松尾芭蕉・おくのほそ道文学館
須賀川の章段

【出典】 俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡  第5集「芭蕉と須賀川」  [文学館目録]
前頁 とかくして越行まゝに、あぶくま川を渡る。左に会津根高く、・・・ 次頁
「おくのほそ道」芭蕉句集  風流の初やおくの田植うた (ふうりゅうの はじめやおくの たうえうた)
9 境の明神 境の明神・句碑 [句碑建立地]
白河市
境の明神
[句解釈]   白河の関を越えると、歌いながら田植えをするという、実に趣きのある光景が目にとまった。これは、旅に出て最初の風流な味わいであることよ。
十念寺 十念寺・句碑 [句碑建立地]
須賀川市
十念寺
[境の明神]
栃木県との県境、国道294号線沿いに建つ境の明神境内に、安永6年(1777年)、白河藩士の玉生旭窓(俳号)によって建てられた同句の句碑がある。同地には、大坂で飛脚問屋・島屋を営んだ大江丸(安井政胤)の「能因にくさめさせたる秋はここ」などの句碑も見られる。
 
[十念寺]
芭蕉と曽良は、須賀川を離れる前日の元禄2年4月28日(新暦6月15日)十念寺に参詣した。十念寺は文録元年(1592年)に開山された浄土宗の寺で、開基は善龍上人。句碑は、須賀川女流俳人・市原多代女(1776〜1865)が建立したもので、碑陰に「安政二季竜集乙卯暮春 晴霞庵多代女営之」とある。
 
[仙台市の桜岡神社]
仙台市西公園の桜岡神社北隣にも同句の碑が見られる。これは、芭蕉二百回忌の明治26年(1893年)に蕉風の流れをくむ俳人らにより建てられたもので、田植塚と呼ばれる。
「おくのほそ道」芭蕉句集  世の人の見付ぬ花や軒の栗 (よのひとの みつけぬはなや のきのくり)
10 可伸庵跡 可伸庵跡・句碑 [句碑建立地]
須賀川市
可伸庵跡
[句解釈]   世間を避けるようにひっそりと暮らしている僧がおり、その住まいの軒先には、栗の花が人目につかず咲いている。いかにも奥ゆかしいことだ。
可伸は、相楽等躬宅に可伸庵をむすび、ひっそりと世間から離れて住んでいたといわれ、「おくのほそ道」の中で、「此宿の傍に、大きなる栗の木陰をたのみて、世をいとふ僧有」と書かれた。
等躬編「伊達衣」には、可伸の句「梅が香に今朝はかすらん軒の栗」が採録されているが、同書の中で、可伸は「軒の栗」について次のような興味深い感想をもらしている。

予が軒の栗は、更に行基のよすがにもあらず、唯実をとりて喰のみなりしを、いにし夏、芭蕉翁のみちのく行脚の折から一句を残せしより、人々愛る事と成侍りぬ。
梅が香に今朝はかすらん軒の栗 須賀川栗斎 可伸
(「伊達衣」巻下)

可伸の庵跡は、須賀川市役所から歩いて数分ほどのNTT須賀川の敷地内にある。
  
おくのほそ道 現代語訳
須  賀  川
とかくして越行まゝに、あぶくま川を渡る。左に会津根高く、右に岩城・相馬・三春の庄、常陸・下野の地をさかひて、山つらなる。かげ沼と云所を行に、今日は空曇て物影うつらず。すか川の駅に等窮といふものを尋て、四、五日とゞめらる。先白河の関いかにこえつるやと問。長途のくるしみ、身心つかれ、且は風景に魂うばゝれ、懐旧に腸を断て、はかばかしう思ひめぐらさず。
 風流の初やおくの田植うた
無下にこえんもさすがにと語れば、脇・第三とつゞけて、三巻となしぬ。
 
此宿の傍に、大きなる栗の木陰をたのみて、世をいとふ僧有。橡ひろふ太山もかくやとしづかに覚られてものに書付侍る。其詞、
栗といふ文字は西の木と書て
西方浄土に便ありと、行基菩薩
の一生杖にも柱にも此木を用給ふとかや。
 世の人の見付ぬ花や軒の栗
そうこうして白河の関を越えていくうちに阿武隈川を渡った。左手には会津の磐梯山が高くそびえ、右手には岩城、相馬、三春の地方が広がっており、振り返ってみると、この土地と、常陸の国や下野の国とを区切るように山々が連なっている。かげ沼というところを通ったが、今日は空が曇っていて、水面には物影が映っていなかった。須賀川の宿場に着いてから等窮というものを訪ねて、ここで、4、5日引き留められる。先ず最初に、「白河の関では、どんな句を詠んで越えられましたか」と聞かれた。そこで、「長い旅の苦労のために心身ともに疲れ、その上、すばらしい風景に心をうばわれ、むかしのことを考えると懐かしさに堪えかねて、いい句を案ずることができませんでした。

白河の関を越えると、歌いながら田植えをするという、実に趣きのある光景が目にとまった。これは、旅に出て最初の風流な味わいであることよ。


しかしながら、何の句も詠まずに通り過ぎることもできず、『風流の初やおくの田植うた』の句を作りましたよ」と語ると、この句を発句にして、脇句、第三句とつづけて三巻の連句ができあがった。
 
