出羽の国に行くには、間に大きな山があって、道もはっきりしていないので、道案内の人を頼んで越えていくのがよい、とのことだった。それならばと言って人を頼んだところ、いかにも力が強そうな若者が、反脇差を腰に差し、樫の木の杖をもって我々の先に立って歩いて行く。今日こそきっと危険な目にあいそうな日であると、びくびくしながら後について行く。宿の主人が言った通り、山は高く木々が生い茂って鳥の声一つ聞こえず、枝葉が茂り合って木の下を暗くし、まるで夜を行くようである。杜甫の詩に「霾雲端」(巳入風磴霾雲端/すでにふうとうにいリてうんたんにつちふる)とあるように、大風が土や砂を吹き上げて雲の端から吹き降ろすときのような心もとない心地で、笹やぶの中を踏み分け踏み分けして進み、時には水を渡り岩につまづいて冷や汗を流し、やっとのことで最上の庄に出た。あの案内の男は、この道では必ずなにか良くないことが起こる。何事も無く送ることができてほんとうに幸いだったと言って、喜んで別れて行った。後になって聞いてさえ、胸がどきどきするばかりであった。


第21集 出羽越え

旧暦:
5月
 
岩出山:14日〜15
 堺 田
:15日〜17
新暦:
6月-7
 
岩出山:30日〜 1
 堺 田
: 1日〜 3

全行程地図
一関から尾花沢まで

宮城県地図
芭蕉と岩出山
   芭蕉と鳴子
 
山形県地図
芭蕉と最上町
一 十四日 天気吉。一ノ関(岩井郡之内)ヲ立。四リ、一ノハザマ・岩崎(栗原郡也)、藻庭大隈。三リ、三ノハザマ・真坂(栗原郡也)(此間ニ二ノハザマ有。)岩崎ヨリ金成ヘ行中程ニつくも橋有。岩崎ヨリ壱リ半程、金成ヨリハ半道程也。岩崎ヨリ行ば道ヨリ右ノ方也。
    
四リ半、岩手山(伊達将監)。やしきモ町モ平地。上ノ山ハ正宗ノ初ノ居城也。杉茂リ、東ノ方、大川也。玉造川ト云。岩山也。入口半道程前ヨリ右ヘ切レ、一ツ栗ト云村ニ至ル。小黒崎可見トノ義也。遠キ所也(二リ余)。故、川ニ添廻テ及暮。岩手山ニ宿ス。真坂ニテ雷雨ス。乃晴、頓テ又曇テ折々小雨スル也。

中新田町。小野田(仙台ヨリ最上ヘノ道ニ出合)。原ノ町。門沢(関所有)。漆沢。軽井沢。上ノ畑。野辺沢。尾羽根沢。大石田(乗船)
岩手山ヨリ門沢迄、すぐ道も有也。
右ノ道遠ク、難所有之由故、道ヲかヘテ、
          
一 十五日 小雨ス。二リ、宮。
○壱り半、かぢハ沢。此辺ハ真坂ヨリ小蔵ト云かゝリテ、此宿ヘ出タル、各別近シ。
○此間、小黒崎水ノ小島有。名生貞ト云村ヲ黒崎ト所ノ者云也。其ノ南ノ山ヲ黒崎山ト云。名生貞ノ前、川中ニ岩島ニ松三本、其外小木生テ有。水ノ小島也。今ハ川原、向付タル也。古ヘハ川中也。宮・一ツ栗ノ間、古ヘハ入江シテ、玉造江成ト云。今、田畑成也。
一リ半、尿前。シトマヘヽ取付左ノ方、川向ニ鳴子ノ湯有。沢子ノ御湯成ト云。仙台ノ説也。関所有、断六ヶ敷也。出手形ノ用意可有之也。
一リ半、中山。
○堺田。村山郡小田島庄小国之内。出羽新庄領也。中山ヨリ入口五・六丁先ニ堺杭有。

