松尾芭蕉・おくのほそ道文学館
5.「おくのほそ道」本文と曽良随行日記
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大石田・最上川 現代語訳 曽良随行日記
 
大石田

最上川のらんと、大石田と云所に日和を待。爰に古き誹諧の種こぼれて、忘れぬ花のむかしをしたひ、芦角一声の心をやはらげ、此道にさぐりあしゝて、新古ふた道にふみまよふといへども、みちしるべする人しなければとわりなき一巻残しぬ。このたびの風流爰に至れり。

最上川はみちのくより出て、山形を水上とす。ごてん・はやぶさなど云おそろしき難所有。板敷山の北を流て、果は酒田の海に入。左右山覆ひ、茂みの中に船を下す。是に稲つみたるをや、いな船といふならし。白糸の瀧は青葉の隙隙に落て仙人堂岸に臨て立。水みなぎつて舟あやうし。
 五月雨をあつめて早し最上川
上川を舟に乗って下ろうと、大石田というところで日和を待つ。かつて、ここに古き俳諧の文化が伝えられ、それが実って定着し、盛んに詠まれた頃を忘れずに懐かしがっている。葦笛の響きのような田舎じみた心を、俳諧が慰めてくれるので、これから先の進路について決め兼ねて、旧態依然とした古風俳諧ながらこれを継承していくか、それとも新風の蕉風俳諧を会得するか、迷っているのだが、舵取りしてくれる人がいないので是非に、というので、止むを得ず歌仙一巻を巻いて残した。「風流の初」の田植え唄で幕をあけた「おくのほそ道」の風流体感は、この大石田に蕉風俳諧の種をこぼすという形で結実したことである。

最上川は、みちのくから流れ出て、山形あたりを水上(みなかみ)とし、途中、碁点、隼などという恐ろしい難所があり、この先で、板敷山の北を流れ、果ては酒田の海に入る。両岸から山が迫り、川を覆うようであり、そうした中、茂みの中に船を下す。この船に稲を積んだのを、稲船というのだろう。白糸の滝は、青葉の隙間から流れ落ちるのが見え、この上流にあるある仙人堂は、川に面して建っている。水流がみちあふれ、舟が危険である。

数々の山川から五月雨を集めてきた最上川は、ここに至り、更に両岸の山から直接水を集めて満ち満ちて、滑るような勢いで流れていく。


第23集 芭蕉と大石田
 
旧暦:5月-6月
 
大石田:28日〜30日、1
 新 庄: 1日〜 3
新暦:7月
 
大石田:14日〜17
 新 庄:17日〜19
 
山形県地図
芭蕉の出羽路の旅
芭蕉と大石田
芭蕉と新庄市
一 廿八日 馬借テ天童ニ趣。六田ニテ、又内藏ニ逢、立寄ば持賞ス。未ノ中尅、大石田一英宅ニ着。両日共ニ危シテ雨不降。上飯田ヨリ一リ半。川水出合。其夜、労ニ依テ無俳、休ス。 
 
一 廿九日 夜ニ入小雨ス。発・一巡終テ、翁両人誘テ黒瀧ヘ被参詣。予所労故止。未尅被帰。道々俳有。夕飯、川水ニ持賞。夜ニ入帰。 
 
〇一 晦日 朝曇、辰刻晴。歌仙終。翁其辺ヘ被遊、帰、物ども被書。 
 
六月朔 大石田を立。辰刻、一栄・川水、弥陀堂迄送ル。馬弐匹、舟形迄送ル。ニリ。一リ半、舟形。大石田ヨリ出手形ヲ取、ナキ沢ニ納通ル。新庄ヨリ出ル時ハ新庄ニテ取リテ、舟形ニテ納通。両所共に入ニハ不構。ニリ八丁、新庄。風流ニ宿ス。 
 
 二日 昼過ヨリ九郎兵衛ヘ被招。彼是、歌仙一巻有。盛信、息、塘夕(澁谷仁兵衛、柳風共)、孤松(加藤四良兵衛)、如流(今藤彦兵衛)、木端(小村善衛門)、風流(渋谷甚兵ヘ)。 
 
三日 天気吉。新庄ヲ立。一リ半、元合海。次良兵へ方へ甚兵へ方ヨリ状添ル。大石田平右衛門方ヨリも状遣ス。船、才覚シテノスル。
 
一リ半、古口ヘ舟ツクル。合海ヨリ禅僧ニ人同船、清川ニテ別ル。毒海チナミ有。是又、平七方へ新庄甚兵ヘヨリ状添。関所、出手形、新庄ヨリ持参。平七子、呼四良、番所ヘ持行。舟ツギテ、三リ半、清川ニ至ル。酒井左衛門殿領也。
 
