松尾芭蕉・おくのほそ道文学館
安積山の章段

【出典】 みちのくの足跡   第6集「芭蕉と郡山」・第7集「芭蕉と二本松」  [文学館目録]
前頁 等窮が宅を出て五里計、桧皮の宿を離れてあさか山有。路より近し。 次頁
安積山(公園) 安積沼跡
郡山市日和田町の安積山は、JR東北本線日和田駅を降りて徒歩10分ほどのところにある小丘で、日和田駅から北へ600mほどの位置にある。大正4年に安積山公園として整備され、市民の憩いの場として親しまれている。 「花かつみ」探しの沼跡は安積山の南西にあり、現在写真のような標柱が建てられている。芭蕉が訪れた頃は「沼モ少残ル(曽良日記)」ものの、既に安積沼として知られた往時の光景は無く、今と同じように一面が田んぼと化していた。
○「芭蕉と郡山」の「安積山と山ノ井清水について」参照。 ○「芭蕉と郡山」の「安積沼について」参照。
  
おくのほそ道 現代語訳
安  積  山
等窮が宅を出て五里計、桧皮の宿を離れてあさか山有。路より近し。此あたり沼多し。かつみ刈比もやゝ近うなれば、いづれの草を花かつみとは云ぞと、人々に尋侍れども、更知人なし。沼を尋、人にとひ、かつみかつみと尋ありきて、日は山の端にかゝりぬ。二本松より右にきれて、黒塚の岩屋一見し、福島に宿る。 等躬の家を出立して五里ばかり歩いたところに桧皮の宿があり、そこを過ぎたあたりに、かの安積山がある。街道からすぐのところである。このあたりは沼が多い。かつみを刈って軒にさす時節もそろそろなので、どの草を花かつみというのかと、土地の人々に尋ねても、いっこうに知る人がいない。沼のあたりを探したり、人にどこにあるかを聞いたり、「かつみ、かつみ」と尋ね回っているうちに、気がついてみると、日は山の端にかかっていた。二本松から右に曲がって行き、黒塚で岩屋を少しばかり見物し、福島に宿をとった。
  
曽良随行日記 (郡山二本松)
元禄2年(1689年)4月29日(新暦6月16日)〜5月1日(新暦6月17日)
< 元禄2年の4月は29日まで >
原 文 現代語
一 廿九日
快晴。巳中尅、発足。石河滝(乙字ケ滝)見ニ行。(此間、さゝ川ト云宿ヨリあさか郡) 須か川ヨリ辰巳ノ方壱里半計有。滝ヨリ十余丁下ヲ渡リ、上ヘ登ル。歩ニテ行バ滝ノ上渡レバ余程近由。阿武隈川也。川ハヾ百二、三十間も有之。滝ハ筋かヘニ百五、六十間も可有。高サ二丈、壱丈五、六尺、所ニヨリ壱丈計ノ所も有之。   

それヨリ川ヲ左ニナシ、壱里計下リテ向、小作田村と云馬次有。ソレヨリ弐里下リ、守山宿と云馬次有。御代官諸星庄兵衛殿支配也。問屋善兵衛方(手代湯原半太夫)ヘ幽碩ヨリ状被添故、殊之外取持。又、本実坊・善法寺ヘ矢内弥市右衛門状遣ス。則、善兵衛、矢内(案内の誤りか)ニテ、先大元明王へ参詣。裏門ヨリ本実坊へ寄、善法寺へ案内シテ本実坊同道ニテ行。雪村歌仙絵・讃宗鑑之由、見物。内、人丸・定家・業平・素性・躬恒五ふく、智證大し並金岡がカケル不動拝ス。探幽ガ大元明王ヲ拝ム。守山迄ハ乍単ヨリ馬ニテ被送、昼飯調テ被添。守山ヨリ善兵衛馬ニテ郡山(二本松領)迄送ル。カナヤト云村へかゝり、アブクマ川ヲ舟ニテ越、本通日出山ヘ出ル。守山ヨリ郡山ヘ弐里余、日ノ入前、郡山ニ到テ宿ス。宿ムサカリシ。
一 廿九日
快晴。午前10時頃、須賀川・相楽等躬宅を発足。石河滝(乙字ケ滝)を見に行く。(この間、笹川という宿より安積郡に入る)。須賀川より南東の方一里半ばかりのところに有る。滝より十余丁下を渡り、上へ登る。徒歩なら滝の上を渡れば余程近い由。阿武隈川也。川幅百二、三十間も有る。滝は、川を斜めに切って落ち、幅はニ百五、六十間もあるだろう。滝の高さは二丈、一丈五、六尺、所によっては一丈ほども有る。
石河滝より阿武隈川を左に見て一里ばかり下ると、小作田村という馬継が有る。それより二里下ると、守山宿(郡山市田村町守山)という馬継有り。御代官諸星庄兵衛殿が支配する所。問屋・善兵衛方(手代湯原半太夫)ヘの幽碩(祐碩。等雲)の紹介状により、格別な接待を受ける。又、本実坊・善法寺ヘの矢内弥市右衛門(素蘭)の紹介状もあり。則ち、善兵衛の案内にて、先ず大元明王へ参詣。裏門より本実坊へ寄り、本実坊同道、案内にて善法寺へ行く。雪村歌仙絵(讃宗、鑑の由)を見物。歌仙絵の内の人丸、定家、業平、素性、躬恒の五幅の掛物、智證大師(円珍)並びに金岡が描いた不動明王を拝す。探幽が描いた大元明王を拝む。守山迄は乍単(相楽等躬)差し向けの馬で送られる、昼飯も調て添えられる。守山より善兵衛が馬にて郡山(二本松領)迄送る。金屋という村へかゝり、阿武隈川を舟にて越え、奥州街道、日出山へ出る。守山より郡山へ二里余り、日の入前に、郡山に到って宿す。宿、むさ苦し。
     