この宿の傍らに、大きな栗の木陰を借りて、俗世間を避けるように暮らしている僧がいる。西行法師が「橡ひろう」と詠んだ深山も、こんなふうであったろうかと思うほどに閑静なたたずまいであったので、つぎのように書き付けた。その言葉は、
栗という字は西の木と書くことから、西方浄土にゆかりがあるといって、行基菩薩は、一生杖にも柱にもこの木をお使いになられたそうである。


世間を避けるようにひっそりと暮らしている僧がおり、その住まいの軒先には、栗の花が人目につかず咲いている。いかにも奥ゆかしいことだ。
  
曽良随行日記 (須賀川)
元禄2年(1689年)4月22日(新暦6月9日)〜4月29日(新暦6月16日)
原 文 現代語
一 廿二日 須か川、乍単斎(相楽等躬)宿、俳有。
 
 
 
 
 
  廿三日

同所滞留。晩方ヘ可伸ニ遊、帰ニ寺々八幡ヲ拝。
 
 
一 廿四日
主ノ田植。昼過ヨリ可伸庵ニテ会有。会席、そば切。祐碩賞之。雷雨、暮方止
 
 
 
 
  廿五日

主物忌、別火。
 
 
 
  廿六日

小雨ス
 
一 廿七日
。三つ物ども。芹沢の滝へ行。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
一 廿八日
発足ノ筈定ル。矢内彦三郎来テ延引ス。昼過ヨリ彼宅ヘ行テ及暮。十念寺(1  2)諏訪明神ヘ参詣。朝之内、曇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
一 廿九日
快晴巳中尅、発足。石河滝(乙字ケ滝)見ニ行。(此間、さゝ川ト云宿ヨリあさか郡) 須か川ヨリ辰巳ノ方壱里半計有。滝ヨリ十余丁下ヲ渡リ、上ヘ登ル。歩ニテ行バ滝ノ上渡レバ余程近由。阿武隈川也。川ハヾ百二、三十間も有之。滝ハ筋かヘニ百五、六十間も可有。高サ二丈、壱丈五、六尺、所ニヨリ壱丈計ノ所も有之。
一 廿二日
(同日、白河・矢吹を立つ)
須賀川、乍単斎(相楽等躬)に宿す、俳席有り(「風流の初やおくの田植うた」を発句とし、芭蕉、等躬、曽良で三吟歌仙が開かれた)。

 

  廿三日
等躬宅に滞留。晩方可伸庵に遊び、帰りに寺々、八幡神社を参拝。

 

一 廿四日
等躬宅で田植え。昼過ぎより可伸庵で会(「かくれ家や目だゝぬ花を軒の栗」<伊達衣>を発句とした七吟歌仙。連衆は、芭蕉、栗斎<可伸>、等躬、曽良、等雲、須竿、素蘭)有り。祐碩(等雲)ふるまいの会席、そば切りを賞味する。雷雨、暮方止む。

 

  廿五日
等躬、物忌(ぶっき。ものいみ。ある期間、飲食・行為を慎んで身体を清め、不浄をさけた)に入る。別火(物忌の期間、けがれにふれないよう別にきり出した火で煮炊きした)。

 

  廿六日
小雨降る。

 

一 廿七日
曇り。三つ物と四句の俳席あり。芹沢の滝へ行く。
○「三つ物ども」は、曽良の「俳諧書留」に書かれた次の三つ物(発句・脇句・第三句)2つと四句を指す。
(三つ物)
旅衣早苗に包食乞ん
いたかの鞁あやめ折すな(翁)
夏引の手引の青苧くりかけて(等躬)

(三つ物)
茨やうを又習けりかつみ草(等躬)
市の子どもの着たる細布(曽良)
日面に笠をならぶる涼して(翁)

(四句)
芭蕉翁、みちのくに下らんとして、我蓬戸を音信て、猶白河のあなた、すか川といふ所にとゞまり侍ると聞て申つかはしける。
雨晴て栗の花咲跡見哉(桃雪)
いづれの草に啼おつる蝉(等躬)
夕食喰賤が外面に月出て(翁)
秋来にけりと布たぐる也(曽良)

 

一 廿八日
発足の手はず定まるが、矢内彦三郎来て(発足を)延引する。昼過より彼宅へ行き日暮れまで滞在。十念寺、諏訪明神ヘ参詣。朝の内、曇り。
○延引の理由については、「俳諧書留」に次のように記されている。
須か川の駅より東二里ばかりに、石河の滝(乙字ケ滝)といふあるよし。行て見ん事をおもひ催し侍れば、此比(このごろ)の雨にみかさ増りて、川を越す事かなはずといヽて止ければ、
さみだれは滝降りうづむみかさ哉   翁
案内せんといはれし等雲と云人のかたへかきてやられし。薬師(医師)也。

 

一 廿九日
快晴。午前10時頃、須賀川・相楽等躬宅を発足。石河滝(乙字ケ滝)を見に行く。(この間、笹川という宿より安積郡に入る)。須賀川より南東の方一里半ばかりのところに有る。滝より十余丁下を渡り、上へ登る。徒歩なら滝の上を渡れば余程近い由。阿武隈川也。川幅百二、三十間も有る。滝は、川を斜めに切って落ち、幅はニ百五、六十間もあるだろう。滝の高さは二丈、一丈五、六尺、所によっては一丈ほども有る。
◇一里:約4km ◇一丁(町):約109m ◇一間:約1.8m


本文・曽良随行日記の現代語訳および句の解釈

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曽良随行日記は「俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡」のシリーズ「芭蕉について」からそのまま

転記しています。
ただし、章段によっては、滞在日に合わせて元のテキストを分割して掲載しているのもあります。

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