平七ヨリ状添方ノ名忘タリ。此間ニ仙人堂白糸ノタキ、右ノ方二有。状不添シテ番所有テ、船ヨリアゲズ。一リ半、厂川。ニリ半、羽黒手向。荒町。申ノ刻、近藤左吉ノ宅ニ着。本坊ヨリ帰リテ会ス。本坊若王寺別当執行代和交院ヘ、大石田平右衛門ヨリ状添。露丸子ヘ渡。本坊ヘ持参、再帰テ、南谷ヘ同道。祓川ノ辺ヨリクラク成。本坊ノ院居所也。

 
            白糸の滝
出 羽 三 山 現代語訳 曽良随行日記
 
出羽三山

六月三日、羽黒山に登る。図司左吉と云者を尋て、別当代会覚阿闍利に謁す。南谷の別院に舎して憐愍の情こまやかにあるじせらる。
四日、本坊にをゐて誹諧興行。
 有難や雪をかほらす南谷
五日、権現に詣。当山開闢能除大師はいづれの代の人と云事をしらず。延喜式に「羽州里山の神社」と有。書写、「黒」の字を「里山」となせるにや。「羽州黒山」を中略して「羽黒山」と云にや。「出羽」といへるは、「鳥の毛羽を此国の貢に献る」と風土記に侍とやらん。月山・湯殿を合て三山とす。当寺武江東叡に属して天台止観の月明らかに、円頓融通の法の灯かゝげそひて、僧坊棟をならべ、修験行法を励し、霊山霊地の験効、人貴且恐る。繁栄長にして、めで度御山と謂つべし。


八日、月山にのぼる。木綿しめ身に引かけ、宝冠に頭を包、強力と云ものに道びかれて、雲霧山気の中に氷雪を踏てのぼる事八里、更に日月行道の雲関に入かとあやしまれ、息絶身こゞえて頂上に至れば、日没て月顕る。笹を鋪、篠を枕として、臥て明るを待。日出て雲消れば湯殿に下る。
谷の傍に鍛治小屋と云有。此国の鍛治、霊水を撰て爰に潔斎して劔を打、終月山と銘を切て世に賞せらる。彼龍泉に剣を淬とかや。干将・莫耶のむかしをしたふ。道に堪能の執あさからぬ事しられたり。
岩に腰かけてしばしやすらふほど、三尺ばかりなる桜のつぼみ半ばひらけるあり。ふり積雪の下に埋て、春を忘れぬ遅ざくらの花の心わりなし。炎天の梅花爰にかほるがごとし。行尊僧正の哥の哀も爰に思ひ出て、猶まさりて覚ゆ。
惣而此山中の微細、行者の法式として他言する事を禁ず。仍て筆をとゞめて記さず。坊に帰れば、阿闍利の需に依て、三山順礼の句々短冊に書。
 涼しさやほの三か月の羽黒山
 雲の峯幾つ崩て月の山
 語られぬ湯殿にぬらす袂かな
 湯殿山銭ふむ道の泪かな
 曽良



第24集 芭蕉と出羽三山

 
旧暦:6月 3日〜6月10日
 羽黒山南谷:
 6月 3日〜 6日
 月山:
 6月 6日〜 7日
 湯殿山:
 6月 7日
 羽黒山南谷:
 6月 7日〜10日
新暦:7月19日〜7月26日
 羽黒山南谷:
 7月19日〜22日
 月山:
 7月22日〜23日
 湯殿山:
 7月23日
 羽黒山南谷:
 7月23日〜26日
 
山形県地図
清川から月山まで
芭蕉と月山湯殿山
六月三日、羽黒山に登る。図司左吉という者を訪ね、その案内で羽黒山の別当代会覚阿闍梨にお目にかかる。南谷の別院に宿泊したが、阿闍梨は、思いやりの心で、懇(ねんご)ろにもてなしてくださった。
四日、本坊において俳諧を興行する。

