松尾芭蕉・おくのほそ道文学館
笠島の章段

【出典】 みちのくの足跡  第9集「芭蕉と白石」・第11集「芭蕉と名取」   [文学館目録]
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「おくのほそ道」芭蕉句集  笠嶋はいづこさ月のぬかり道 (かさじまは いずこさつきの ぬかりみち)
13 館腰神社付近の芭蕉句碑 芭蕉句碑 [句碑建立地]   名取市
(左)館腰神社付近
(右)藤原実方の墓の入口
下の写真は、藤原実方の墓と「かたみのすすき」
[句解釈]   実方ゆかりの笠島はどの辺りなのだろうか。五月の雨でぬかるんだこの道では、尋ねていくこともできない。 
藤原実方の墓
かたみのすすき
元禄2年(1689年)5月3日、芭蕉一行は福嶋領から仙台領に入って白石、岩沼と進み、武隈の松に立ち寄った後、実方の墓や「かたみのすすき」がある名取の郡を目指し奥州街道を北へ急いだ。断続的に降り続く五月雨の中ようやく名取に辿り着くが、藤中将実方の塚は街道を反れた一里ばかり先と聞かされる。しかし、日が暮れかけたうえに悪路では行くのが困難と判断した芭蕉は、上の句を詠み、涙をのんで名取の郡を後にした。
碑文を白くした「笠嶋はいづこさ月のぬかり道 」の句碑は、藤原実方の墓の入口(「かたのみすすき」の脇)にあり、句碑の隣の「おくのほそ道」碑には「元禄2年(1689年)漂泊の俳人松尾芭蕉は門人曽良とともにみちのくへ旅し悲運の歌人藤原中将実方朝臣の塚を訪れようと名取の郡に入る。折悪しく日没と五月雨の悪路に阻まれ目的を果たせぬままこの地に無念の一句を残し通り過ぎる。時過ぎて三百年、ここに芭蕉翁の句を記すとともに、追慕の思いを込めてこの碑を建立する。」の文が刻まれている。
天養元年(1144年)、27歳のころ陸奥・出羽へ歌枕の旅をした西行は、実方が死して188年後の文治2年(1186年)、69歳にして再び陸奥へ向かうこととなった。西行は、この時実方の墓に立ち寄り、霜枯れのすすきに心を寄せながら「朽もせぬ其名ばかりをとゞめをきてかれのゝ薄かたみにぞみる」の歌を残した。これが「かたみのすすき」の由来となっている。
  
おくのほそ道 現代語訳
笠   島
鐙摺・白石の城を過、笠嶋の郡に入れば、藤中将実方の塚はいづくのほどならんと人にとへば、是より遥右に見ゆる山際の里をみのわ・笠嶋と云、道祖神の社・かた見の薄今にありと教ゆ。此比の五月雨に道いとあしく、身つかれ侍れば、よそながら眺やりて過るに、蓑輪・笠嶋も五月雨の折にふれたりと、
 笠嶋はいづこさ月のぬかり道
鐙摺や白石城下を通り過ぎて笠島郡に入ったので、かの藤中将実方の墓がどこにあるのだろうと思い人に尋ねてみると、「ここから遥か右に見える山の際にある里を箕輪・笠島と言い、道祖神の社やかた見のすすきが今も残っています」と教えてくれた。このところ降り続いている五月雨のために道がぬかるんで、体も疲れきっていたので、離れたところから眺めて通り過ぎてしまったのだが、「蓑」の箕輪や、「笠」の笠島は、五月雨の季節にちょうど合った地名であることに感じ入り、一句詠んだ。

実方ゆかりの笠島はどの辺りなのだろうか。五月の雨でぬかるんだこの道では、尋ねていくこともできない。 
○「芭蕉と岩沼」の「芭蕉について-なぜ岩沼と名取が逆転したか」参照。
  
曽良随行日記 (白石・名取)
元禄2年(1689年)5月3日(新暦6月19日)〜5月4日(新暦6月20日)
原 文 現代語
一 三日
雨降ル。巳ノ上尅止。飯坂ヲ立。桑折(ダテ郡之内)ヘ二リ。折々小雨降ル。

一 桑折トかいた(貝田)の間ニ伊達ノ大木戸ノ場所有(国見峠ト云山有)。コスゴウトかいた(貝田)トノ間ニ福島領(今ハ桑折ヨリ北ハ御代官所也)ト仙台領(是ヨリ刈田郡之内)トノ堺有。左ノ方、石ヲ重テ有。大仏石ト云由。さい川(斎川)ヨリ十町程前ニ、万ギ沼万ギ山有。 ソノ下ノ道、アブミコブシト云岩有。二町程下リテ右ノ方ニ次信・忠信が妻ノ御影堂( 1  2)有。同晩、白石ニ宿ス。一二三五。
 
一 四日
雨少止。辰ノ尅、白石ヲ立。折ゝ日ノ光見ル。岩沼入口ノ左ノ方ニ竹駒明神ト云有リ。ソノ別当ノ寺ノ後ニ武隈ノ松有。竹がきヲシテ有。ソノ辺、侍やしき也。古市源七殿住所也。
 
 
○笠島(名取郡之内)、岩沼・搏c之間、左ノ方一里計有。三ノ輪(箕輪)・笠嶋と村並テ有由、行過テ不見。
一 三日
雨降る。午前9時半頃止む。飯坂を立つ。桑折(伊達郡の内)へ二里。折々小雨降る。
一 桑折と貝田の間に伊達の大木戸の場所有り(国見峠という山有り)。越河と貝田との間に福島領(今は桑折より北は御代官の所也)と仙台領(是より刈田郡の内)との国境有り。左の方、石を重ねて有り。大仏石という由。斎川より十町程前に、馬牛沼・万牛山有り。 その下の道、鐙こぶし(鐙摺石)という岩有り。二町程下って右の方に次信(継信)・忠信の妻の御影堂(甲冑堂)有り。同晩、白石に宿す。一二三五。
 
一 四日
雨少し止む。午前8時頃、白石を立つ。折ゝ日の光見る。岩沼入口の左の方に竹駒明神という神社有リ。その別当の寺(竹駒寺)の後に武隈の松有り。竹垣をして有る。その辺、侍やしき也。古市源七殿(岩沼館主・古市源吉のこと)の住所也。
 
○笠島(名取郡の内)、岩沼と増田の間、左の方一里ばかりに有り。箕輪と笠島の村、並んで有るというが、行き過ぎて見ず。
◇一里:約4km ◇一丁(町):約109m ◇一間:約1.8m


本文・曽良随行日記の現代語訳および句の解釈

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曽良随行日記は「俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡」のシリーズ「芭蕉について」からそのまま

転記しています。
ただし、章段によっては、滞在日に合わせて元のテキストを分割して掲載しているのもあります。

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