十六日 堺田二滞留大雨。宿和泉庄や新右衛門兄也。

十七日 快晴。堺田ヲ立。一リ半、笹森関所有。新庄領。関守ハ百姓ニ貢ヲ宥シ置也。ササ森。三リ、市野ゝ。小国ト云ヘカヽレバ廻リ成故、一バネト云山路ヘカヽリ、此所ニ出、堺田ヨリ案内者ニ荷持セ越也。市野ゝ五、六丁行テ関有。最上御代官所也。百姓番也。関ナニトヤラ云村也。正厳・尾花沢ノ間、村有。是、野辺沢ヘ分ル也。正ゴンノ前ニ大夕立ニ逢。昼過、清風ヘ着。一宿ス。

 
            芭蕉「封人の家」訪問の図


           

尾花沢 現代語訳 曽良随行日記
 
養泉寺境内

尾花沢にて清風と云者を尋ぬ。かれは富るものなれども、志いやしからず。都にも折々かよひて、さすがに旅の情をも知たれば、日比とゞめて、長途のいたはり、さまざまにもてなし侍る。
 涼しさを我宿にしてねまる也
 這出よかひやが下のひきの声
 まゆはきを俤にして紅粉の花
 蚕飼する人は古代のすがた哉 
            曽良

尾花沢で清風という者を訪ねた。彼は裕福だが、心の卑しさがない。都にも時々行き来しているので、旅する者の心情をわきまえていて、何日も引き止め、長旅の疲れをねぎらい、また、さまざまに持て成してくれた。

旅先ながら、涼しい座敷でくつろいでいますので、まるで我が家にでも居るような心持で過ごしていますよ。
 
飼屋の下から聞こえるカエルの鳴き声を聞いていると、つい、万葉の歌に詠まれたあの蛙のことが思い出される。ヒキガエルよ、さあ、そこから這い出してこちらにやってこないか。
 
紅花を眺めながらの旅は、心まで華やぐものであるよ。こうした心地で紅花に目を遣ると、女性が化粧で使用するまゆはきが思い出されることだ。
 
蚕飼いする人の、かいがいしく働く姿や仕草は、大昔から少しも変わっていないことだと、しみじみ思うことであるよ。


第22集 芭蕉と尾花沢
 
旧暦:5月17日〜27日
新暦:7月
3日〜13日
 
山形県地図
芭蕉と尾花沢
天童・旧山寺街道
十七日 快晴。堺田ヲ立。一リ半、笹森関所有。新庄領。関守ハ百姓ニ貢ヲ宥シ置也。ササ森。三リ、市野ゝ。小国ト云ヘカヽレバ廻リ成故、一バネト云山路ヘカヽリ、此所ニ出、堺田ヨリ案内者ニ荷持セ越也。市野ゝ五、六丁行テ関有。最上御代官所也。百姓番也。関ナニトヤラ云村也。正厳・尾花沢ノ間、村有。是、野辺沢ヘ分ル也。正ゴンノ前ニ大夕立ニ逢。昼過、清風ヘ着。一宿ス。

十八日 昼、寺ニテ風呂有。小雨ス。ソレヨリ養泉寺移リ居。

十九日 朝晴ル。素英、ナラ茶賞ス。夕方小雨ス。

廿日 小雨。

廿一日 朝、小三良ヘ被招。同晩、沼沢所左衛門ヘ被招。此ノ夜、清風ニ宿。

廿二日 晩、素英ヘ被招


廿三日ノ夜、秋調ヘ被招。日待也。ソノ夜清風ニ宿ス。

廿四日之晩、一橋、寺ニテ持賞ス。十七日ヨリ終日清明ノ日ナシ。

○秋調 仁左衛門。○素英 村川伊左衛門。○一中 町岡素雲。○一橋 田中藤十良。遊川 沼沢所左衛門。東陽 歌川平蔵。○大石田、一栄 高野平右衛門 ○同、川水 高桑加助。○上京、鈴木宗専、俳名似林、息小三良。新庄、渋谷甚兵ヘ、風流。

廿五日 折々小雨ス。大石田ヨリ川水入来。連衆故障有テ俳ナシ。夜ニ入、秋調ニテ庚申待ニテ被招。

廿六日 昼ヨリ於遊川ニ東陽持賞ス。此日モ小雨ス。

廿七日
天気能。辰ノ中尅、尾花沢ヲ立テ立石寺ヘ趣。清風ヨリ馬ニテ舘岡(楯岡)迄被送ル。尾花沢。二リ、元飯田(本飯田)。一リ、舘岡(楯岡)。一リ、六田。馬次間ニ、内藏ニ逢。二リよ、天童(山形ヘ三リ半)。一リ半ニ近シ。山寺。未ノ下尅ニ着。宿預リ坊。其日、山上・山下巡礼終ル。是ヨリ山形ヘ三リ。山形ヘ趣カン(ト)シテ止ム。是ヨリ仙台ヘ趣路有。関東道、九十里余。