この霊山の谷あいから、雪の香の南風が吹き寄せています。旅に疲労した我が身にとっては、この上なく尊く有難いことです。

五日、羽黒権現に参詣する。羽黒山を開山した能除大師は、どのような時代の人かは知らない。延喜式に「羽州里山の神社」とある。書きうつすときに、「黒」の字を「里山」としてしまったのだろうか。また、「羽州黒山」を中略して「羽黒山」と言うのだろうか。この国を出羽と言うのは、鳥の羽を国の貢物として朝廷に献上したから、と風土記に書いてあるということである。羽黒山に、月山と湯殿山を合わせて三山と称している。この寺は、武蔵国江戸の東叡山に属して、天台宗の止観の教えが月の光のように行き渡り、円頓融通の教えも合わせ灯って、僧坊が棟を並べて建つほどに隆盛している。修験者は修行に励んでいて、人は、こうした霊山霊地のごりやくを貴びながらも、そのあらたかさに恐れを抱いている。この繁栄はいつまでも続くと思われ、実に立派なお山と言うことができるだろう。
 
八日、月山に登る。木綿注連を首に掛け、宝冠に頭を包み、強力という者に先導されて、雲や霧が立ち込めて冷え冷えとした中を、氷雪を踏んで八里ばかり登れば、まさに日月の通り道にある雲の関所に入ってしまうかと思いながら、息絶え絶えに、冷え切った身体で頂上に到着すると、折から日が暮れて、既に出ていた月が鮮明となった。笹を敷き、まとめた篠竹を枕にして、横になって夜が明けるのを待つ。朝日が出て雲が消えたので、湯殿山の方へ下った。
谷の傍らに鍛冶小屋というのがある。この国の刀鍛冶、月山という人が、霊験のある水をここに選び、身を清めて剣を打ち、ついに「月山」と銘を刻んで世にもてはやされた。これは、中国のかの龍泉の水で鍛錬したというのに通じるものだろうか。その昔、名剣を作り上げた干将と妻の莫耶の故事を慕うものである。熟達した技を身につけるには、それに深くこだわることが大切と知られたことである。
岩に腰かけてしばらく休んでいると、三尺ばかりの桜が、つぼみを半分ほど開きかけていた。降り積もった雪の下に埋まりながら、春を忘れずに花を開こうとする遅ざくらの花の心は実に健気である。「炎天の梅花」が、ここに花の香を匂わしているようであり、行尊僧正のおもむき深い歌も思い出されて、いっそうしみじみとした思いに駈られた。
一般に、湯殿山の細かいことは、修行者の決まりとして、他人に話すことが禁じられている。従って、これ以上は筆を止めて記さないことにする。南谷の宿坊に帰ったのち、阿闍梨の求めに応じて、三山順礼の発句を短冊に書いた。

日の落ちた羽黒山に佇み、西の空を眺めれば、はるかな山のあたりに三日月が出ているよ。たちこめる山気の中に見る月は、神々しくさえ感じられることである。

昼間の陽射しの中で、猛々しく起立していた雲の峰はいつしか崩れ、今は、薄明かりに照らされた月の山が嫋(たお)やかに横たえているばかりであるよ。

いにしえより恋の山と聞こえた湯殿の里に分け入れば、語らず聞かずの幽谷の奥に尊き神秘を拝し、袂を濡らしたことであるよ。

湯殿山の霊域では、落ちたものを拾い上げることが禁じられている。こうした訳からだろうか、参道は、お賽銭を散り敷いたような有様であるよ。これを踏みつつお参りに上がると、かたじけない思いで涙がこぼれるのである。
三日 天気吉。新庄ヲ立。一リ半、元合海。次良兵へ方へ甚兵へ方ヨリ状添ル。大石田平右衛門方ヨリも状遣ス。船、才覚シテノスル。
 
一リ半、
古口ヘ舟ツクル。合海ヨリ禅僧ニ人同船、清川ニテ別ル。毒海チナミ有。是又、平七方へ新庄甚兵ヘヨリ状添。関所、出手形、新庄ヨリ持参。平七子、呼四良、番所ヘ持行。舟ツギテ、三リ半、清川ニ至ル。酒井左衛門殿領也。
 
平七ヨリ状添方ノ名忘タリ。此間ニ
仙人堂白糸ノタキ、右ノ方二有。状不添シテ番所有テ、船ヨリアゲズ。一リ半、厂川。ニリ半、羽黒手向。荒町。申ノ刻、近藤左吉ノ宅ニ着。本坊ヨリ帰リテ会ス。本坊若王寺別当執行代和交院ヘ、大石田平右衛門ヨリ状添。露丸子ヘ渡。本坊ヘ持参、再帰テ、南谷ヘ同道。祓川ノ辺ヨリクラク成。本坊ノ院居所也。
 