一 五月朔日
天気快晴。日出ノ比、宿ヲ出、壱里半来テヒハダ(日和田)ノ宿、馬次也。町はづれ五、六丁程過テ、あさか山有。壱り塚ノキハ也。右ノ方ニ有小山也。アサカノ沼、左ノ方谷也。皆田ニ成、沼モ少残ル。惣テソノ辺山ヨリ水出ル故、いづれの谷にも田有。いにしへ皆沼ナラント思也。山ノ井ハコレヨリ(道ヨリ左)西ノ方(大山ノ根)三リ程間有テ、帷子ト云村(高倉ト云宿ヨリ安達郡之内)ニ山ノ井清水ト云有。古ノにや、不しん也。
二本松の町、奥方ノはづれニ亀ガヒト云町有。ソレヨリ右之方ヘ切レ、右ハ田、左ハ山ギワヲ通リテ壱リ程行テ、供中ノ渡ト云テ、アブクマヲ越舟渡し有リ。その向ニ黒塚有。小キ塚ニ杉植テ有。又、近所ニ観音堂有。大岩石タヽミ上ゲタル所後ニ有。古ノ黒塚ハこれならん。右ノ杉植し所は鬼ヲウヅメシ所成らんト別当坊申ス。天台宗也。それヨリ又、右ノ渡ヲ跡ヘ越、舟着ノ岸ヨリ細道ヲつたひ、村之内ヘかゝり、福岡村ト云所ヨリ二本松ノ方ヘ本道ヘ出ル。二本松ヨリ八町ノめヘハ二リ余。黒塚ヘかゝりテハ三里余有べし。
一 五月一日
天気快晴。日の出の頃、郡山の宿を出、一里半来て日和田の宿、馬継也。町はづれ五、六丁程過ぎて、安積山有り。一里塚の際、右の方にある小山也。安積の沼、左の方、谷也。皆、田に成り、沼も少し残る。すべてその辺、山より水が出るゆえ、いづれの谷にも田が有る。いにしへは皆沼だったろうと思われる。山の井はこれより(道より左)西の方(大山の根)三里程有り、帷子(郡山市片平町)という村(高倉という宿より安達郡の内)に山の井清水というのが有る。古歌にあるのと違うようだ。
二本松の町、奥の方のはづれに亀谷という町有り。それより右の方へ曲がると、右は田で、左には、山際を通って一里程行くと、供中の渡という阿武隈川を越す舟渡しが有る。その向こうに黒塚有り。小さな塚に杉が植えて有る。又、近所に観音堂有り。観音堂は大岩石を畳み上げた所の後に有る。古の黒塚はこれだろう。右の杉を植えた所は鬼を埋めた所だろうと別当坊が言う。天台宗也。それより又、右の渡しをあとにして阿武隈川を越え、舟着きの岸より細道を伝って、村の内ヘかゝり、福岡村という所より二本松の方ヘ奥州街道ヘ出る。二本松より八町の目ヘは二里余り。黒塚ヘかゝると三里余り。
◇一里:約4km ◇一丁(町):約109m ◇一間:約1.8m


本文・曽良随行日記の現代語訳および句の解釈

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曽良随行日記は「俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡」のシリーズ「芭蕉について」からそのまま

転記しています。
ただし、章段によっては、滞在日に合わせて元のテキストを分割して掲載しているのもあります。

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