 
            養泉寺
山 寺 現代語訳 曽良随行日記
 
山寺

山形領に立石寺と云山寺あり。慈覚大師の開基にして、殊清閑の地也。一見すべきよし、人々のすゝむるに依て、尾花沢よりとつて返し、其間七里ばかり也。日いまだ暮ず。梺の坊に宿かり置て、山上の堂にのぼる。岩に巌を重て山とし、松栢年旧土石老て苔滑に、岩上の院々扉を閉て物の音きこえず。岸をめぐり岩を這て仏閣を拝し、佳景寂寞として心すみ行のみおぼゆ。
 閑さや岩にしみ入蝉の声

山形藩の領内に立石寺という山寺がある。慈覚大師が開かれた寺であり、とりわけ清らかで静かなところである。「一度見ておいた方が良い」と人々に勧められ、尾花沢から引き返すように出かけたが、その間七里ほどであった。着いた時は、日はまだ暮れていなかった。ふもとの宿坊に宿を借りておいて、山上の堂に登った。岩に岩を重ねたような山姿を呈し、松や杉、ひのきは老木となり、古くなった土や石は滑らかに苔むし、岩の上に建つ多くのお堂の扉は閉じられており、物音ひとつ聞こえない。崖のふちをめぐり、岩を這うようにして仏閣を参拝したが、すばらしい景観は静寂の中でさらに映え、ただただ心が澄み渡っていくようであった。

なんと静かに思えることよ。その鳴き声しか聞こえず、かえって静けさがつのるように感じられる蝉の声は、まるで岩々にしみこんでいるかのようだ。

第1集 芭蕉と山寺
 
旧暦:5月27日〜28日
新暦:7月13日〜14日

 
山形県地図
芭蕉と山形市山寺
廿七日 
天気能。辰ノ中尅、尾花沢ヲ立テ立石寺ヘ趣。清風ヨリ馬ニテ舘岡(楯岡)迄被送ル。尾花沢。二リ、元飯田(本飯田)。一リ、舘岡(楯岡)。一リ、六田。馬次間ニ、内藏ニ逢。二リよ、天童(山形ヘ三リ半)。一リ半ニ近シ。山寺。未ノ下尅ニ着。宿預リ坊。其日、山上・山下巡礼終ル。是ヨリ山形ヘ三リ。山形ヘ趣カン(ト)シテ止ム。是ヨリ仙台ヘ趣路有。関東道、九十里余。

一 廿八日 馬借テ天童ニ趣。六田ニテ、又内藏ニ逢。立寄ば持賞ス。未ノ中尅、大石田一英宅ニ着。両日共ニ危シテ雨不降。上飯田(本飯田)ヨリ壱リ半、川水出合、其夜、労ニ依テ無俳、休ス。

 
            山寺



本文・曽良随行日記の現代語訳および句の解釈

LAP Edc. SOFT
 

曽良随行日記は「俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡」のシリーズ「芭蕉について」からそのまま

転記しています。
ただし、章段によっては、滞在日に合わせて元のテキストを分割して掲載しているのもあります。

松尾芭蕉・おくのほそ道文学館


<TOP>


出典データベース

俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡


底本について

「おくのほそ道」は、敦賀の西村家に伝えられている素龍清書の「西村本」を底本としています。

句読点や章段ごとの見出しは「俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡」の中で任意に付したものであり、
「おくのほそ道」の本文に存在するものではありません。

掲載しているデータについて
 
掲載しているテキストや写真の無断使用・転載を禁止します。


Copyright(C) 2000-2010  LAP Edc. SOFT.  All Rights Reserved.
 
Maintained online by webmaster@bashouan.com
 
LAP Edc. SOFTのホームページ

 
LAP Edc. SOFTのホームページ