四日 天気吉。昼時、本坊ヘ蕎切ニテ被招、会覚ニ謁ス。并南部殿御代参ノ僧浄教院・江州円入ニ会ス。俳、表計ニテ帰ル。三日ノ夜、希有観修坊釣雪逢。互ニ泣涕ヌ。
 
五日 朝の間、小雨ス。昼ヨリ晴ル。昼迄断食シテ註連カク。夕飯過テ、先、羽黒ノ神前に詣。帰、俳、一折ニミチヌ。 
 
六日 天気吉。登山。三リ、強清水、ニリ、平清水(ヒラシミツ)、ニリ、高清(高清水)、是迄馬足叶。道人家小ヤガケ也。彌陀原コヤ有。中食ス。是ヨリフダラ、ニゴリ沢、御浜ナドヽ云ヘカケル也。難所成。御田有。行者戻リ、こや有。申ノ上尅、月山ニ至。先、御室ヲ拝シテ、角兵衛小ヤニ至ル。雲晴テ来光ナシ。夕ニハ東ニ、旦ニハ西ニ有由也。
 
〇本道寺へも、岩根沢へも行也。
 
七日 湯殿ヘ趣。鍛冶ヤシキ、コヤ有。牛首、コヤ有。不浄汚離、コヽニテ水アビル。少シ行テ、ハラジヌギカヱ、手繦ガケナドシテ御前ニ下ル(御前ヨリスグニ、シメカケ・大日坊へカヽリテ鶴ヶ岡ヘ出ル道有)。
 
是ヨリ奥へ持タル金銀銭持テ不帰。惣而取落モノ取上ル事不成。浄衣・法冠・シメ斗ニテ行。昼時分、月山ニ帰ル。昼食シテ下向ス。強清水迄光明坊ヨリ弁当持セ、サカ迎セラル。及暮、南谷ニ帰。甚労ル。
 
△ハラヂヌギカヘ場ヨリ、シヅト云所ヘ出テ、モガミヘ行也。
 
△堂者坊ニ一宿、三人、一歩。月山、一夜宿、コヤ賃廿文。方々役銭貳百文之内。散銭貳百文之内。彼是、一歩銭不余。
 
八日 朝ノ間小雨ス。昼時ヨリ晴。和交院御入、申ノ刻ニ至ル。 
 
九日 天気吉、折々曇。断食、及昼テ、シメアグル。ソウメンヲ進ム。亦、和交院ノ御入テ、飯・名酒等持参。申刻ニ至ル。花ノ句ヲ進テ、俳、終。ソラ発句、四句迄出来ル。
 
十日 曇。飯道寺正行坊入来、会ス。昼前、本坊ニ至テ、蕎切・茶・酒ナド出。未ノ上刻ニ及ブ。道迄円入被迎、又、大杉根迄被送。祓川ニテ手水シテ下ル。左吉ノ宅ヨリ翁計馬ニテ、光堂迄釣雪送ル。左吉同道。道ヽ小雨ス。ヌルヽニ不及。
 
申ノ刻、鶴ヶ岡長山五郎右衛門宅ニ至ル。粥ヲ望、終テ眠休シテ、夜ニ入テ発句出テ一巡終ル。
 
十一日 折々村雨ス。俳有。翁、持病不快故、昼程中絶ス。
 
十二日 朝ノ間村雨ス。昼晴。俳、歌仙終ル。
 
 〇羽黒山南谷方。近藤左吉、観修坊、南谷方也。且所院、南陽院、山伏源長坊、光明坊、息・平井貞右衛門。○本坊芳賀兵左衛門、大河八十良、梨水、新宰相。
 ○花蔵院○正隠院、両先達也。円入(近江飯道寺不動院ニテ可尋)、七ノ戸南部城下、法輪陀寺内浄教院珠妙。
 ○鶴ヶ岡、山本小兵ヘ殿、長山五郎右衛門縁者。図司藤四良、近藤左吉舎弟也。

 
            月山



本文・曽良随行日記の現代語訳および句の解釈

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曽良随行日記は「俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡」のシリーズ「芭蕉について」からそのまま

転記しています。
ただし、章段によっては、滞在日に合わせて元のテキストを分割して掲載しているのもあります。

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底本について

「おくのほそ道」は、敦賀の西村家に伝えられている素龍清書の「西村本」を底本としています。

句読点や章段ごとの見出しは「俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡」の中で任意に付したものであり、
「おくのほそ道」の本文に存在するものではありません。

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